岩津天満宮
岩津天満宮(いわづてんまんぐう)は、愛知県岡崎市岩津町東山にある天満宮。通称は岩津天神。御祭神は菅原道真。前宮司の服部貞弘は神道政治連盟会長、日本会議顧問などを務めた[1][2][3]。
岩津天満宮 | |
---|---|
拝殿(2019年(平成31年)3月) | |
所在地 | 愛知県岡崎市岩津町字東山53 |
位置 | 北緯35度0分19秒 東経137度10分36秒 / 北緯35.00528度 東経137.17667度座標: 北緯35度0分19秒 東経137度10分36秒 / 北緯35.00528度 東経137.17667度 |
主祭神 | 菅原道真 |
創建 | 宝暦9年(1759年) |
例祭 | 3月25日 |
沿革
編集信光明寺22世一誉上人が宝暦9年(1759年)に鎌倉・荏柄山天満宮(芭蕉天神)の分霊を勧請し、境内観音堂に祀るも霊夢により、東山の現在地に祠を建立し社殿を造営。その後歴代上人の布教努力により、尾張・遠州・三河と信仰を広めた[4]。
明治維新後の神仏判然令(神仏分離令)により、信光明寺の所管を離れ、氏子のない崇敬神社として、管理は岩津村に移された[4]。
1879年(明治12年)、火災により社殿は焼失。これを聞いた、立山修験の布教に三河を訪れていた富山県立山の芦峅寺の大阿闍梨鑁禪(佐伯鑁禪)が、布教の折常宿としていた碧南の実業家で人造石(長七たたき)発明者、服部長七に復興支援を依頼した[4]。
1900年(明治33年)6月、服部長七は崇敬者総代に就任、本殿再建臨時祭典を執行した。1911年(明治44年)、岩津天満宮御本殿再興を果たす[5]。1912年(明治45年)、岩津天満宮に隠棲[6]。1919年(大正8年)に現在の拝殿を造営した[7]。
1929年(昭和4年)、神楽殿が建てられる[8]。1971年(昭和46年)、熱田神宮宮庁舎を移築、社務所が改築される[9]。1980年(昭和55年)、本殿が改築造営される[10]。1988年(昭和63年)、現在の社務所が造営される[11]。2011年(平成23年)、本殿・幣殿・拝殿が改修される[11]。
神職
編集服部長七以降、神職は服部家が継承している。
先代宮司の服部貞弘は長七の孫で[12]、1963年(昭和38年)から1979年(昭和54年)まで岡崎市議会議員を4期務めた[13]。市議時代は浦野幸男衆議院議員の派閥(大平派)に所属[14]。1971年(昭和46年)4月の岡崎市長選挙に向けて浦野派の内部で近藤春次県議を推す動きが出た際は、「近藤に分はない」と読んだ浦野の命を受けて調整に走り、内田喜久県議の候補者一本化に一役買った[14]。1977年(昭和52年)1月16日に浦野が急死すると[15]、浦野派の服部と太田進市議は後継者を岡崎市から擁立するための運動を開始[16][17]。しかし豊田勢に先を越され、浦野の地盤は娘婿の浦野烋興が継いだ[18][17]。
服部貞弘は1983年(昭和58年)6月3日、「神道政治連盟」[19][20]の第5代会長に就任[1]。1992年(平成4年)、会長を退任し、常任顧問に就任。1997年(平成9年)、岩津天満宮宮司を引退。神職を退いたのち、極右団体「日本会議」[21][22][23]の顧問に就任。長年にわたり右派運動の中枢にいた[24][3][2]。2016年(平成28年)8月18日、死去[25]。
現宮司の服部憲明も本職の傍ら、神道政治連盟副会長、同幹事長、同愛知県本部会長、日本会議愛知県本部代表委員、中根義高県議の後援会会長など数々の要職を務め、先代と同様の政治活動を遂行している[26][27][28][29][30][31][注 1]。
交通機関
編集ギャラリー
編集-
神橋
-
『和魂漢才』石碑
-
臥牛像
-
厄割石
-
絵馬掛け
-
梅苑[36]
-
服部長七顕彰碑
-
余香殿なおらい
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 神道政治連盟 1984, p. 130.
- ^ a b 『前衛』2007年7月号、日本共産党中央委員会、53-66頁、「〝靖国〟派団体の関係資料」。
- ^ a b “役員名簿(平成22年8月1日現在)”. 日本会議. 2010年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月10日閲覧。
- ^ a b c “岩津天満宮とは - ご由緒”. 岩津天満宮. 2020年4月11日閲覧。
- ^ “服部長七物語り- 年表”. 岩津天満宮. 2020年4月18日閲覧。
- ^ 岩津天満宮 2003, p. 25.
- ^ 岩津天満宮 2003, p. 28.
- ^ 岩津天満宮 2003, p. 29.
- ^ 岩津天満宮 2003, p. 40.
- ^ 岩津天満宮 2003, p. 42.
- ^ a b “岩津天満宮 - 境内案内”. 岩津天満宮. 2020年4月18日閲覧。
- ^ 上田頴人「明治の人造石に素材技術者が注目 碧南の服部長七が発明【名古屋】」『朝日新聞』1997年2月22日付夕刊、1面。
- ^ “岡崎の選挙記録 - 岡崎市議会議員選挙”. 岡崎市ホームページ (2023年7月12日). 2023年10月29日閲覧。
- ^ a b 木村伊量「全容 無謀の構図 (15) 夜明けを とことん怪文書戦術」『朝日新聞』1980年11月6日付朝刊、三河版西。
- ^ 『東海新聞』1977年(昭和52年)1月18日、1面、「浦野前労相が死去 稲垣氏繰り上げ当選」。
- ^ 『新三河タイムス』1977年3月10日、2-3面、「自民の公認が焦点 浦野後継座談会 中野・稲垣に内田市長(岡崎)も加わり乱戦へ 浦野烋興氏近く後継受託?」。
- ^ a b 木村伊量「全容 無謀の構図 (21) 考える会 岡崎から出せと熱気 豊田に対抗 代議士の夢」『朝日新聞』1980年11月15日付朝刊、三河版西。
- ^ 『新三河タイムス』1977年3月10日、1面、「親族会議も〝後継〟了承 大平幹事長の秘書として地元とのパイプ役 浦野烋興氏 新体制スタート」。
- ^ “安倍内閣の閣僚20人中19人がメンバー 神道政治連盟とは?(ページ1)”. iRONNA. 2020年12月20日閲覧。
- ^ 初野渉「日本の戦争責任に対する歴史認識 謝罪と拒絶の繰り返しの要因と影響」『創価大学大学院紀要』第39号、創価大学大学院、2019年3月、43-60頁、ISSN 0388-3035、NAID 120006650659、2021年7月20日閲覧。
- ^ Mizohata, Sachie (2016年11月1日). “Nippon Kaigi: Empire, Contradiction, and Japan’s Future”. The Asia-Pacific Journal. 2020年4月24日閲覧。
- ^ Mesmer, Philippe (2016年8月3日). “A Tokyo, une nationaliste nommée à la défense”. Le Monde 2021年1月19日閲覧。
- ^ Steger, Isabella (14 March 2018). “"Falsify" might already be the winner for Japan's word of the year in 2018”. Quartz. 8 July 2020閲覧。 “Abe and Aso's names were nixed from an explanatory section about the school's ties with the powerful far-right lobbying group Nippon Kaigi.”
- ^ 青木理、宮下直之 (2016年1月18日). “「安倍政権と『日本会議』の蜜月」 AERA 2016年1月25日号”. 朝日新聞社. 2020年1月18日閲覧。
- ^ “最新情報 2016年11月”. 岩津天満宮 (2016年11月26日). 2020年4月9日閲覧。
- ^ 『神政連レポート 意』No.218、神道政治連盟、2022年9月1日。
- ^ “第2回「建国記念の日」刈谷奉祝祭”. 市原稲荷神社. 2024年2月2日閲覧。
- ^ “日本の未来を見据えて 岩津天満宮宮司 服部憲明” (PDF). 岩津天満宮. 2021年1月11日閲覧。
- ^ a b “神道政治連盟愛知県本部結成45周年記念総会開催” (PDF). 愛知県神社庁. 2021年1月11日閲覧。
- ^ “平成二十七年新春役員総会が開催さる”. 日本会議愛知 (2015年2月26日). 2021年1月11日閲覧。
- ^ “政治資金収支報告書 中根よしたか後援会(令和4年分 定期公表)”. 愛知県選挙管理委員会 (2023年11月28日). 2024年1月9日閲覧。
- ^ 山崎雅弘『日本会議―戦前回帰への情念』集英社〈集英社新書〉、2016年7月15日、227-228頁。ISBN 978-4087208429。
- ^ “いよいよ「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が設立”. 日本会議大阪 (2014年10月2日). 2024年1月12日閲覧。
- ^ “「責任持つ政治家か」 桜井よしこ氏が首相批判 改憲求める集会で”. 朝日新聞 (2023年11月27日). 2024年1月12日閲覧。
- ^ “「美しい日本の憲法を作る愛知県民の会」開催さる!”. 日本会議愛知 (2015年6月20日). 2021年1月17日閲覧。
- ^ “岩津天満宮”. 岡崎おでかけナビ. 岡崎市観光協会. 2022年1月5日閲覧。
参考文献
編集- 『岩津天満宮御神忌千百年大祭記念誌』岩津天満宮、2003年6月25日。
- 『神政連十五年史』神道政治連盟中央本部、1984年11月8日。
- 日本歴史地名大系(オンライン版)小学館:『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年 - 2002年 を基にしたデータベース。