戦後混乱期
第二次世界大戦終戦直後の日本の政治経済が混乱した時期
日本
編集→「連合国軍占領下の日本」も参照
日本で「戦後混乱期」というと、1945年(昭和20年)9月2日の第二次世界大戦(太平洋戦争)の終結から、1950年(昭和25年)6月25日に勃発した朝鮮戦争による特需景気(朝鮮特需)で経済復興の糸口を掴む頃までと見なすものが多い。
1945年8月15日から1952年4月28日までの、第二次世界大戦で敗れた結果としてGHQに占領されていた時期(占領時代とも呼ばれた)を指す場合もある。
特徴
編集この時期には、海外で生き残った旧日本軍兵士の復員や700万人にも及ぶ在外日本人の引き揚げもあり、庶民は合法的に配給された食糧だけでは生活財に事欠き生活が困難であり、焼け跡には闇市が立ち並んだ。「ギブ・ミー・チョコレート」が流行語になり、「パンパン」と呼ばれる街娼が登場したのもこの時代でもある。
占領状態から講和、主権回復の過程で労働運動など民衆運動が盛り上がり、松川事件・三鷹事件・下山事件の国鉄三大ミステリー事件も発生した。戦後最大の労働争議と言われる東宝争議が発生し、またGHQの中止命令で挫折したものの、1947年の2・1ゼネストが計画されたのはこの時期だった。日本共産党が武装闘争路線をとり、サンフランシスコ平和条約発効の3日後(1952年5月1日)に血のメーデー事件が発生したのもこの時期であった。
全国的に電力不足のため1946年11月に電気需給調整規則が公布されたが根本的な解決にはならず月曜日を休電日とする輪番停電を実施した。理美容業界では対策として月曜を休業日としたため、現在でも多くの理美容室は月曜日に休業している[1]。
政治の世界も、政党の離合集散が激しく、短期間で内閣が交代するなど混乱が続いた。
脚注
編集- ^ 理容店の定休日、なぜ月曜が多い? - 全国理容生活衛生同業組合連合会による解説