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水野久美

日本の女優、タレント

水野 久美みずの くみ[出典 1]1937年昭和12年〉[5][6]1月1日[出典 2] - )は、日本の女優タレント。本名は五十嵐 麻耶。高瀬プロダクションを経てオフィスPSCに所属。

みずの くみ
水野 久美
水野 久美
1958年
本名 五十嵐 麻耶
生年月日 (1937-01-01) 1937年1月1日(87歳)
出生地 日本の旗 日本新潟県三条市
身長 158 cm
血液型 A
ジャンル 女優タレント
活動期間 1957年 - 現在
活動内容 映画、テレビドラマ、舞台
配偶者
著名な家族 水野純一(長男)
事務所 オフィスPSC
主な作品
映画
テレビドラマ
備考
体重:48 kg
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来歴・人物

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新潟県[出典 3]三条市[11]出身。実家は写真館を経営[出典 4]新潟県立三条東高等学校卒業。

実家の隣が「三条座」という劇場であったことから、江利チエミ美空ひばりのショーや歌舞伎の演目などを観劇しているうちに役者を志すようになった[12]。シェイクスピア悲劇『リア王』のコーディリア姫役を中学で演じ、本物の涙を流す演技をしたことでますます「舞台への思い」が強くなり、高校在学中には演劇部に所属し、『源氏物語』の「末摘花」などの発表会では3年連続でヒロイン役を演じたほか[11]ティーンエイジャー向け雑誌・ジュニアそれいゆ主催によるミス・ジュニアそれいゆで1位に選出された。

 
映画世界社『映画ファン』昭和33年4月号より(1958年)

1955年、同郷の先輩で映画監督の家城巳代治の弟子であった「寺田」という人物に相談をしたところ、基礎的な部分をまずは磨かなくてはだめ、というアドバイスを受け、劇団俳優座の養成所を受験し、7期生として所属する[11]。同期には、俳優の田中邦衛山本學などがいた[11]

1957年松竹映画『気違い部落』の村田お光役でデビュー[出典 5]1958年東宝からの出演依頼を受け、専属契約が条件であったため、養成所の卒業公演終了後に移籍して専属契約を結ぶ[出典 6]。東宝では、上原美佐、三井美奈とともに、名前に「美」が入るスリー・ビューティーズとして売り出された[13][11]1959年、劇団俳優座養成所を第8期生として卒業[4][注釈 1]

まだ、海外渡航自由化の前だった1960年、同7月27日から8月2日まで開催されたカラカス東宝映画祭のため、南米ベネズエラを訪れている。続いて、アメリカ・ロサンゼルスで同8月5日に開館した東宝ラブレア劇場の開館式にも出席した。

当時の東宝映画では、サラリーマン映画などが主流で、OL役などでの出演が多かったが、水野本人はあまりこのジャンルが好きではなく、風変わりな人物を演じてみたいと思い、「主役ではなく、脇につく準主役を演じてみたい」と広報誌の取材で発言したことで、主役の話が来なくなったという。だが、会社に「癖のある役を演じてみたい」と懇願したことで、1960年の『独立愚連隊西へ』や1963年の『マタンゴ』といったアクションや特撮・怪獣ものへの出演が増えるようになった[11]

1963年、東宝を退社してフリーとなる[4]。以降、映画だけでなくテレビドラマや舞台など、多数に出演。「フランソワーズ・アルヌールに憧れている」、とある取材で発言したことで、その妖艶な美貌から「和製アルヌール」と呼ばれていた[出典 7]

1960年代は、特に妖艶なヴァンプ(妖婦)役として東宝特撮映画に多く出演した[出典 8]。それによる熱烈なファンは多く、海外からファンレターが送られてくるという。『怪獣大戦争』で演じた「X星人」は人気となり[2][16]1998年にはフィギュアが発売されている。『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』の監督を務めた福田純は、水野について普通の女優なら嫌がるようなことも文句を言わずにやってくれたと評している[17]。同作品では、当初ダヨ役に起用されていた高橋紀子がクランクイン直前に急性虫垂炎を患って降板したため、水野が代役を務めた[出典 9]。水野自身は、『マタンゴ』のような特殊な役を好んでいた[出典 10]

2002年の『ゴジラ×メカゴジラ』で36年ぶりにゴジラシリーズへ出演[15][19]。ゴジラシリーズでは初めて普通の日本人役を演じた[15]2004年の『ゴジラ FINAL WARS』においては『怪獣大戦争』での役名と同じ波川玲子役で出演した。

2012年、初の自伝『女優 水野久美 怪獣・アクション・メロドラマの妖星』(樋口尚文との共著 / 洋泉社)を刊行、これを記念して銀座シネパトスで「水野久美映画祭」が開催される。

2017年、第72回毎日映画コンクール田中絹代賞を受賞[5]

人物・エピソード

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私生活では、1966年に山本學と結婚するも後に離婚し、1973年C.A.Lプロデューサー五十嵐通夫と再婚したが、1999年に死別している。五十嵐との間には一人息子で長男の水野純一をもうけており、『ゴジラ×メカゴジラ』では俳優だった当時の彼と親子で共演している[15][注釈 2]。息子夫婦と同居しており、孫が一人いる。

元プロ野球選手・プロレスラーのジャイアント馬場とは同郷で、中学時代の後輩にあたる[12]。馬場が読売ジャイアンツに入団した際に対談して以来交友があり、水野の引っ越しを手伝ったこともあった[12]。上京後の下積み時代に同じアパートに住んでいたことがある。

『気違い部落』に出演後、卒業公演のため俳優座に戻るが、松竹からは卒業したら契約すると約束されていた[12]。しかし、具体的な話が進まず、そのころに東宝から『二人だけの橋』のオファーがあり、松竹にも相談し了承を得たうえで出演したが、実際には松竹側は激怒していたことを後から知り、人には裏表があることを学んだという[12]

俳優座時代にはさまざまなアルバイトに挑んでいたことから、女優になってどんな役が来ても理解が早かったという[12]。また金銭的に苦労したことから、金持ちの奥様役を嫌悪している[12]。東宝を退社した理由も、安定を嫌ったためであった[12]

陸上競技の経験が学生時代にあったことから、スタントマンを必要とする危険な芝居も吹き替えなしで演じたという[11]

特撮映画に多く出演していたころは、通常の人間ドラマとは違う楽しさがあり、この経験が活きる時が来ると考え、出演依頼には必ず応じていたという[19]。特撮映画へばかり出演することを馬鹿にする声もあったが、21世紀に入り特撮作品が映画として生き残っており、実際に自身の俳優人生にプラスであったといい「当時どんな役でも手を抜かずに一生懸命やってよかった」と語っている[19]

高所恐怖症のため、海外で行われる『怪獣大戦争』のサイン会やトークショーへの出演依頼を宝田明からされるが、長時間の飛行機移動を苦手としていたことから断っていたという[11]

出演

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映画

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テレビドラマ

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舞台

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バラエティー・教養番組

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他多数

吹き替え

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その他

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脚注

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注釈

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  1. ^ 入所時点では第7期生であったが、アルバイトで多忙になり単位が取れなかったという[12]
  2. ^ 直接の共演シーンはなかったが、前橋ロケで親子での記者会見を行った[15]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 東宝特撮映画全史 1983, p. 534, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  2. ^ a b 決定版ゴジラ入門 1992, p. 164, 「第5章 これがゴジラ映画だ 出演した人たち」
  3. ^ a b c d e f g h ゴジラ大百科 1993, p. 129, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  4. ^ a b c d e f g h ゴジラとともに 2016, p. 149, 「水野久美」
  5. ^ a b c d e f FWCP 2023, pp. 16–17, 「キャストインタビュー 水野久美」
  6. ^ a b c GTOM vol.28 2024, pp. 32–33, 「特別インタビュー 水野久美」
  7. ^ a b c 円谷英二特撮世界 2001, pp. 67–70, 「対談 佐原健二×水野久美」
  8. ^ a b c d e f g 東宝特撮女優大全集 2014, pp. 62–69, 聞き手:手塚昌明/構成:友井健人「水野久美インタビュー」
  9. ^ a b c d e f 超常識 2016, p. 122, 「Column ゴジラ映画 俳優FILE」
  10. ^ a b c d e 野村宏平、冬門稔弐「1月1日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、10頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n GTOM vol.0 2022, pp. 36–37, 「特別インタビュー 水野久美」
  12. ^ a b c d e f g h i j k ゴジラとともに 2016, pp. 150–161, 構成・文 友井健人「水野久美」(『映画秘宝』2011年6月号)
  13. ^ a b ゴジラ画報 1999, p. 109, 「Bonus Column 東宝美女軍団4 ヴァンパイヤ水野久美」
  14. ^ 切通理作本多猪四郎 無冠の巨匠』洋泉社 2014。本書の402pに『マタンゴ』の劇場パンフレットに水野を「日本のアルヌール」と紹介した文があると記載。
  15. ^ a b c d e 「ゴジラ×メカゴジラ用語辞典」『ゴジラ×メカゴジラ』朝日ソノラマファンタスティックコレクション〉、2002年12月30日、76頁。ISBN 4-257-03668-0 
  16. ^ ゴジラ画報 1999, p. 128, 「Bonus Column 東宝美女軍団7 ふたたび水野久美」
  17. ^ テレビマガジン特別編集 誕生40周年記念 ゴジラ大全集』構成・執筆:岩畠寿明(エープロダクション)、赤井政尚、講談社、1994年9月1日、152頁。ISBN 4-06-178417-X 
  18. ^ ゴジラ画報 1999, p. 135, 「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」
  19. ^ a b c d 東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION 2003, p. 26, 「[インタビュー] 水野久美」
  20. ^ a b c 東宝特撮映画全史 1983, pp. 536–538, 「主要特撮作品配役リスト」
  21. ^ a b ゴジラとともに 2016, pp. 162–168, 「水野久美ギャラリー」
  22. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 277, 「『ゴジラ×メカゴジラ』作品解説/俳優名鑑」
  23. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 285, 「『ゴジラ FINAL WARS』作品解説/俳優名鑑」
  24. ^ “片瀬那奈、上杉柊平、犬飼貴丈、柳美稀らが怪しげな役に 『24 JAPAN』キャスト13名一挙発表”. Real Sound (blueprint). (2020年8月24日). https://realsound.jp/movie/2020/08/post-606682.html 2020年8月24日閲覧。 
  25. ^ WEST.神山智洋主演のドラマ「白暮のクロニクル」スタート日が決定、ゲストは11名”. 映画ナタリー. ナターシャ (2024年1月25日). 2024年1月25日閲覧。

出典(リンク)

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参考文献

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  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 
  • 田中友幸『決定版ゴジラ入門』(第7刷)小学館〈小学館入門百科シリーズ142〉、1992年4月20日(原著1984年7月15日)。ISBN 4-09-220142-7 
  • 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一Gakken〈Gakken MOOK〉、1993年12月10日。 
  • 『ゴジラ画報 東宝幻想映画半世紀の歩み』(第3版)竹書房、1999年12月24日(原著1993年12月21日)。ISBN 4-8124-0581-5 
  • 『円谷英二特撮世界』勁文社、2001年8月10日。ISBN 4-7669-3848-8 
  • 『ゴジラ×メカゴジラ 2003』東宝〈東宝SF特撮映画シリーズ SPECIAL EDITION〉、2003年1月25日。ISBN 4-924609-83-8 
  • 『東宝特撮映画大全集』執筆:元山掌 松野本和弘 浅井和康 鈴木宣孝 加藤まさし、ヴィレッジブックス、2012年9月28日。ISBN 978-4-86491-013-2 
  • 別冊映画秘宝編集部 編『〈保存版〉別冊映画秘宝 東宝特撮女優大全集』洋泉社、2014年9月24日。ISBN 978-4-8003-0495-7 
  • 中村深海/著『永遠の東宝映画俳優』水野久美インタビュー くまがい書房、2014年
  • 『ゴジラの超常識』[協力] 東宝、双葉社、2016年7月24日(原著2014年7月6日)。ISBN 978-4-575-31156-3 
  • 別冊映画秘宝編集部 編『ゴジラとともに 東宝特撮VIPインタビュー集』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年9月21日。ISBN 978-4-8003-1050-7 
  • 講談社シリーズMOOK ゴジラ&東宝特撮 OFFICIAL MOOK(講談社)
  • 『ゴジラ FINAL WARS コンプリーション』ホビージャパン、2023年4月4日。ISBN 978-4-7986-3135-6 

外部リンク

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