立川勇次郎
明治・大正期の実業家
立川 勇次郎(たちかわ ゆうじろう、文久2年2月20日(1862年3月20日)[1] - 大正14年(1925年)12月14日[1])は、明治・大正期の実業家。主に電気業界に関わる。現在の岐阜県大垣市出身。京浜急行電鉄の創業者。
東芝の前立の白熱舎の創立にもかかわった。
略歴
編集美濃国大垣藩の藩士の清水垣右衛門の次男として生まれる[1]。1882年立川清助の養子となる[1]。東京で弁護士として活動した後、実業家へ転身[1]。
1898年(明治32年)、藤岡市助の助けをかりて大師電気鉄道(現京浜急行電鉄)を設立して代表に就任[1]。日本の電気鉄道の先駆けとなる。この成功から出身地の大垣からの要望を受け、岐阜県西濃地区の発展を考えるようになる。
やがて地元に戻り、1911年(明治44年)、養老鉄道を設立(同社が開業した養老線は後に近畿日本鉄道の路線となり、2007年10月から新たに設立された養老鉄道が運営している)[1][2]。
1912年(大正元年)、大垣を中心とした西濃地区の電力供給を目的として、揖斐川電力(現イビデン)設立[3]。初代社長となる[1]。
家族
編集その他
編集関連項目
編集脚注
編集外部リンク
編集- 実は京急電鉄の「兄弟」、養老鉄道の生き残り策 ルーツをさかのぼると両社の創業者は同じ(東洋経済オンライン 著者:森川孝郎 2019年4月20日)
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