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竹中 労(たけなか ろう、本名:たけなか つとむ、1928年3月30日[1]戸籍上では1930年5月30日[2][3] - 1991年5月19日)は、日本ルポライターアナーキスト評論家

竹中 労
(たけなか ろう)
誕生 1928年3月30日
東京府東京市牛込区
(現東京都新宿区
死没 (1991-05-19) 1991年5月19日(63歳没)
東京都千代田区
職業 ルポライターアナーキスト、よろず評判家
国籍 日本の旗 日本
活動期間 1959年 - 1991年
主題 芸能、政治
主な受賞歴 日本推理作家協会賞(1991年)
デビュー作 『団地七つの大罪』
ウィキポータル 文学
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東京都出身。甲府中学(現:山梨県立甲府第一高等学校)中退。「夢野京太郎」「ケンカ竹中」「反骨のルポライター」などの異名を持ち、芸能界や政界に斬り込む数々の問題作を世に送り出した。晩年にはを患うが、闘病しながら活動を続けた。

父はシュルレアリスムの画家として知られる竹中英太郎であり、彼の作品にも影響を与えた。妹の金子紫は「竹中英太郎記念館」の館長を務めており、兄と父の遺志を引き継ぐ形で活動を続けている。

竹中労はその人生を通じて社会の不条理や権力に対する鋭い批判を展開したが、晩年には癌を患いながらも執筆活動を続けた。彼の反骨精神とジャーナリズムへの情熱は、死後もなお多くの人々に影響を与え続けている。

年譜

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集英社に押しかけた(部落解放同盟の)代表のひとりは、掌をひろげて、「指が六本あるか!」としきりにいうのでした。何をバカなと、小生は虫酸のはしる思いがしました。この男は、部落解放運動半世紀の歴史を、最低の次元にまでひきずりおろしてみせたのです。おまけに、顔をなでて、「クロンボみたいに黒いか」とまでいう。黒人なら差別されて当然、とでもいうつもりか。このような愚か者が衆をたのんで出版社をおどし歩く、いったいこれが父親を感奮させた「水平社」のナレの果てかと、情なくてたまりませんでした[5]

エピソード

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  • 女性自身』で芸能担当ライターを始め、芸能ネタを得意とするようになった。また、芸能人、皇族、死者などの「手記」を大量に創作(代作)したという。[要出典]
  • 五木ひろし八代亜紀らを輩出した勝ち抜き形式の歌謡番組『全日本歌謡選手権』で審査員をしていた。
  • キネマ旬報」の取材などで、頻繁に東映の幹部・岡田茂の所に出入りして、映画の企画を提案するようになり、日本の当時の性風俗などを扱った映画が1969年の『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』を皮切りに「セックスドキュメントシリーズ」として7本、東映で映画化されている[6]
  • 1975年8月、新宿コマ劇場にてのイベント「のんすとっぷ24時間」で、台湾沖縄韓国の人々から戦争告発発言があったのに呼応し、浜田幸一中山正暉に「バッジのおじさん、恥ずかしくないか」と野次を飛ばしたところ、浜田が怒って「全然恥ずかしくないな。軍閥と自民党は関係ない!」「バッジをつけているのが恥ずかしいなんて言ったやつ、出てこいよ、おまえ」と反駁。竹中は「おまえ呼ばわりされる覚えはないのだ」と応じ、「おい、ハマコー、やるかァ!」と浜田に迫ったため、司会者に制止されて事なきを得た[7]
  • 『週刊読売』掲載「エライ人を斬る」コーナーにおいて佐藤寛子佐藤栄作夫人)を取り上げ、「庶民ぶるネコなで声の権勢欲夫人」と揶揄。佐藤側から名誉毀損で訴えると脅された『週刊読売』編集部は、1970年9月、一方的に連載を中止。激怒した竹中は佐藤寛子および務臺光雄読売新聞社社長(当時)を相手取って500万円と謝罪文掲載を要求する訴訟を東京地方裁判所に提起。8年後、読売側が謝罪文(公表しない条件)と慰謝料の支払いに応じて和解が成立した[8]
  • 1984年から国連ユニセフ親善大使に任命された黒柳徹子が、貧富の差が激しかったアフリカへ慰問に出向いた際、豪華に着飾って現地に赴いたことから「慈善行為にあるまじき格好、見当違いも甚だしい」と痛烈に批判した。この後も竹中は黒柳がアフリカに出向く度に黒柳に対したびたび批判を繰り返している。
  • 評論家と呼ばれることを嫌い、晩年は「よろず評判家」と名乗っていた。
  • 晩年は、テレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』のゲスト審査員を務めたが、出演バンドの中ではたまを高く評価し、密着インタビューを重ねて『「たま」の本』を上梓した。『EXテレビ』に出演した際には「たまは現代のビートルズだ」と語った。
  • 1990年夏に、『EXテレビ』の実験企画「低俗の限界」に出演、司会の島田紳助上岡龍太郎と対談を行った。3人はソファーに座り、それぞれの背もたれの部分には3人の全裸女性が座っており「肩車」の要領で頭で女性の股間を隠し「頭を一切動かせない」という設定の対談だった。
  • 噂の眞相』に、匿名作家「奥月宴」のポルノ小説のイラストとして皇族の合成ポルノ写真が掲載された「皇室ポルノ事件」に際しては、奥月の正体は竹中労ではないかと取り沙汰されたが、竹中の書生をしていた宮城賢秀は竹中説を否定している[9]

受賞歴

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著作

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  • 『団地七つの大罪 近代住宅の夢と現実』弘文堂フロンティア・ブックス、1964年12月。NDLJP:3024126 
  • 『処女喪失 未婚女性の性行動』弘文堂フロンティア・ブックス、1965年
  • 『美空ひばり 民衆の心をうたって二十年』弘文堂フロンティア・ブックス、1965年
  • 『呼び屋 その生態と興亡』弘文堂フロンティア・ブックス、1966年7月。NDLJP:3013175 
  • 『くたばれスター野郎! 芸能界こてんこてん』秋田書店 サンデー新書、1967年
  • 『浮気のレポート 一夫一婦制度への挑戦』秋田書店 サンデー新書、1967年
  • 『私の体験 喪失の悲しみをこえて』現代書房、1967年
  • 『タレント帝国:芸能プロの内幕』現代書房、1968年7月。NDLJP:2517588 、復刻版・あけび書房、2024年
  • 『山谷 都市反乱の原点』全国自治研修協会、1969年。新書判
  • 『芸能界をあばく』日新報道、1970年
  • 『スター36人斬り』実業之日本社 ホリデー新書、1970年
  • 『エライ人を斬る』三一書房、1971年
  • 『琉球共和国 汝花を武器とせよ』三一書房、1972年。ちくま文庫、2002年 
  • 『無頼と荊冠』三笠書房、1973年
  • 『ニッポン春歌行 もしくは「春歌と革命」』伝統と現代社、1973年
  • 『世界赤軍 夢野京太郎小説集』潮出版社、1973年
  • 『逆桃源行 風と水のリズムをアジアに求めて』山と渓谷社、1974年
  • 『日本映画縦断』全4巻、白川書院、1975年〜1976年
  • 『琉歌幻視行 島うたの世界』田畑書店、1975年
  • 鞍馬天狗のおじさんは 聞書アラカン一代』白川書院、1976年
  • 『浪人街/天明餓鬼草紙 夢野京太郎のシナリオ』白川書院、1977年
  • 『自由への証言』エフプロ出版、1977年
  • 『タレント残酷物語 スターを食いものにする悪い奴は誰だ』エール出版社、1979年
  • 『竹中労の右翼との対話』現代評論社、1981年
  • 『ルポ・ライター事始』日本ジャーナリスト専門学院、1981年。ちくま文庫、1999年、晩聲社、2020年
  • ザ・ビートルズレポート』白夜書房、1982年
  • 『聞書・庶民烈伝 牧口常三郎とその時代』全4巻、潮出版社、1983年〜1987年
  • 『仮面を剥ぐ 文闘への招待』幸洋出版、1983年
  • 『左右を斬る 続・文闘への招待』幸洋出版、1983年
  • 『人間を読む 必見・かい人21面相』幸洋出版、1985年
  • 『にっぽん情哥行』ミュージック・マガジン、1986年
  • 『「たま」の本』小学館、1990年
  • 『無頼の墓碑銘 せめて自らにだけは、恥なく暝りたい』ベストセラーズ、1991年8月。遺著
  • 『断影大杉栄』ちくま文庫、2000年
  • 『芸能人別帳』ちくま文庫、2001年
  • 『無頼の点鬼簿』ちくま文庫、2007年

編著

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  • 『見捨てられた在韓被爆者 日・韓両政府は彼らを見殺しにするのか』日新報道、1970年
  • 『法を裁く 日弁連山根処分・抗議運動の記録』耕索社、1980年11月
  • 『百怪、我が腸ニ入ル 竹中英太郎作品譜』三一書房、1990年

共著

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翻訳

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映画

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  • 団地七つの大罪(1964年) - 原作
  • 処女喪失(1965年) - 原作
  • にっぽん'69 セックス猟奇地帯(1969年) - 構成
  • キューバの恋人(1969年) - 企画仲介
  • 在韓被爆者 無告の二十六年 倭奴へ(1971年) - 企画
  • 沖縄やくざ戦争(1976年) - 琉歌指導
  • アジア懺悔行(1976年) - 制作
  • 大殺陣 にっぽん剣優列伝 (1976年) - 演出、脚本(夢野京太郎名義)
  • 山上伊太郎ここに眠る(1977年) - 監督、脚本、製作(夢野京太郎名義)
  • 戒厳令の夜(1980年) - プロデュース、脚本(夢野京太郎名義)
  • 俗物図鑑(1982年) - 出演

竹中について書かれた著作

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  • 鈴木義昭『風のアナキスト 竹中労』現代書館、1994年
  • 木村聖哉『竹中労・無頼の哀しみ』現代書館、1999年
  • 小浜司『島唄レコード百花繚乱』ボーダーインク、2009年
  • 大野光明「「沖縄との連帯」に現われるナショナリズムとその批判」『情況』2010年11月号、pp.17-31、情況出版
  • 鈴木邦男『竹中労 左右を越境するアナーキスト』河出書房新社、2011年

関連する人物

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脚注

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  1. ^ 『無頼と荊冠』11ページ
  2. ^ a b 『「たま」の本』14ページ
  3. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『竹中労』 - コトバンク
  4. ^ 竹中労『芸能の論理』p.52、幸洋出版、1982年。
  5. ^ 竹中労『エライ人を斬る』159-160頁
  6. ^ 春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』p.271-272、文藝春秋、2013年。
  7. ^ 木村聖哉『竹中労・無頼の哀しみ』p.5-6、現代書館、1999年。
  8. ^ 木村聖哉『竹中労・無頼の哀しみ』p.56、現代書館、1999年。
  9. ^ 山平重樹『最後の浪人 阿部勉伝』p.290-292

関連項目

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外部リンク

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