第一屋製パン
第一屋製パン株式会社(だいいちやせいパン)は、東京都小平市に本社を置く製パン会社。一般には商標の「第一パン(ロゴ上では『㐧一パン[注 1]』)」で知られる。
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | 第一パン |
本社所在地 |
日本 〒187-0031 東京都小平市小川東町3丁目6番1号 |
設立 |
1955年7月22日 (創業1947年5月16日) |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 8012701009955 |
事業内容 | パン、和洋菓子、クッキーなどの製造販売 |
代表者 | 代表取締役社長 細貝正統 |
資本金 | 33億556万7500円 |
発行済株式総数 |
6,929,900株 (2017年7月1日に10株を1株に株式併合) |
売上高 |
連結:264億42百万円 (2023年12月期) |
営業利益 |
連結:5億97百万円 (2023年12月期) |
経常利益 |
連結:6億17百万円 (2023年12月期) |
純利益 |
連結:4億74百万円 (2023年12月期) |
純資産 |
連結:80億67百万円 (2024年6月30日現在) |
総資産 |
連結:155億10百万円 (2024年6月30日現在) |
従業員数 |
連結865人 (2023年12月31日現在) |
決算期 | 12月31日 |
主要株主 |
豊田通商株式会社 33.43% MP資産管理合同会社 4.33% 細貝 理栄 4.26% 株式会社みずほ銀行 3.44% (2023年12月31日現在) |
主要子会社 |
スリースター製菓株式会社 100% 株式会社ベーカリープチ 100% 株式会社ファースト・ロジスティックス 100% |
関係する人物 | 細貝義雄(創業者) |
外部リンク | https://www.daiichipan.co.jp/ |
特記事項:豊田通商株式会社連結企業 |
概要
編集製パン業界では山崎製パン、フジパン、敷島製パンに次ぎ、2022年-2023年度の売上高は第4位である[1]。
ただし、2023年度売上首位である山崎製パンの売上高が1兆1,755億62百万円[2]、3位の敷島製パンの売上高が1,617億4百万円なのに対し[3]、第一屋製パンの売上高は264億42百万円[4]と、上位三社とは大きな差がある。豊田通商グループ会社[5]。
主力商圏は競争の激しい関東・関西が中心であるが、北は北関東・新潟県から西は中国・四国地方まで商圏がある。沖縄県那覇市にも「第一パン」は存在するが[6]、こちらの「第一パン」の正式名称は「株式会社第一パン」であり、関連性は特にない。
連結売上高に占める比率は2017年(平成29年)現在、パン部門(菓子パン含む)75.5%、和菓子部門13.6%、その他部門10.9%[7]。かつては米飯事業にも手を出していたが、現在は撤退している。なお、2023年(令和5年)の販売実績は、パン部門73.9%、和洋菓子部門16.7%、その他部門8.7%、不動産事業0.6%となっている[8]。
子会社は主にクッキーなどを生産するスリースター製菓[9]、もともとは第一屋製パンの物流・ルート配送部門であったファースト・ロジスティックスなどがある[10]。2007年(平成19年)までは米飯・調理パン部門であるフレッシュハウスという子会社が存在していたが、当部門の業績悪化のためにカネ美食品などに譲渡・撤退しており[11]、現存しない。冷蔵生地を供給していた子会社のベーカリープチは、後述の横浜工場閉鎖に伴い2022年12月に事業活動を停止している[12]。
1947年(昭和22年)6月、京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)雑色駅前の大田区仲六郷にて「第一屋菓子店」創業[13]。新潟県六日市村(現在の新潟県長岡市六日市町)出身の創業者・細貝義雄は、尋常小学校卒業後の1928年(昭和3年)からパン職人としてのキャリアを積んでいたが[14]、当時は配給制度下で自由にパンを製造できる環境になかったこともあり、創業時の「第一屋」はアイスキャンデー店であった[13]。同年9月食糧営団のパン代位販売店となる[13]。
1948年(昭和23年)よりパンの委託加工販売を開始し、同年8月合資会社第一屋設立。1949年(昭和24年)には東京都指定パン工場となり、配給パンの製造を開始している[15]。食糧配給公団が解散し、パン販売が自由化された1952年(昭和27年)には新工場に中種法(ファシー法)[16]を導入するなど、当時最先端の製パン技術が用いられていた[17]。
パン食の普及とともに、積極的に大規模工場の増設や国内外で同業他社の買収を行う一方、1955年(昭和30年)の株式会社化の後も資本金を継続的に増強し、東証、大証へ上場[18]。
業績とともに会社規模を拡大し続け、1966年(昭和41年)には細貝社長が社団法人日本パン工業会の副会長に就任するなど、製パン業大手にまで成長した第一屋製パンであったが、昭和40年代に入り、食品流通・小売の主流が従来の小規模小売店から大手スーパー中心へと大きく様変わりしたことにうまく対応できなかったことに加え[19]、国内パン市場も飽和したかのごとき状況[20]になったところに第二次石油危機が起こり、以後長く続く構造不況型のジリ貧に陥ることになる。
昭和50年代、同じく原価高騰を受け、値上げした山崎製パンとは当時ほぼ同じシェアで並ぶこともあったが、その後、山崎製パンは価格高騰を吸収して利益を出しており、両社の明暗を表している。
1971年(昭和46年)にはアメリカ・マクドナルド社、藤田商店とともに日本マクドナルドの設立時の出資者になり、日本マクドナルドの使用するバンズを100%提供するなど先見的な取組を行っていたが、日本マクドナルド社から工場のバンズ専用化(工場建屋の分離)を要求されたことをきっかけとして、1973年(昭和48年)には日本マクドナルド社の持株全部を藤田商店に売却し、関係を絶っている[21]。
創業以来独立を貫いていたが、2009年(平成21年)12月22日、豊田通商を引受先とする第三者割当増資の新株発行を行うことを発表。翌年から豊田通商の持分法適用会社となった[22]。
創業者・細貝義雄の息子の細貝理栄が2014年(平成26年)1月1日に会長となって以降、代表取締役社長や取締役は大株主の豊田通商より招聘していたが、2019年1月1日より細貝理栄の息子の細貝正統が代表取締役社長である。2023年1月1日付で細貝理栄は代表権のある会長の座を退いて名誉会長になっている[23]。
製パン会社の中ではキャラクター商品の先駆者であり、ポケモン、スーパー戦隊シリーズ、プリキュアシリーズ[注 2]など数多く手がけている。
1998年(平成10年)6月に発売したポケモンパンシリーズはロングラン・ヒット商品で、看板商品となっている。当初は山崎製パンが手がける予定だったが、1997年(平成9年)12月にテレビ東京にてポケモンのアニメの放映中にてんかん事故(ポケモンショック)が起き、それを理由に山崎製パンが撤退したことにより、手がけることになった。
2011年秋より、『クロスファイト ビーダマン』の販売権を同社が担当しており、キャラクター商品を発売していた。その後は『メタルファイト ベイブレード ZEROG』から撤退した山崎製パンに代わり、『ビーストサーガ』のキャラクター商品から販売権を譲り受けた。これにより、山崎製パンは『ベイブレードバースト』シリーズからキャラクター商品の販売権を復帰した。
第60期(2001年(平成13年)1月 - 12月31日)から継続して営業損失を計上するなど、業績は長期間続けて赤字で低迷しており、2007年(平成19年)には米飯・調理パン部門から撤退[11]。
その上で2009年度までに営業所を全て閉鎖し、閉鎖した営業所が担当している配送エリアについては他社との共同配送で対応し、物流コストを削減する予定であった[24](実際に静岡営業所を2007年(平成19年)3月に閉鎖して同業他社との共同配送を開始している。)。
2008年(平成20年)6月末現在で単体ベースで従業員数が994人と、一般に「大企業」と呼ばれる従業員数の1000人を割り込み、かなりの規模を縮小している[25]。同年ハワイにある子会社「第一屋ラブスベーカリー・インコーポレイテッド」を現地法人に譲渡[25]。これにより事業は海外から撤退し、国内のみとなる。
2009年(平成21年)1月1日付で仙台工場を白石食品工業に売却し[26]、東北地方での製造と販売から撤退した(ただし、ポケモンパンについては、第一パンからの委託製造〈エリアフランチャイズ〉を受ける形で引き続き製造している[注 3]。このため、第一パンが実施しているポケモンパンのデコキャラシール封入やプレゼントキャンペーンへの応募なども行われている。)。同年6月、賃借料の削減のため、本社を小平工場の敷地内に移転[27]。
2010年(平成22年)1月27日、豊田通商の持分法適用会社となる[22]。それに伴い生産方式として採用されたDPS(Daiichi-pan Production System。TPS(トヨタ生産方式)を置き換えたもの)など生産現場のカイゼンの効果もあって、72期(2013年)に黒字化してから76期(2017年)までは連続して営業利益を出していた[28]。
しかし、77期(2018年)以降は一転して81期(2022年)まで赤字が続き、80期(2021年)からは継続企業の前提に関する注記が決算短信に記載されるに至った[29]。
2022年(令和4年)12月31日、生産拠点集約に伴い横浜工場を閉鎖[30]。横浜工場閉鎖に伴い、同地に所在していた子会社のベーカリープチも事業活動を停止している[12]。横浜工場跡地は、工場建屋解体後ヤマダデンキに事業用定期借地の形で賃貸し[31]、ヤマダデンキのTecc LIFE SELECT[1]New 横浜本店(鉄骨造4階建て、敷地面積13,754㎡、延床面積29,843㎡[32]。2025年春開業)となる予定である[33]。
横浜工場閉鎖による生産拠点集約化、配送コースの再編、遠方エリアにおける共同配送の推進による配送費の抑制・効率化を進める一方、低採算製品の販売抑制、高採算製品の販売促進等により、売上原価・販管費の大幅な削減を達成したことで、82期(2023年)になってようやく黒字化に成功[34][35][36]。後述の賃貸用不動産売却による財務改善効果もあって、2023年12月期決算短信では継続企業の前提に関する注記がなくなっている[37]。
2023年(令和5年)1月1日、神奈川県横浜市都筑区に横浜営業所を開設。同日、細貝理栄代表取締役会長が代表権のない取締役名誉会長になる[23]とともに、これまでの本部制を廃止し、細貝正統代表取締役社長及び小山一郎[38]取締役副社長(豊田通商から出向)[39]直下に各部門が位置する文鎮型に組織変更した[40]。
2024年(令和6年)5月31日、所有していた賃貸用不動産(松戸市松飛台)を売却[41]。これにより有利子負債の大半を返済している[42]。
年表
編集- 1947年(昭和22年) - 創業者・細貝義雄が東京都大田区東六郷に第一屋菓子店開業。創業当時は主にアイスキャンディーを製造・販売。
- 1948年(昭和23年) - 合資会社第一屋設立。
- 1955年(昭和30年) - 第一屋製パン株式会社設立。
- 1957年(昭和32年) - 第一屋製パン労働組合が発足。
- 1958年(昭和33年) - 長期のアメリカ、ヨーロッパ視察。アメリカでは連続製パンプロセス[45]に強い関心をもつ一方、フランスパンそのものはともかくフランスの製造設備には見るべきものが少なく、むしろドイツのパンとケーキに見るべきものがあったという[46]。
- 1959年(昭和34年) - 初めてテレビCMを放映。
- 1962年(昭和37年) - 東証二部に上場。新横浜製パン工場建設に際し、アメリカ式の連続製パンプロセス導入を断念する。ヨウ素酸カリウムの添加が必須であったにもかかわらず、我が国では許可されていないことが理由だという[47][48]。
- 1970年(昭和45年) - 東証一部に指定替え。
- 1972年(昭和47年) - 日本タンパク工業(のちのフレッシュハウス)を日商岩井より買収。
- 1974年(昭和49年) - 小平工場完成。三鷹工場閉鎖。子会社スリースター製菓株式会社設立。資本金9900万円。
- 1977年(昭和52年) - 金町食パン工場完成。
- 1980年(昭和55年) - 仙台工場完成。
- 1981年(昭和56年) - 米・ハワイの「ラブスベーカリー」を552万ドルで買収。「第一屋・ラブスベーカリー」(のちの「第一屋ラブスベーカリー・インコーポレイテッド」)設立。
- 1985年(昭和60年) - 細貝理栄が2代目社長に就任。創業者の細貝義雄は会長に就任。
- 1990年(平成2年) - 日本タンパク工業で調理パン製造開始。バラエティストア(現:アウトレット・イフ)本社店開店。
- 1996年(平成8年) - 従業員100人希望退職。この年より業績低迷。
- 1998年(平成10年) - ポケモンパン発売開始。
- 1999年(平成11年) - 工場直営店の「バラエティストア」を「アウトレット・イフ」に変更。
- 2000年(平成12年) - 本社を大田区南蒲田に移転。本社工場は閉鎖。
- 2007年(平成19年) - 米飯事業撤退のため、大阪工場、松戸工場閉鎖。子会社の株式会社フレッシュハウスを閉鎖。
- 2009年(平成21年) - 仙台工場を白石食品工業に譲渡。東北地方から撤退。本社を小平工場の敷地内に移転。
- 2010年(平成22年) - 豊田通商に対して第三者割当増資を実施、豊田通商の持分法適用会社となる。
- 2014年(平成26年) - 豊田通商より招聘した門脇宜人が代表取締役社長に就任。細貝理栄は代表取締役会長に就任(以後2022年末まで代表取締役会長)。
- 2016年(平成28年) - 豊田通商から派遣された前川智範(マッキンゼー出身[49])が代表取締役社長に就任。
- 2019年(平成31年/令和元年) - 1月1日 細貝正統が代表取締役社長に就任。
- 2022年(令和4年) - 4月 東京証券取引所の市場区分の見直しにより市場第一部からスタンダード市場へ移行。12月31日 生産拠点の集約に伴い、横浜工場閉鎖。
- 2023年(令和5年) - 1月1日 横浜市都筑区に横浜営業所開設。同日、細貝理栄代表取締役会長は代表権のない取締役名誉会長になる。
歴代社長
編集事業所
編集工場
編集直売店
編集「ベーカリーアウトレット iF」という名称で展開。規格外品・形に難がある商品等を値引き販売。
- 金町店 - 金町工場敷地隣接
- 小平店 - 小平工場隣接
- 高崎店 - 高崎工場隣接
- 大阪空港店 - 大阪空港工場隣接
閉鎖された工場(子会社は除く)
編集- 横浜工場(神奈川県横浜市戸塚区) - 2022年12月末閉鎖。工場解体後、跡地をヤマダデンキに賃貸。
- 松戸工場(千葉県松戸市) - カネ美食品に譲渡。
- 大阪工場(大阪府八尾市) - 売却。
- 宇都宮工場(栃木県宇都宮市) - 宇都宮清原工業団地参照。
- 仙台工場(宮城県黒川郡大和町) - 白石食品工業に譲渡。
- 本社工場(東京都大田区) - 東京都に売却(現在は東京都立六郷工科高等学校)。
営業所
編集かつて存在していた営業所
編集主な商品
編集食パン
編集- モーニングシェフ
- モーニングセレクション
- ホテルの朝
- 発芽玄米食パン - ファンケル発芽玄米を使用
菓子パン
編集- アップルリング
- アップルリングミニ
- マロンリング
- 手包みシリーズ(メロンパン・クリームパン・ジャムパン・北海道あんぱん・こしあんぱん・栗あんぱん)
- ホテルカレー
- 横浜あんぱん物語(小倉・こしなど)
- 一口包みソーセージ
- 白玉&小倉5個入
- アップル&カスター5個入
食卓ロール
編集- バターロール
- レーズンバターロール
- トーストするだけメープル風味
キャラクター
編集- ポケモンパンシリーズ
- ドラえもん
- ハローキティ
- シナモロール
- 鉄腕アトム
- ウルトラマンコスモス
- ウルトラマンマックス
- どうぶつの森シリーズ
- クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!
- スーパー戦隊シリーズ(『獣電戦隊キョウリュウジャー』から『宇宙戦隊キュウレンジャー』まで)(以前はクリスマスケーキ(キャラデコ)のみ販売されていた。)
- プリキュアシリーズ(『ドキドキ!プリキュア』以降)(同上)[注 2]
- クロスファイト ビーダマンシリーズ
- ビーストサーガ
- プリパラ
- カミワザ・ワンダ
- トミカハイパーレスキュー ドライブヘッド 機動救急警察(次作では山崎製パンに販売権を譲渡)
- 新幹線変形ロボ シンカリオンシリーズ(2018年、2021年、2024年)
- 名探偵コナン
- ミニオン
- モンスターストライク
- くまモン
- リラックマ
- もっと!まじめにふまじめ かいけつゾロリ
それ以外のタイアップもの
編集- アントニオ猪木シリーズ
- ラモスシリーズ
- ラ・ベットラ
- TIM(お笑い芸人)
- カレーの王様タイアップシリーズ
- バーモントカレーパン・ジャワカレーパン(ハウス食品)
- トンちゃんシリーズ(ソントン食品工業のキャラクター)
- サクマのいちごミルクパン
- ダイドーブレンドコーヒーコラボパン
- カリーライス専門店 エチオピア監修シリーズ[50]
※同社は製パン業界のキャラクターシリーズの先駆者である。
過去に発売していた商品(現在は終了)
編集その他
編集- 「デザインバーコード」を製パン業者ではじめて用いた。(サークルKサンクス アスカルビーのジャムパン)
- テレビ番組では、「ウルトラマンコスモス」(TBSテレビ)や「ポケットモンスター」(テレビ東京系)など他の番組で、スポンサーとして放送されている[注 4]。
- 創業者の細貝義雄がやなせたかしと親交があったことから1976年に「アンパンマン」をマスコットキャラクターとして起用していた[51]。
- マクドナルドの日本進出当初、バンズの供給を一手に引き受けていたが、日本マクドナルド側が専用工場もしくは専用生産ラインの設置と専用流通網の構築を要求したが第一パン側が拒否したため、1978年9月末をもって契約を解除しそれ以降はフジパン他数社が供給している。なお、第一パンはその後バンズの供給先をロッテリアに切り替えている。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 「「パン業界のランキングや動向、現状などを研究」 パン業界 売上トップ5(2022-2023年)」業界動向サーチ 2024年05月31日
- ^ 「2023年12月期 決算短信」山崎製パン株式会社 2024年2月14日
- ^ 「会社概要」敷島製パン株式会社
- ^ 「2023年12月期 決算短信」第一屋製パン株式会社 2024年2月14日
- ^ “主な関連会社(ライフスタイル)”. 豊田通商株式会社. 2024年5月24日閲覧。
- ^ 株式会社第一パン 会社概要(沖縄県那覇市、法人番号:4360001001321、2022年4月2日閲覧)
- ^ 「第76期有価証券報告書」第一屋製パン株式会社
- ^ 「第一屋製パン有価証券報告書第82期」
- ^ 「スリースター製菓株式会社の情報」官報決算データベース
- ^ 「会社概要」第一屋製パン株式会社
- ^ a b 「第66期有価証券報告書」第一屋製パン株式会社
- ^ a b 「第一屋製パン株式会社 第82期有価証券報告書」
- ^ a b c 『おいしさに まごころこめて 第一パン45年のあゆみ』 第一屋製パン株式会社 1994年6月1日 336頁
- ^ 『おいしさに まごころこめて 第一パン45年のあゆみ』 第一屋製パン株式会社 1994年6月1日 335頁
- ^ 『おいしさに まごころこめて 第一パン45年のあゆみ』 第一屋製パン株式会社 1994年6月1日 337頁
- ^ 「辻調おいしいネット レシピ 角食パン(中種法)」辻調グループ
- ^ 『おいしさに まごころこめて 第一パン45年のあゆみ』 第一屋製パン株式会社 1994年6月1日 73頁
- ^ 「沿革」第一屋製パン株式会社
- ^ 昭和30年代から40年代にかけての販売店獲得競争は熾烈を極めており、1959年(昭和34年)には、第一屋製パンでも昭和堂(現ポンパドウル)とのあいだで公正取引委員会への提訴にまで至る紛争が生じた。その一方で、西友ストアおよびニチイの誕生(1963年(昭和38年))、ダイエーの首都圏進出(1964年(昭和39年))といった将来的な流通をゆるがす事態が生じ始めていた。この時期、第一屋製パン内部でも、営業方針につき「展開主義」(小売店の数的拡大に重点を置く)か「重点主義」(有力小売店の確保に重点を置く)かについての論争が行われたが、1963年(昭和38年)、社長は「展開主義」を営業の基本方針と定めた。「パンは最寄り商品であり、販売店の数は多いほどよい」との考えからである。こうした「展開主義」の方針に基づき、1966年(昭和41年)、販売店組織である「彦左会」が結成され、営業はこの「彦左会」会員を中心としたものとなった。食品流通・小売の主流が従来の小規模小売店から大手や中規模スーパー中心へと大きく様変わりしていく中で、第一屋製パンではスーパーからのパンを特売商品に据えるための値引き要請等に対し、「彦左会」からのつきあげもあって、特売用の出荷値引きや出荷増量に応じない対応を取っていた。1974年(昭和49年)になって、ようやく「小規模小売店との取引整理、スーパーへの納入確保のための重点攻撃、小規模小売店へのリベート低減、大手スーパー向け商品開発」などからなる「営業新方針」が策定されるとともに、営業体制の向上に向けたさまざまな試行錯誤が行われたが、結果的にはむしろ営業職員の士気低下をもたらし、長期的にシェアを落としていくことになった。 『おいしさに まごころこめて 第一パン45年のあゆみ』 第一屋製パン株式会社 1994年6月1日 111、178、186、235頁
- ^ 『おいしさに まごころこめて 第一パン45年のあゆみ』 第一屋製パン株式会社 1994年6月1日 266頁
- ^ 『おいしさに まごころこめて 第一パン45年のあゆみ』 第一屋製パン株式会社 1994年6月1日 200頁
- ^ a b 「第68期報告書」第一屋製パン株式会社 2010年3月
- ^ a b 「役員の異動及び人事異動に関するお知らせ」第一屋製パン株式会社 2022年12月13日
- ^ 「「第一屋製パン/共同配送方式拡大、地域に合った方式を検討」」流通ニュース 2008年8月17日
- ^ a b 「第67期中間 半期報告書」第一屋製パン株式会社
- ^ 「第67期 有価証券報告書」第一屋製パン株式会社
- ^ 「第69期 有価証券報告書」第一屋製パン株式会社
- ^ 「76期 有価証券報告書」第一屋製パン株式会社 2018年3月29日
- ^ 「2021年12月期 決算短信」第一屋製パン株式会社 2022年2月18日
- ^ 「通期業績予想の修正及び特別損失の計上に関するお知らせ」 第一屋製パン株式会社 2022年8月15日
- ^ 「事業用定期借地権設定契約の締結に関するお知らせ」 第一屋製パン株式会社 2022年12月23日
- ^ 「(仮称)ライフセレクトNEW横浜本店新築工事」建築工事のお知らせ看板情報 首都圏
- ^ 「ヤマダデンキ 第一パン横浜工場跡地に店舗」建通新聞2023年10月31日
- ^ 「2215 第一屋製パン」株主プロ 有価証券報告書
- ^ 「業績予想レポート 2215 第一屋製パン」PERAGARU 2024年7月3日
- ^ 「2024年12月期第2四半期決算後レポート 2215 第一屋製パン」PERAGARU 2024年9月20日
- ^ 「2023年12月期 決算短信」第一屋製パン株式会社 2024年2月14日
- ^ 「2215 第一屋製パン 役員の状況 小山一郎」IR BANK
- ^ 「老舗パンメーカーが「営業スキルの可視化」によって売上伸長を達成!~属人化から脱した営業組織の変化が企業文化にまでつながる効果的手法~」ProSharing Consulting 2021年12月1日
- ^ 「第一屋製パン株式会社 有価証券報告書第81期」EDINET
- ^ 「固定資産の譲渡及び特別利益の計上見込みに関するお知らせ」第一屋製パン株式会社 2024年5月29日
- ^ 「2024年12月期第2四半期(中間期)決算短信」第一屋製パン株式会社 2024年8月14日
- ^ 「第一屋製パンは、復配に時間がかかりそうだ カリスマ経営者が抜けた会社は注意が必要」東洋経済ONLINE 2016年4月14日
- ^ 「「株主優待制度廃止に関するお知らせ」について」第一屋製パン株式会社 2021年9月1日
- ^ 『おいしさに まごころこめて 第一パン45年のあゆみ』 第一屋製パン株式会社 1994年6月1日 104頁 『パンニュース』(昭和33年11月10日)に掲載された、木村陽治郎新興パン組合理事長にあてた細貝社長(当時)の手紙には、次のような感激の文言があるという。「連続製パンはすばらしく、①色が白い、②きめが細かい、③焼き色がいい、④老化が遅く一週間は柔らかい、⑤水分を七七%も入れられる、⑥しかも水パンの感じは全然ない、⑦食べておいしい、⑧衛生的である。」
- ^ 『おいしさに まごころこめて 第一パン45年のあゆみ』 第一屋製パン株式会社 1994年6月1日 104頁
- ^ 『おいしさに まごころこめて 第一パン45年のあゆみ』 第一屋製パン株式会社 1994年6月1日 130頁
- ^ 『おいしさに まごころこめて 第一パン45年のあゆみ』 第一屋製パン株式会社 1994年6月1日 210-211頁 数年の月日をかけて検討を重ねた連続製パンプロセス導入断念の理由として、『てぽん』昭和44年1月1日号に、細貝社長(当時)の次のような言葉がある。 「当社内部でも、ヨウ素酸カリを使用しても証拠は残らないから使うべきだという強硬派もいたが、私はこれをやめさせた。現在、我が国でもこれを使っているところがあると側聞している。しかし、私は台所をあずかる企業として、たとえ無害であっても禁止されている薬剤は使うべきではないと思う。」
- ^ 「第一屋製パン社長に前川氏」日本経済新聞 2015年10月30日
- ^ “第一パン「カリーライス専門店 エチオピア」監修の「チキンカリーパン」「焼きビーフカリーパン」を発売”. グルメWatch(株式会社インプレス). 2023年4月4日閲覧。
- ^ イデア探検隊ビジネス班『ポケモンの成功法則 キャラクタービジネスの舞台裏を徹底分析』東洋経済新報社、2001年、205-206頁。ISBN 4-492-52117-8
外部リンク
編集- 公式サイト
- 主な関連会社(食料・生活産業) | 会社情報 | 豊田通商株式会社 (豊田通商)
- 第一屋製パン (@daiichiyaseipan) - X(旧Twitter)