肝付兼伯
肝付 兼伯(きもつき かねたか)は、江戸時代中期の薩摩藩士。喜入肝付氏7代当主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保11年(1726年) |
死没 | 宝暦11年11月19日(1761年12月14日) |
別名 | 通称:弾正、主殿 |
主君 | 島津継豊→宗信→重年→重豪 |
藩 | 薩摩喜入領主 |
氏族 | 喜入肝付氏 |
父母 | 父:肝付兼逵、母:北郷久嘉娘 |
妻 | 正室:島津継豊娘 |
子 | 兼満 |
喜入肝付氏は肝付氏12代・肝付兼忠の三男・兼光を祖とする庶流。
享保11年(1726年)、肝付兼逵の子として生まれる。元文2年(1737年)、元服する。元文4年(1739年)、父の死去により家督を相続する。
延享元年(1744年)、火消奉行となる。延享3年(1746年)、幕府巡見使を領内に迎える。延享4年(1747年)、百次地頭職。宝暦元年(1751年)、大御所徳川吉宗薨去の際に、弔問使として江戸に下る。宝暦3年(1753年)、藩主・継豊の謝恩使として江戸に下り、江戸城で将軍・家重に拝謁する。宝暦8年(1758年)、加久藤地頭職。宝暦9年(1759年)、寺社奉行。
宝暦11年(1761年)11月19日没。享年36。
参考文献
編集- 「喜入村郷土史」