膝折宿
概要
編集膝折の名は、賊に追われた小栗助重が鬼鹿毛という名の馬に乗って当地まで逃れてきたところで、鬼鹿毛が膝を折って死んだことに由来すると伝えられる[1]。室町時代には既に宿駅としての機能を持ち、市が立って商人が集まった[2]。
近世には川越街道4番目の宿場として、平林寺や仙波東照宮の参拝客、川越藩の参勤交代などで賑わいを見せた[3]。白子宿、大和田宿のいずれからも33町の距離で、万治3年(1660年)の検地帳によると、本陣・脇本陣を中心に39の商家があった[2]。脇本陣だった村田屋が現存する。本陣の跡地は膝折郵便局(膝折町2-4)となっている。1932年までは自治体として膝折村が存在していたが、町制施行の際に改称し朝霞町となった(1967年市制施行)。川越街道には対になる地名として脚折があり、現在も鶴ヶ島市に残る。
隣の宿
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 新編武蔵風土記稿 膝折宿.
- ^ a b 日本歴史地名大系、平凡社
- ^ 黒目川と沿川の魅力 - ウェイバックマシン(2016年9月16日アーカイブ分)
- ^ 江戸名所図会 1927, p. 77.
参考文献
編集関連文献
編集- 斎藤長秋 編「巻之四 天権之部 膝折里」『江戸名所図会』 3巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、68-69頁。NDLJP:1174157/39。