鍋島茂正
鍋島 茂正(なべしま しげまさ)は、江戸時代前期から中期にかけての武士。肥前国佐賀藩士。武雄鍋島家5代当主。24代佐賀藩自治領武雄領主。文献の中では鍋島十左衛門の名で呼ばれることが多い。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛文5年5月2日(1665年6月13日) |
死没 | 享保13年10月2日(1728年11月3日) |
改名 | 武松(幼名)、茂正 |
別名 | 十左衛門 |
墓所 | 佐賀県武雄市の円応寺 |
主君 | 鍋島吉茂 |
藩 | 肥前佐賀藩 |
氏族 | 武雄鍋島氏 |
父母 | 鍋島茂紀 |
兄弟 | 茂正、茂昭 |
妻 | 鍋島光茂娘 |
子 | 茂住 |
生涯
編集寛文5年(1665年)、23代武雄領主・鍋島茂紀の子として誕生。
正徳2年(1712年)、藩財政(蔵入方)を統括する勝手方頭人に任ぜられている。享保11年(1726年)3月、火災により佐賀城が焼失した際、後多久氏、諫早氏と共に俸禄の半額を献上する旨を申し出て、3年間で3割ずつ献納するよう許可されている。嫡子・茂住が享保3年(1718年)2月に死去したため、茂正の弟・茂昭が武雄領主の家督を相続している。
享保13年(1728年)、死去。