飛鳥井雅春
戦国時代から安土桃山時代の公卿。母は丹波親康(正三位)の娘。正二位・権大納言。飛鳥井家11代。出家
飛鳥井 雅春(あすかい まさはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿。権大納言・飛鳥井雅綱の子。官位は正二位・権大納言。飛鳥井家11代当主。初名は雅教(まさのり)、号は重雅・自庵[1]。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 永正17年9月22日(1520年11月2日) |
死没 | 文禄3年1月12日(1594年3月3日) |
改名 | 雅教(初名)→雅春 |
別名 | 重雅・自庵 |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 後柏原天皇→後奈良天皇→正親町天皇 |
氏族 | 飛鳥井家 |
父母 | 父:飛鳥井雅綱、母:丹波親康の娘 |
兄弟 | 覚澄、喜雲、雅春、尭慧、宗禎、遠山、水本、雅厳、重茂、経範室、朽木晴綱正室、目々典侍、女子 |
妻 | 一色義清女 |
子 |
松木宗満、雅敦、一色龍雲 養子:西洞院時慶 |
経歴
編集永正17年(1520年)、飛鳥井雅綱の子として誕生。大永4年(1524年)12月叙爵、天文1元年(1532年)12月に元服[1]。
父とともに駿河国・越中国など戦国大名の分国に下向することも多かった。永禄4年(1561年)から翌年にかけて伊達晴宗を訪問して蹴鞠を伝授し、天正4年(1576年)と同6年(1578年)には北条氏政を訪れて家臣の板部岡江雪斎や安藤清広に歌書を与えている[1]。
天正6年(1578年)8月7日に子・雅敦が早世した。天正10年(1582年)、雅春と改名する。天正12年(1584年)に全ての官職を辞退した。
官歴
編集※ 日付は旧暦
- 1524年(大永4年)12月12日、従五位下に叙す。
- 1532年(天文元年)
- 1535年(天文4年)6月26日、左近衛少将に転任。
- 1536年(天文5年)2月21日、正五位下に昇叙。
- 1538年(天文7年)3月8日、駿河介を兼ねる。
- 1539年(天文8年)
- 1542年(天文11年)1月5日、従四位上に昇叙。
- 1544年(天文13年)3月19日、駿河介から丹波介に転任。
- 1545年(天文14年)1月5日、正四位下に昇叙。
- 1548年(天文17年)
- 1549年(天文18年)
- 1552年(天文21年)1月9日、正三位に昇叙。
- 1557年(弘治3年)6月、従二位に昇叙。
- 1559年(永禄2年)1月18日、権中納言に昇進。
- 1561年(永禄4年)、左衛門督を辞退。
- 1574年(天正2年)1月5日、正二位に昇叙。
- 1575年(天正3年)2月19日、権大納言に昇進。
- 1582年(天正10年)、諱を雅春に改める。
- 1584年(天正12年)10月22日、権大納言を辞退。
- 1594年(文禄3年)1月12日、死去。享年75。法号:了雅。
系譜
編集脚注
編集参考文献
編集- 佐脇栄智「飛鳥井雅教」『戦国人名辞典』(吉川弘文館 2006年) ISBN 978-4-642-01348-2