高橋信司 (社会科学者)
社会科学者
高橋 信司(たかはし のぶし[1]、1899年6月6日[2] - 1971年11月15日[3])は、日本の社会科学者。同志社大学法学部卒業、高知短期大学名誉教授。専門は政治史[4]:30・政治思想史・比較憲法[4]:30。
経歴
編集岐阜県大垣市出身[2]。同志社大学法学部で、高木庄太郎に政治史を学ぶ[5]:63。1924年(大正13年)[6]:54、法学部を卒業。同志社大学法学部で政治史の講師を務める[7]:29。
1928年(昭和3年)から1929年(昭和4年)にかけ、同志社で法学部教授会と理事会(津下紋太郎、西村金三郎ら)との対立が生じた際に、高橋貞三講師とともに学生新聞で理事会を激しい言葉で批判した[4]:60。理事会から「自発的辞表」提出を要求され、能勢克雄教授とともに解任させられた[8]:139[7]:29。これに対して法学部教授会は連名で理事会を批判した[8]:139-140。
1958年、『土佐藩憲政思想成立史』で同志社大学より法学博士号を授与される[9]。同著作は高知市民図書館より「市民叢書」の一冊として刊行された。
1959年、高知短期大学(高知女子大学の公開講座から派生し1952年に設立された夜間短期大学)に「学長代理」の職が設けられた際に、初代学長代理に就任[10]。
おもな著作
編集- 『政治学序説』(三和書房、1952年)
- 『社会科学概論』(高知市立市民図書館、1958年)
- 『土佐藩憲政思想成立史』(高知市立市民図書館、1958年)[1]
- 高橋信司(著)・高知短期大学社会科学会(編)『或る社会科学者の生涯 : 高橋信司自伝』(高知短期大学社会科学会、1972年)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 『高知年鑑 昭和31年版』高知新聞社、1955年、p.457。
- ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』日外アソシエーツ、1983年、p.289。
- ^ a b c d 西田毅・脇圭平・上田健二ほか「戦時下の同志社と私 : 田畑忍先生に聞く(一)」『同志社法學』第31巻第1号、1979年、2021年5月6日閲覧。
- ^ a b 田畑忍「同志社人物誌(19) 高木庄太郎」『同志社時報』第20号、1966年、2021年5月6日閲覧。
- ^ a b 高橋信司「同志社人物誌(27) 片岡健吉」『同志社時報』第31号、1968年、2021年5月6日閲覧。
- ^ a b c 井ヶ田良治「同志社人物誌(80) 平和と憲法のひと 田畑 忍」『同志社時報』第106号、1998年、2021年5月6日閲覧。
- ^ a b c 平山玄「同志社人物誌(55) 西村金三郎」『同志社時報』第78号、1985年、2021年5月6日閲覧。
- ^ a b “土佐藩憲政思想成立史”. CiNii 博士論文検索. 国立情報学研究所. 2021年5月6日閲覧。
- ^ “沿革・組織”. 高知短期大学. 2021年5月6日閲覧。