「ホンダ・スペイシー」の版間の差分
m スペイシー125と100の間を改行 |
Tcjames.yu (会話 | 投稿記録) |
||
7行目: | 7行目: | ||
== モデル一覧 == |
== モデル一覧 == |
||
=== スペイシー50 === |
=== スペイシー50 === |
||
[[1982年]]5月に発売された。49ccエンジンの[[原動機付自転車]]で型式AF02。正式車名スペイシーのみである。近未来的イメージな直線基調のデザインとしたほか、当時の50ccスクーターとして唯一の4ストロ-クエンジンの搭載や駆動方式もベルト駆動無段変速ではなく3速[[オートマチックトランスミッション]]を採用するなど異彩を放った。独自構造のボディ一体キー付フロントトランクは容量こそ少ないものの12インチLPレコードを収納できた。また販売面ではグレード別展開を実施しデラックスとカスタムの2グレードを設定。カスタムでは液晶メーター・トリップメーター・ハロゲンヘッドライトを採用するなど高級路線で他車種との差別化を実施していた。 |
[[1982年]]5月に発売された。49ccエンジンの[[原動機付自転車]]で型式AF02。正式車名スペイシーのみである。近未来的イメージな直線基調のデザインとしたほか、当時の50ccスクーターとして唯一の4ストロ-クエンジンの搭載や駆動方式もベルト駆動無段変速ではなく3速[[オートマチックトランスミッション]]を採用するなど異彩を放った。独自構造のボディ一体キー付フロントトランクは容量こそ少ないものの12インチLPレコードを収納できた。また販売面ではグレード別展開を実施しデラックスとカスタムの2グレードを設定。カスタムでは液晶メーター・トリップメーター・ハロゲンヘッドライトを採用するなど高級路線で他車種との差別化を実施していた。[[image:Honda Scooter SPACY in the Honda Collection Hall..JPG|thumb|200px|right|スペイシー50]] |
||
[[1984年]]2月にマイナーチェンジを実施。グレード展開の中止のほか、液晶メーターの廃止。変速機構も通常のベルト駆動無段変速への変更が実施された。[[1986年]]に生産を終了している。 |
[[1984年]]2月にマイナーチェンジを実施。グレード展開の中止のほか、液晶メーターの廃止。変速機構も通常のベルト駆動無段変速への変更が実施された。[[1986年]]に生産を終了している。 |
2015年6月2日 (火) 02:50時点における版
スペイシー(SPACY)とはかつて本田技研工業が製造していたスクータータイプのオートバイである。
概要
シリーズとして排気量別に数車種が販売されていたが、共通項としてSOHC4ストローク単気筒エンジンを搭載する。
モデル一覧
スペイシー50
1982年5月に発売された。49ccエンジンの原動機付自転車で型式AF02。正式車名スペイシーのみである。近未来的イメージな直線基調のデザインとしたほか、当時の50ccスクーターとして唯一の4ストロ-クエンジンの搭載や駆動方式もベルト駆動無段変速ではなく3速オートマチックトランスミッションを採用するなど異彩を放った。独自構造のボディ一体キー付フロントトランクは容量こそ少ないものの12インチLPレコードを収納できた。また販売面ではグレード別展開を実施しデラックスとカスタムの2グレードを設定。カスタムでは液晶メーター・トリップメーター・ハロゲンヘッドライトを採用するなど高級路線で他車種との差別化を実施していた。
1984年2月にマイナーチェンジを実施。グレード展開の中止のほか、液晶メーターの廃止。変速機構も通常のベルト駆動無段変速への変更が実施された。1986年に生産を終了している。
スペイシー80
1982年10月に追加された2人乗り可能な原付二種クラス。76ccエンジンを搭載し型式はHF02。50ccと同じデザインや液晶メーターも採用されたが、単一グレード展開となった。
1985年4月にマイナーチェンジを実施。排気量79ccの新設計エンジンに変更し型式もHF03となったほか、50同様の機構面変更も併せて実施。
1986年に日本国内では生産中止となったが、国外向けでは生産が継続され2009年頃まで基本設計も引き継いだElite80(エリート80)という車名で北米を中心に販売された。
スペイシー125
125ccクラスでは3代に渡り生産販売された。本項では型式別に解説を行う。
初代
1983年3月発売。型式名JF02。正式名称はスペイシー125ストライカー(SPACY 125 STRIKER)。基本的デザインは先行発売されていた50・80を踏襲するが、二輪車としては世界初となる自動収納式リトラクタブル・ヘッドライトを採用。またエンジンも冷却方式が水冷になりラジエターからの放熱を足元へ送る機能も装備されるなどより差別化されたものとなった。
1985年8月にマイナーチェンジを実施。液晶メーターが廃止され通常の指針式となったほか、それまでオプションだったリアキャリアが標準装備になるなどの変更を受けた。
また本型式は国外向けにも Elite125 および150cc版の Elite150 として輸出され、映画「ターミネーター」ではサラ・コナーが所有する設定がなされている。
2代目
1987年2月発売。型式名JF03。サブネームのストライカーが消滅。エンジンなどの動力機構は初代からのキャリーオーバーだが、外見は大幅に変更されリトラクタブル・ヘッドライトを廃止し一般的な固定式としたほかエアロフォルム曲線基調のデザインとなった。ただしフロント部分の造形に独特な平らさがあり、特に白色モデルは「紋甲イカ」という異名を持つ。
1992年・1993年・1994年にマイナーチェンジを実施しており、1993年のそれでは自動二輪車のヘッドライト常時点灯義務化によりヘッドライトスイッチが廃止となった。
3代目
1995年8月発売。型式名JF04。エンジンを水冷から空冷に変更したほかフロントディスクブレーキとメットインスペースを装備。何度かのマイナーチェンジを繰り返し、2005年には普通自動二輪車小型オートマチック限定運転免許用教習車仕様も発売された。
しかし強化される自動車排出ガス規制に燃料供給がキャブレター方式では対応が難しく、五羊本田が製造するインジェクション方式のSCR110を日本国内でリード110として後継車にすることから2008年9月に生産を終了した。
スペイシー100
2003年9月に発売された102ccエンジン搭載モデル。 型式名はJF13。 強化された排出ガス規制への対応による、2ストロークエンジン搭載のリード100生産中止を受けたモデルチェンジ車である。
コストダウンを目的に、製造を中国の五羊本田が行い、販売価格を20万円未満に抑えたことから注目を集めた。
後にスズキが同価格帯でより小柄な車体に125ccエンジンを搭載したアドレスV125の販売を開始したことにより、激しい競争が繰り広げられた。
前述の125と同様理由から後継車をリード110に集約し、2008年9月に日本向け車両の生産を終了した。五羊本田ではしばらくの間100の現地向け車両の生産を継続したが、2012年現在ではスペイシー125も含めた車体構造やデザインを流用した環境規制対応エンジン搭載車を生産している[1]。