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'''労働公園''' (ろうどうこうえん)は、[[中華人民共和国]][[遼寧省]][[大連市]]の中心部に位置する市内最大の公園。南に緑山を望み、北に[[大連駅]]が位置する。 |
'''労働公園''' (ろうどうこうえん、{{簡体字|劳动公园}}、{{ピン音|láodònggōngyuán}})は、[[中華人民共和国|中国]][[遼寧省]][[大連市]]の中心部に位置する市内最大の公園。南に緑山を望み、北に[[大連駅]]が位置する。 |
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==概要== |
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[[1899年]]、[[ロシア帝国|帝政ロシア]][[租借地|租借]]時代の[[ロシア人]]による竣工。当初は、大連市西郊外に位置することから'''西公園'''と名づけられる。1905年に日本軍が大連を占領し、日本人らの手によってゴルフ場、プール、乗馬クラブが増設され、当時トラを飼育していたことから'''老虎公園'''と呼ばれた。その後、大連区自体も拡張され市の中心部に位置するようになったことから、'''中央公園'''へ名称を変更。 |
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中華人民共和国成立後、中国政府は国民に労働の義務を科した。中央公園も、改修され池のほとりに「労働創造世界(=労働により、世界を創造しよう)」の碑が掲げられた。このことから、名前を'''労働公園'''と改称し、今に至る。 |
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[[1899年]]、[[帝政ロシア]][[租借]]時代の[[ロシア人]]による竣工。当初の'''西公園'''、'''中央公園'''などの名を経て、解放後の[[1949年]]に大連市人民政府により、現在の名に名付けられた。日本占領時代にはゴルフ場、プール、乗馬倶楽部が増設され、中央公園と呼ばれた。 |
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== 所在地 == |
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*大連市[[中山区 (大連市)|中山区]]解放路5号 |
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==交通アクセス== |
== 交通アクセス == |
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*鉄道:[[中国国鉄]][[大連駅]]下車、バスか徒歩で約1km。 |
*鉄道:[[中華人民共和国の鉄道|中国国鉄]][[大連駅]]下車、バスか徒歩で約1km。 |
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*バス:大連駅より、路線バス2、5、22、303、406、703系統でバス停「労働公園」下車すぐ。 |
*バス:大連駅より、路線バス2、5、22、303、406、703系統でバス停「労働公園」下車すぐ。 |
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2008年12月4日 (木) 05:30時点における版
労働公園 (ろうどうこうえん、簡体字: 劳动公园、拼音: )は、中国遼寧省大連市の中心部に位置する市内最大の公園。南に緑山を望み、北に大連駅が位置する。
概要
面積は102万㎡。多くの植栽により、多種類の花や木など緑溢れる憩いの場となっている。池や庭園なども配置されるほか、ゴルフ場、テニス場、スケート場、小動物園、遊園地などの娯楽施設もある。特にヤナギの木が美しい景観をなしている。時期によりさまざまな花が楽しめ、5月のチューリップ、10月のキクなどが美しい。また日本から贈られたサクラや芝生なども見られる。園内にあるリフトに乗ると大連テレビタワーの前にたどり着く。
歴史
1899年、帝政ロシア租借時代のロシア人による竣工。当初は、大連市西郊外に位置することから西公園と名づけられる。1905年に日本軍が大連を占領し、日本人らの手によってゴルフ場、プール、乗馬クラブが増設され、当時トラを飼育していたことから老虎公園と呼ばれた。その後、大連区自体も拡張され市の中心部に位置するようになったことから、中央公園へ名称を変更。
中華人民共和国成立後、中国政府は国民に労働の義務を科した。中央公園も、改修され池のほとりに「労働創造世界(=労働により、世界を創造しよう)」の碑が掲げられた。このことから、名前を労働公園と改称し、今に至る。
所在地
- 大連市中山区解放路5号