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「愛宕上杉通」の版間の差分

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[[ファイル:Atago‐Kamisugi Street seen from Sendai Station 20220910.jpg|thumb|260px|right|南町通交差点付近より、愛宕上杉通を北に望む。]]
[[ファイル:Atago‐Kamisugi Street seen from Sendai Station 20220910.jpg|thumb|260px|right|南町通交差点付近より、愛宕上杉通を北に望む。]]
[[ファイル:Atago-Kamisugi.JPG|thumb|260px|right|愛宕上杉通〔上杉山通〕(2005年7月。昭和町交差点の上にある昭和町歩道橋より南方向を撮影)]]
[[ファイル:Atago-Kamisugi.JPG|thumb|260px|right|愛宕上杉通〔上杉山通〕(2005年7月。昭和町交差点の上にある昭和町歩道橋より南方向を撮影)]]
'''愛宕上杉通'''(あたごかみすぎどおり)は、[[宮城県]][[仙台市]]を南北に縦貫する[[道路]]の1つである。北端は[[仙山線]]との立体交差する北仙台ガード(昭和町交差点付近)で、[[上杉 (仙台市)|上杉]]地区および[[東日本旅客鉄道|JR]][[仙台駅前]]を[[経由]]して、南端が[[愛宕大橋]]である。ほとんどの区間が[[青葉区 (仙台市)|青葉区]]内であるが、愛宕大橋付近は青葉区と[[太白区]]の境界となっている。[[国道286号]]の一部、[[宮城県道22号仙台泉線]](旧[[国道4号]])の一部、市道愛宕上杉通1号線、同2号線からなる。 [[仙台市道路愛称名|仙台市の愛称命名道路]]のうちの1つで、公募により1983年(昭和58年)に命名された<ref>"[https://www.city.sendai.jp/dorokanri-kanri/kurashi/machi/kotsu/ijikanri/doro.html 道路の愛称]"(仙台市)2023年11月26日閲覧。</ref>。北仙台ガード以北は県道22号仙台泉線として泉中央方面へ、愛宕大橋以南は[[国道286号]]([[広瀬河畔通]])として長町方面へ繋がる。


== 路線 ==
'''愛宕上杉通'''(あたごかみすぎどおり)は、[[仙台市都心部]]を南北に縦貫する[[道路]]の1つ。北端を「昭和町交差点」とし、[[上杉]]地区および[[東日本旅客鉄道|JR]][[仙台駅前]]を[[経由]]して、[[愛宕大橋]]南詰を南端とする。ほとんどの区間が[[青葉区 (仙台市)|青葉区]]内であるが、愛宕大橋南詰周辺は[[太白区]]である。

「昭和町交差点」では[[泉中央副都心]]に至る[[宮城県道22号仙台泉線]](旧[[国道4号]])と接続し、[[愛宕大橋]]南詰では[[長町副都心]]方面に至る[[広瀬河畔通り|広瀬河畔通]]と接続するため、南北の両副都心と都心部とを繋ぐ道の一翼を担っている。

== 概要 ==
[[高度経済成長]]後の[[1970年代]]、仙台市では[[大正]]時代以来の[[仙台市電]]に合わせた街づくりから、[[モータリゼーション]]に合わせた街づくりに変化させ、市電を廃止する一方で市内各所で道路の新設・拡幅を行った。道路整備が一段落した[[1980年代]]初頭には、広幅員化された各々の道に[[仙台市道路愛称名|愛称を付けることになり]]、「上杉山通」「東五番丁」「清水小路」などが拡幅されて1本の道となった当道は「愛宕上杉通」と命名された。[[仙台城下町]]では「○○通」は「○○に通じる道」「沿道に○○がある道」という意味であるが、当道は、その南端で[[仙台市|仙臺]]総鎮守「[[愛宕神社 (仙台市)|愛宕神社]]」に通じ、その北部沿道では[[住居表示]]の実施で「[[上杉]]」と命名された[[街区]]を貫いている。

愛宕上杉通との命名後も、旧町名や街路名として[[江戸時代]]から使用されてきた各構成道路の名称は残り、今でも上杉山通東五番丁は頻繁に使われている。その一方で、清水小路は一部が[[国道286号]]となったため、道路名としてはあまり使われなくなり、日吉丁は存在すら忘れられた。

当道は複雑な経緯で造られたため、かつての各街路の区間とは異なるのに、[[定禅寺通り|定禅寺通]]([[国道45号]])との交差部である[[錦町公園 (仙台市)|錦町公園]]前を境にして、北側を'''上杉山通'''、南側を'''東五番丁'''と認識している市民が見られる<ref>例えば、宮城交通バスで上杉を経由するバスは全て上杉山通の案内で統一され、地下鉄工事に伴う迂回路では「東五番丁通へ右折してください」との看板が見受けられる</ref>。また、仙台市道青葉1153号・愛宕上杉通1号線の区間である中央2丁目交差点([[広瀬通]]と交差)から昭和町交差点までは[[イチョウ]]並木が整備されているが、このうち、中央2丁目交差点から錦町公園までの坂は「[[銀杏坂]]」との異名で呼ばれるようになった。[[1987年]](昭和62年)、[[仙台市地下鉄南北線]]工事の路面復旧および同線開業に合わせて、東五番丁を中心に[[仙台駅]]西口周辺には[[イギリス|英国]]製[[ガス灯]](一部の柱頂部には[[ミニチュア]]の[[伊達政宗]]騎馬像が付置)が114基設置されたため、東五番丁の仙台駅前付近には「ガス灯のある街 五番街」という愛称が付けられた<ref name="kaigiroku">[http://www.gikai.city.sendai.jp/kaigiroku/index_f_kaigiroku.html 会議録](仙台市議会)</ref><ref>[http://www.city.sendai.jp/keizai/syougyou/machinaka/04_masamune/index.html せんだい街なかナビ「街なかの伊達政宗公を探そう!」](仙台市)</ref>。このように、正式な道路名や愛称の他に、様々な呼称を持つのが当道の特徴である。

当道は、北端の昭和町交差点から[[北四番丁通り|北四番丁通]]との接続部までの区間が片側2[[車線]]、北四番丁から[[東二番丁通り|東二番丁通]]との接続部(仙台市立病院前交差点)までの区間が片側3車線、市立病院前から[[愛宕大橋]]北詰までの区間が南行きが4車線、北行きが6車線、これより南の愛宕大橋は朝の[[ラッシュ時|ラッシュアワー]]が北行き4車線と南行き2車線、それ以外の時間帯が片側3車線ずつの[[リバーシブルレーン]]となっていたが、時代の流れによる交通変化を受けて、[[2016年]][[3月21日]]をもって、上下線ともに片側3車線通行に固定され、廃止となった。<ref>
[http://www.police.pref.miyagi.jp/hp/kisei/negisi/h2803kiseihenkou.html 愛宕大橋交差点から根岸交差点までの交通規制を下記のとおり変更しますので、ご理解とご協力をお願いします]</ref>
途中、[[勝山公園 (仙台市)|勝山公園]]近くの[[北六番丁通り|北六番丁通]]と[[北五番丁通り|北五番丁通]]間の区間に、かつて上杉山通が1[[車線]]の[[一方通行]]時代からあった樹木を中央分離帯に残したため、上下線とも蛇行する形になっている。

なお、当道の一部を構成する「清水小路」は、[[標準語]]・[[共通語]]では「しみずこうじ」と読むが、[[仙台弁]]では「しずこうじ」「すずこうじ」と読む([[仙台弁#仙台弁の地名・固有名詞]]参照)。

== 構成する道路 ==
愛宕上杉通は、以下の道路の総称である。なお、愛宕上杉通が[[広瀬通]]と交差する「[[中央 (仙台市)|中央]]2丁目交差点」で、仙台[[市町村道|市道]]は南北に分割されて管理されており、同交差点を両者の起点としている。
愛宕上杉通は、以下の道路の総称である。なお、愛宕上杉通が[[広瀬通]]と交差する「[[中央 (仙台市)|中央]]2丁目交差点」で、仙台[[市町村道|市道]]は南北に分割されて管理されており、同交差点を両者の起点としている。


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: 仙台市立病院前交差点~[[愛宕大橋]]南詰の区間
: 仙台市立病院前交差点~[[愛宕大橋]]南詰の区間
:: 愛宕大橋交差点~愛宕大橋南詰の区間は、仙台市道青葉1312号・愛宕大橋線であったが、[[2008年]]([[平成]]20年)[[4月1日]]から[[2016年]](平成28年)[[3月31日]]までは国道4号として運用された<ref name=R4>[http://www.city.sendai.jp/kensetsu/road/4go/index.html 平成20年4月1日から国道4号・国道286号のルートが変更になりました] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090907162348/http://www.city.sendai.jp/kensetsu/road/4go/index.html |date=2009年9月7日 }}(仙台市)</ref>。
:: 愛宕大橋交差点~愛宕大橋南詰の区間は、仙台市道青葉1312号・愛宕大橋線であったが、[[2008年]]([[平成]]20年)[[4月1日]]から[[2016年]](平成28年)[[3月31日]]までは国道4号として運用された<ref name=R4>[http://www.city.sendai.jp/kensetsu/road/4go/index.html 平成20年4月1日から国道4号・国道286号のルートが変更になりました] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090907162348/http://www.city.sendai.jp/kensetsu/road/4go/index.html |date=2009年9月7日 }}(仙台市)</ref>。

愛宕上杉通は、北端の昭和町交差点付近から[[北四番丁通り]]との接続部までの区間が片側2[[車線]]、北四番丁から[[東二番丁通り]]との接続部(仙台市立病院前交差点)までの区間が片側3車線、市立病院前から[[愛宕大橋]]北詰までの区間が南行きが4車線、北行きが6車線、これより南の愛宕大橋は朝の[[ラッシュ時|ラッシュアワー]]が北行き4車線と南行き2車線、それ以外の時間帯が片側3車線ずつの[[リバーシブルレーン]]となっていたが、時代の流れによる交通変化を受けて、[[2016年]][[3月21日]]をもって、上下線ともに片側3車線通行に固定され、廃止となった。<ref>
[http://www.police.pref.miyagi.jp/hp/kisei/negisi/h2803kiseihenkou.html 愛宕大橋交差点から根岸交差点までの交通規制を下記のとおり変更しますので、ご理解とご協力をお願いします]</ref>
途中、[[勝山公園 (仙台市)|勝山公園]]近くの[[北六番丁通り]]と北五番丁通り間の区間に、かつて上杉山通が1[[車線]]の[[一方通行]]時代からあった樹木を中央分離帯に残したため、上下線とも蛇行する形になっている。

愛宕上杉通との命名後も、旧町名や街路名として[[江戸時代]]から使用されてきた各構成道路の名称は残り、今でも上杉山通と東五番丁は頻繁に使われている。その一方で、清水小路は一部が国道286号となったため、道路名としてはあまり使われなくなり、日吉丁は存在すら忘れられた。

愛宕上杉通は複雑な経緯で造られたため、かつての各街路の区間とは異なるのに、[[定禅寺通]]([[国道45号]])との交差部である[[錦町公園 (仙台市)|錦町公園]]前を境にして、北側を上杉山通、南側を東五番丁と認識している市民が見られる<ref>例えば、宮城交通バスで上杉を経由するバスは全て上杉山通の案内で統一され、地下鉄工事に伴う迂回路では「東五番丁通へ右折してください」との看板が見受けられる</ref>。また、仙台市道青葉1153号・愛宕上杉通1号線の区間である中央2丁目交差点([[広瀬通]]と交差)から昭和町交差点までは[[イチョウ]]並木が整備されているが、このうち、中央2丁目交差点から錦町公園までの坂は「[[銀杏坂]]」との異名で呼ばれるようになった。[[1987年]](昭和62年)、[[仙台市地下鉄南北線]]工事の路面復旧および同線開業に合わせて、東五番丁を中心に[[仙台駅]]西口周辺には[[イギリス|英国]]製[[ガス灯]](一部の柱頂部には[[ミニチュア]]の[[伊達政宗]]騎馬像が付置)が114基設置されたため、東五番丁の仙台駅前付近には「ガス灯のある街 五番街」という愛称が付けられた<ref name="kaigiroku">[http://www.gikai.city.sendai.jp/kaigiroku/index_f_kaigiroku.html 会議録](仙台市議会)</ref><ref>[http://www.city.sendai.jp/keizai/syougyou/machinaka/04_masamune/index.html せんだい街なかナビ「街なかの伊達政宗公を探そう!」](仙台市)</ref>。このように、正式な道路名や愛称の他に、様々な呼称を持つのが愛宕上杉通の特徴である。


{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size:small;"
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== 歴史 ==
== 歴史 ==
現在の愛宕上杉通は、[[江戸時代]]の[[仙台城下町]]では1本の道として存在しておらず、いくつかに分かれていた。それは、仙台が[[広瀬川 (宮城県)|広瀬川]]の[[河岸段丘]]<ref>[http://www.hp1039.jishin.go.jp/danso/Miyagi4/figures/f3-2-2.jpg 長町-利府線・大年寺断層に沿う地形面区分図]([[地震調査研究推進本部]])</ref> 上につくられたことと関係している。
現在の愛宕上杉通は、[[江戸時代]]の[[仙台城]]の城下町では1本の道として存在しておらず、いくつかに分かれていた。それは、仙台が[[広瀬川 (宮城県)|広瀬川]]の[[河岸段丘]]<ref>[http://www.hp1039.jishin.go.jp/danso/Miyagi4/figures/f3-2-2.jpg 長町-利府線・大年寺断層に沿う地形面区分図]([[地震調査研究推進本部]])</ref> 上につくられたことと関係している。


のちに愛宕上杉通となる道は、[[仙台上町段丘]]面には[[上杉山通]](南北道)が[[北七番丁通り|北七番丁]]から[[北一番丁通り|北一番丁通]]まであり、[[段丘崖]]下の[[仙台中町段丘]]面には[[元寺小路]]と[[丁字路]]を形成して[[日吉丁]]([[く]]の字に屈曲する道)があり、やや[[筋違い (道路)|筋違い]]に[[東五番丁通り|東五番丁]](北西から南東に延びる道)が続き、[[六道の辻]]で筋違いに[[清水小路]](南北道)がさらに接続して、[[奥州街道]]を通す[[荒町 (仙台市)|荒町]](東西道)まで続いていた。荒町より南には段丘崖があって、[[仙台下町段丘]]面の[[土樋]](東西道)に繋がる道は無かった。上杉山通では、城下町としての町割りは北七番丁までであったが、[[北六番丁通り|北六番丁]]を[[四ツ谷用水]]が流れていることもあって、概ね北六以北は[[台原段丘]]の麓まで農地が広がり、細い在郷道があるのみだった。また、上町と中町の両段丘の間の段丘崖に上杉山通と日吉丁との間を繋ぐ道はなく、中町と下町の両段丘の間の段丘崖に清水小路と広瀬川河畔を繋ぐ道もなかった。
のちに愛宕上杉通となる道は、[[仙台上町段丘]]面には上杉山通(南北道)が[[北七番丁通り|北七番丁]]から北一番丁まであり、[[段丘崖]]下の[[仙台中町段丘]]面には[[元寺小路]]と[[丁字路]]を形成して[[日吉丁]]([[く]]の字に屈曲する道)があり、やや[[筋違い (道路)|筋違い]]に[[東五番丁通り|東五番丁]](北西から南東に延びる道)が続き、[[六道の辻]]で筋違いに[[清水小路]](南北道)がさらに接続して、[[奥州街道]]を通す[[荒町 (仙台市)|荒町]](東西道)まで続いていた。荒町より南には段丘崖があって、[[仙台下町段丘]]面の[[土樋]](東西道)に繋がる道は無かった。上杉山通では、城下町としての町割りは北七番丁までであったが、[[北六番丁通り|北六番丁]]を[[四ツ谷用水]]が流れていることもあって、概ね北六以北は[[台原段丘]]の麓まで農地が広がり、細い在郷道があるのみだった。また、上町と中町の両段丘の間の段丘崖に上杉山通と日吉丁との間を繋ぐ道はなく、中町と下町の両段丘の間の段丘崖に清水小路と広瀬川河畔を繋ぐ道もなかった。


[[1887年]]([[明治]]20年)[[12月15日]]に[[仙台区]](現[[仙台市]])には[[日本鉄道]]本線(現[[東日本旅客鉄道|JR]][[東北本線]])が開通するが、同線が通過する[[六道の辻]]ではこのとき、筋違いだった東五番丁と清水小路が直接繋げられ、くの字状に1本の道となった。
[[1887年]]([[明治]]20年)[[12月15日]]に[[仙台区]](現[[仙台市]])には[[日本鉄道]]本線(現[[東日本旅客鉄道|JR]][[東北本線]])が開通するが、同線が通過する[[六道の辻]]ではこのとき、筋違いだった東五番丁と清水小路が直接繋げられ、くの字状に1本の道となった。


[[ファイル:Sendai map circa 1930.PNG|thumb|right|250px|[[1927年]][[昭和]]2年)頃の仙台市の地図。[[仙台市電]]と[[仙山線|仙山東線]]の建設中区間も実線で図示されている。]]
[[ファイル:Sendai map circa 1930.PNG|thumb|right|250px|1927年(昭和2年)頃の仙台市の地図。]]
[[1923年]]([[大正]]12年)には[[宮城師範学校]]が、[[1925年]]([[大正]]14年)には[[第二高等学校 (旧制)|(旧制)第二高等学校]]が、当時もまだ農地だった上杉山通沿いの北六番丁より北側に相次いで移転した。これにより、北八番丁辺りまで上杉山通は市街化された。
[[1923年]]([[大正]]12年)には[[宮城師範学校]]が、[[1925年]]([[大正]]14年)には[[第二高等学校 (旧制)|(旧制)第二高等学校]]が、当時もまだ農地だった上杉山通沿いの北六番丁より北側に相次いで移転した。これにより、北八番丁辺りまで上杉山通は市街化された。


[[1931年]]([[昭和]]6年)[[4月]] 仙台市が[[宮城郡]][[七北田村]]荒巻([[北仙台]]地区など)および北根を[[編入合併]]<ref>[http://www.city.sendai.jp/shimin/kusei/gaiyou/pdf/honpen20.pdf 仙台市区政概要](仙台市)</ref>。これにより、七北田村内だった現在の当道北端部分も仙台市内になる。
[[1931年]]([[昭和]]6年)[[4月]] 仙台市が[[宮城郡]][[七北田村]]荒巻([[北仙台]]地区など)および北根を[[編入合併]]<ref>[http://www.city.sendai.jp/shimin/kusei/gaiyou/pdf/honpen20.pdf 仙台市区政概要](仙台市)</ref>。これにより、七北田村内だった現在の愛宕上杉通北端部分も仙台市内になる。


[[仙台市電]]が[[1926年]]([[大正]]15年)<!-- 11月25日 -->に開通するが、このときは[[仙台市電#長町線|長町線]]が[[荒町 (仙台市)|荒町]]までの開通で留まった。その後、[[1933年]]([[昭和]]8年)に清水小路の南端から段丘崖下の下町段丘面に降りる新道と共に荒町 - [[愛宕橋駅|愛宕橋]]間の市電が開通する。
[[仙台市電]]が[[1926年]]([[大正]]15年)<!-- 11月25日 -->に開通するが、このときは[[仙台市電#長町線|長町線]]が[[荒町 (仙台市)|荒町]]までの開通で留まった。その後、[[1933年]]([[昭和]]8年)に清水小路の南端から段丘崖下の下町段丘面に降りる新道と共に荒町から愛宕橋間の市電が開通する。


[[第二次世界大戦]]中の[[1945年]]([[昭和]]20年)[[7月10日]]、仙台市街地(おおよその現在の[[仙台市都心部]])は[[仙台空襲]]により焦土と化すが、[[戦後]]に[[特別都市計画法]]に基いて[[戦災復興都市計画]]がつくられ、[[1946年]]([[昭和]]21年)[[5月]]に仙台特別都市計画復興土地区画整理事業の区域(423.5[[ヘクタール|ha]])が決定、[[1947年]]([[昭和]]22年)[[2月]]より戦災復興土地区画整理事業が施行された<ref>[https://www.city.sendai.jp/toshi/kukakuseiri/kukakuseiri/ayumi.html 仙台市の土地区画整理事業のあゆみ](仙台市)</ref>。このとき、東五番丁を拡幅の上で日吉丁を取り込んで北に延長し、段丘崖に新道を建設して上杉山道の南端に接続する道が造られ、また、元寺小路の南側に東西道の[[広瀬通り|広瀬通]]が造られた<ref>[https://www.city.sendai.jp/kensetsu/100forest/aobadori-iinkai/pdf/t02.pdf (1)青葉通の誕生](仙台市。文書中の地図に新道が示されている)</ref>。
[[第二次世界大戦]]中の[[1945年]]([[昭和]]20年)[[7月10日]]、仙台市街地(おおよその現在の[[仙台市都心部]])は[[仙台空襲]]により焦土と化すが、[[戦後]]に[[特別都市計画法]]に基いて[[戦災復興都市計画]]がつくられ、[[1946年]]([[昭和]]21年)[[5月]]に仙台特別都市計画復興土地区画整理事業の区域(423.5[[ヘクタール|ha]])が決定、[[1947年]]([[昭和]]22年)[[2月]]より戦災復興土地区画整理事業が施行された<ref>[https://www.city.sendai.jp/toshi/kukakuseiri/kukakuseiri/ayumi.html 仙台市の土地区画整理事業のあゆみ](仙台市)</ref>。このとき、東五番丁を拡幅の上で日吉丁を取り込んで北に延長し、段丘崖に新道を建設して上杉山道の南端に接続する道が造られ、また、元寺小路の南側に東西道の[[広瀬通り|広瀬通]]が造られた<ref>[https://www.city.sendai.jp/kensetsu/100forest/aobadori-iinkai/pdf/t02.pdf (1)青葉通の誕生](仙台市。文書中の地図に新道が示されている)</ref>。


[[1970年代]]半ばになると、[[五橋通]]が南端だった[[東二番丁通り|東二番丁通]]が南に延伸されて清水小路と接続し、清水小路の南側に続く道と広瀬川の対岸に新設された[[広瀬河畔通]]との間を繋ぐ[[愛宕大橋]]も完成する一方、仙台市電が廃止された。また、広瀬通から[[泉市]](現・仙台市[[泉区 (仙台市)|泉区]])の旧[[七北田宿]]辺りまで続く「[[都市計画道路]]3.3.28元寺小路七北田線」が計画され、[[1979年]]([[昭和]]54年)[[10月15日]]に上杉山通(北行き[[一方通行]])を拡幅する形で、北一番丁から[[仙山線]]ガード(昭和町交差点)までの1,196[[メートル|m]]の区間が供用開始された(<!--この区間の工事費は34億円-->[[1985年]]([[昭和]]60年)[[12月]]には仙山線ガードから泉市役所までの区間が供用開始)<ref>[http://www.pref.miyagi.jp/dobokusom/keikaku/PDF/H20_5_6_dobokusi.pdf みやぎの土木史]{{リンク切れ|date=2017年10月 |bot=InternetArchiveBot }}(宮城県土木部)</ref>。
[[高度経済成長]]後の[[1970年代]]、仙台市では[[大正]]時代以来の[[仙台市電]]に合わせた街づくりから、[[モータリゼーション]]に合わせた街づくりに変化させ、市電を廃止する一方で市内各所で道路の新設や拡幅を行った。[[1970年代]]半ばになると、[[五橋通]]が南端だった[[東二番丁通り|東二番丁通]]が南に延伸されて清水小路と接続し、清水小路の南側に続く道と広瀬川の対岸に新設された[[広瀬河畔通]]との間を繋ぐ[[愛宕大橋]]も完成する一方、仙台市電が廃止された。また、広瀬通から[[泉市]](現・仙台市[[泉区 (仙台市)|泉区]])の旧[[七北田宿]]辺りまで続く「[[都市計画道路]]3.3.28元寺小路七北田線」が計画され、[[1979年]]([[昭和]]54年)[[10月15日]]に上杉山通(北行き[[一方通行]])を拡幅する形で、北一番丁から[[仙山線]]ガード(昭和町交差点)までの1,196[[メートル]]の区間が供用開始された(<!--この区間の工事費は34億円-->[[1985年]]([[昭和]]60年)[[12月]]には仙山線ガードから泉市役所までの区間が供用開始)<ref>[http://www.pref.miyagi.jp/dobokusom/keikaku/PDF/H20_5_6_dobokusi.pdf みやぎの土木史]{{リンク切れ|date=2017年10月 |bot=InternetArchiveBot }}(宮城県土木部)</ref>。


このような道路整備によって1本の道となっ昭和町交差点から愛宕大橋南詰までの区間は、[[1980年代]]初頭に[[仙台市路愛称名|愛称が募集され]]、「'''愛宕上杉通'''」と命名された。仙台城下町では「○○通」は「○○に通じる道」「沿道に○○がある道」という意味であるが、当道は、その南端で[[仙台市|仙臺]]総鎮守「[[愛宕神社 (仙台市)|愛宕神社]]に通じ、その北部沿道では[[1970年]]([[昭和]]45年)から始まる[[住居表示]]で新規に命名された「[[上杉]]いう[[街区]]を貫いている。
道路整備が一段落した[[1980年代]]初頭には、広幅員化された各々の愛称を付けることになり、上杉山通、東五番丁、清水小路など拡幅されて1本となった道が愛宕上杉通と命名された。この道は、その南端で[[愛宕神社 (仙台市)|愛宕神社]]に通じ、その北部沿道では[[住居表示]]の実施で[[上杉 (仙台市)|上杉]]と命名された[[街区]]を貫いている。


== 交差する道路 ==
== 交差する道路 ==
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|colspan="2" style="text-align:center;"|<[[北四番丁通り|北四番丁通]]>
|colspan="2" style="text-align:center;"|<[[北四番丁通り|北四番丁通]]>
|[[上杉]]1丁目
|[[上杉 (仙台市)|上杉]]1丁目
|style="text-align:center;"|-
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219行目: 211行目:
|style="text-align:center;"|-
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|colspan="5" style="text-align:center;"|[[宮城県道22号仙台泉線|県道22号仙台泉線]] [[泉中央副都心|泉中央]]・台原方面
|colspan="5" style="text-align:center;"|[[宮城県道22号仙台泉線|県道22号仙台泉線]] [[泉中央 (仙台市)|泉中央]]・台原方面
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|}
|}
226行目: 218行目:
=== 東五番丁通 ===
=== 東五番丁通 ===
{{columns-list|colwidth=25em|
{{columns-list|colwidth=25em|
* [[ファイル:Sendai City Subway Logo.svg|23px|link=仙台市地下鉄]][[仙台市地下鉄]] [[仙台市地下鉄南北線|南北線]]・[[五橋駅]]
* [[仙台市地下鉄]] [[仙台市地下鉄南北線|南北線]]・[[五橋駅]]
* [[NTT東日本]]五橋第二ビル
* [[NTT東日本]]五橋第二ビル
* NTT東日本五橋第一ビル([[NTT東日本-東北]] 本店・宮城支店)
* NTT東日本五橋第一ビル([[NTT東日本-東北]] 本店・宮城支店)
237行目: 229行目:
* [[TSUTAYA]]仙台駅前店
* [[TSUTAYA]]仙台駅前店
* [[仙台駅のバス乗り場#仙台駅前(西口)|仙台駅前バスプール]]
* [[仙台駅のバス乗り場#仙台駅前(西口)|仙台駅前バスプール]]
* [[ファイル:Sendai City Subway Logo.svg|23px|link=仙台市地下鉄]]仙台市地下鉄 [[仙台市地下鉄東西線|東西線]] 南北線・[[仙台駅]]
* 仙台市地下鉄 [[仙台市地下鉄東西線|東西線]] 南北線・[[仙台駅]]
* [[ヤマダ電機|LABI仙台]]
* [[ヤマダ電機|LABI仙台]]
* [[ロフト (雑貨店)|仙台ロフト]]
* [[ロフト (雑貨店)|仙台ロフト]]
* [[ファイル:JR logo (east).svg|30px|link=東日本旅客鉄道]][[仙石線]]・[[あおば通駅]]
* [[東日本旅客鉄道]][[仙石線]]・[[あおば通駅]]
* [[仙台東宝劇場#仙台東宝ビル|仙台東宝ビル]]
* [[仙台東宝劇場#仙台東宝ビル|仙台東宝ビル]]
** [[リッチモンドホテルズ|リッチモンドホテルプレミア仙台駅前]]
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* [[勝山企業]]
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* [[仙台放送]]
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* [[イオンモール仙台上杉]]([[2025年]]開業予定<ref name="impress-20241022">{{Cite news |和書 |title=イオンモール、東北大学 雨宮キャンパス跡地の店名は「仙台上杉」 |newspaper=Impress Watch |date=2024-10-22 |author=加藤綾 |url=https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1633289.html |access-date=2024-11-09}}</ref><ref name="kahoku-20241021">{{Cite news |和書 |title=名称は「イオンモール仙台上杉」に 東北大農学部跡地に25年秋オープン |newspaper=河北新報 |publisher=河北新報社 |date=2024-10-21 |url=https://kahoku.news/articles/20241021khn000043.html |access-date=2024-11-09}}</ref>)
* [[東北大学の学生寮|東北大学明善寮・松風寮]]
* [[東北大学の学生寮|東北大学明善寮・松風寮]]
* [[宮城教育大学附属中学校]]
* [[宮城教育大学附属中学校]]
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[上杉]]
* [[上杉 (仙台市)|上杉]]
* [[錦町 (仙台市)]]
* [[錦町 (仙台市)]]
* [[六道の辻]]
* [[六道の辻]]

2024年11月9日 (土) 07:20時点における最新版

南町通交差点付近より、愛宕上杉通を北に望む。
愛宕上杉通〔上杉山通〕(2005年7月。昭和町交差点の上にある昭和町歩道橋より南方向を撮影)

愛宕上杉通(あたごかみすぎどおり)は、宮城県仙台市を南北に縦貫する道路の1つである。北端は仙山線との立体交差する北仙台ガード(昭和町交差点付近)で、上杉地区およびJR仙台駅前経由して、南端が愛宕大橋である。ほとんどの区間が青葉区内であるが、愛宕大橋付近は青葉区と太白区の境界となっている。国道286号の一部、宮城県道22号仙台泉線(旧国道4号)の一部、市道愛宕上杉通1号線、同2号線からなる。 仙台市の愛称命名道路のうちの1つで、公募により1983年(昭和58年)に命名された[1]。北仙台ガード以北は県道22号仙台泉線として泉中央方面へ、愛宕大橋以南は国道286号広瀬河畔通)として長町方面へ繋がる。

路線

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愛宕上杉通は、以下の道路の総称である。なお、愛宕上杉通が広瀬通と交差する「中央2丁目交差点」で、仙台市道は南北に分割されて管理されており、同交差点を両者の起点としている。

  • 仙台市道青葉1153号・愛宕上杉通1号線(全線)
終点:昭和町交差点、起点:中央2丁目交差点。全長:1,845.8m
  • 仙台市道青葉1154号・愛宕上杉通2号線(全線)
起点:中央2丁目交差点、終点:仙台市立病院前交差点[2]。全長:1,308.0m
仙台市立病院前交差点~愛宕大橋南詰の区間
愛宕大橋交差点~愛宕大橋南詰の区間は、仙台市道青葉1312号・愛宕大橋線であったが、2008年平成20年)4月1日から2016年(平成28年)3月31日までは国道4号として運用された[3]

愛宕上杉通は、北端の昭和町交差点付近から北四番丁通りとの接続部までの区間が片側2車線、北四番丁から東二番丁通りとの接続部(仙台市立病院前交差点)までの区間が片側3車線、市立病院前から愛宕大橋北詰までの区間が南行きが4車線、北行きが6車線、これより南の愛宕大橋は朝のラッシュアワーが北行き4車線と南行き2車線、それ以外の時間帯が片側3車線ずつのリバーシブルレーンとなっていたが、時代の流れによる交通変化を受けて、2016年3月21日をもって、上下線ともに片側3車線通行に固定され、廃止となった。[4] 途中、勝山公園近くの北六番丁通りと北五番丁通り間の区間に、かつて上杉山通が1車線一方通行時代からあった樹木を中央分離帯に残したため、上下線とも蛇行する形になっている。

愛宕上杉通との命名後も、旧町名や街路名として江戸時代から使用されてきた各構成道路の名称は残り、今でも上杉山通と東五番丁は頻繁に使われている。その一方で、清水小路は一部が国道286号となったため、道路名としてはあまり使われなくなり、日吉丁は存在すら忘れられた。

愛宕上杉通は複雑な経緯で造られたため、かつての各街路の区間とは異なるのに、定禅寺通国道45号)との交差部である錦町公園前を境にして、北側を上杉山通、南側を東五番丁と認識している市民が見られる[5]。また、仙台市道青葉1153号・愛宕上杉通1号線の区間である中央2丁目交差点(広瀬通と交差)から昭和町交差点まではイチョウ並木が整備されているが、このうち、中央2丁目交差点から錦町公園までの坂は「銀杏坂」との異名で呼ばれるようになった。1987年(昭和62年)、仙台市地下鉄南北線工事の路面復旧および同線開業に合わせて、東五番丁を中心に仙台駅西口周辺には英国ガス灯(一部の柱頂部にはミニチュア伊達政宗騎馬像が付置)が114基設置されたため、東五番丁の仙台駅前付近には「ガス灯のある街 五番街」という愛称が付けられた[6][7]。このように、正式な道路名や愛称の他に、様々な呼称を持つのが愛宕上杉通の特徴である。

道路名対応表(上が北)
地形 境界となる道など 旧町名
旧道路名
現正式名 愛称名
(仙台市)
愛称名
(民間)
上町段丘 昭和町交差点 (在郷道)
仙台市道
青葉1153号
愛宕上杉通
1号線




フラワー
あいさつ
ロード
北七番丁通
上杉山通
北一番丁通
(道なし)
国道45号
定禅寺通/花京院通
段丘崖 銀杏坂
元寺小路
中町段丘 日吉丁
広瀬通
仙台市道
青葉1154号
愛宕上杉通
2号線
ガス燈の
ある街
「五番街」
中央通名掛丁
東五番丁通
北目町通
(旧六道の辻
清水小路
仙台市立病院前交差点
(現東二番丁通と接続)
国道286号
奥州街道
田町通/荒町
段丘崖 (道なし)
愛宕大橋北詰
土樋
下町段丘 (橋なし)
広瀬川
愛宕大橋南詰
愛宕山

歴史

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現在の愛宕上杉通は、江戸時代仙台城の城下町では1本の道として存在しておらず、いくつかに分かれていた。それは、仙台が広瀬川河岸段丘[8] 上につくられたことと関係している。

のちに愛宕上杉通となる道は、仙台上町段丘面には上杉山通(南北道)が北七番丁から北一番丁まであり、段丘崖下の仙台中町段丘面には元寺小路丁字路を形成して日吉丁の字に屈曲する道)があり、やや筋違い東五番丁(北西から南東に延びる道)が続き、六道の辻で筋違いに清水小路(南北道)がさらに接続して、奥州街道を通す荒町(東西道)まで続いていた。荒町より南には段丘崖があって、仙台下町段丘面の土樋(東西道)に繋がる道は無かった。上杉山通では、城下町としての町割りは北七番丁までであったが、北六番丁四ツ谷用水が流れていることもあって、概ね北六以北は台原段丘の麓まで農地が広がり、細い在郷道があるのみだった。また、上町と中町の両段丘の間の段丘崖に上杉山通と日吉丁との間を繋ぐ道はなく、中町と下町の両段丘の間の段丘崖に清水小路と広瀬川河畔を繋ぐ道もなかった。

1887年明治20年)12月15日仙台区(現仙台市)には日本鉄道本線(現JR東北本線)が開通するが、同線が通過する六道の辻ではこのとき、筋違いだった東五番丁と清水小路が直接繋げられ、くの字状に1本の道となった。

1927年(昭和2年)頃の仙台市の地図。

1923年大正12年)には宮城師範学校が、1925年大正14年)には(旧制)第二高等学校が、当時もまだ農地だった上杉山通沿いの北六番丁より北側に相次いで移転した。これにより、北八番丁辺りまで上杉山通は市街化された。

1931年昭和6年)4月 仙台市が宮城郡七北田村荒巻(北仙台地区など)および北根を編入合併[9]。これにより、七北田村内だった現在の愛宕上杉通北端部分も仙台市内になる。

仙台市電1926年大正15年)に開通するが、このときは長町線荒町までの開通で留まった。その後、1933年昭和8年)に清水小路の南端から段丘崖下の下町段丘面に降りる新道と共に荒町から愛宕橋間の市電が開通する。

第二次世界大戦中の1945年昭和20年)7月10日、仙台市街地(おおよその現在の仙台市都心部)は仙台空襲により焦土と化すが、戦後特別都市計画法に基いて戦災復興都市計画がつくられ、1946年昭和21年)5月に仙台特別都市計画復興土地区画整理事業の区域(423.5ha)が決定、1947年昭和22年)2月より戦災復興土地区画整理事業が施行された[10]。このとき、東五番丁を拡幅の上で日吉丁を取り込んで北に延長し、段丘崖に新道を建設して上杉山道の南端に接続する道が造られ、また、元寺小路の南側に東西道の広瀬通が造られた[11]

高度経済成長後の1970年代、仙台市では大正時代以来の仙台市電に合わせた街づくりから、モータリゼーションに合わせた街づくりに変化させ、市電を廃止する一方で市内各所で道路の新設や拡幅を行った。1970年代半ばになると、五橋通が南端だった東二番丁通が南に延伸されて清水小路と接続し、清水小路の南側に続く道と広瀬川の対岸に新設された広瀬河畔通との間を繋ぐ愛宕大橋も完成する一方、仙台市電が廃止された。また、広瀬通から泉市(現・仙台市泉区)の旧七北田宿辺りまで続く「都市計画道路3.3.28元寺小路七北田線」が計画され、1979年昭和54年)10月15日に上杉山通(北行き一方通行)を拡幅する形で、北一番丁から仙山線ガード(昭和町交差点)までの1,196メートルの区間が供用開始された(1985年昭和60年)12月には仙山線ガードから泉市役所までの区間が供用開始)[12]

道路整備が一段落した1980年代初頭には、広幅員化された各々の道に愛称を付けることになり、上杉山通、東五番丁、清水小路などが拡幅されて1本となった道が愛宕上杉通と命名された。この道は、その南端で愛宕神社に通じ、その北部沿道では住居表示の実施で上杉と命名された街区を貫いている。

交差する道路

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  • 交差する道路の特記がないものは市道
交差する道路 交差する場所 路線番号 起点から
km
広瀬河畔通国道286号 川崎山形方面
- - 愛宕大橋南詰 国道286号
市道若林1157号土樋藤塚(その1)線<土橋通 市道青葉1313号土樋線<土樋通> 愛宕大橋
県道235号荒井荒町線荒町通[13] 市道青葉1315号片平丁線田町通 荒町
- 国道286号<東二番丁通 仙台市立病院前[2]
- -
連坊小路 五橋通 五橋駅 -
新寺通 - 五橋1丁目 -
北目町通 中央4丁目
(旧六道の辻
-
- 柳町通 {交差点名称なし} -
南町通 バスプール前 -
青葉通 中央1丁目 -
中央通>(ハピナ名掛丁) {交差点名称なし} -
広瀬通 中央2丁目 -
国道45号 松島方面 - 錦町公園 -
国道45号
定禅寺通松島方面 国道45号<定禅寺通>県庁市役所方面 {交差点名称なし}
- -
<北一番丁通> NHK前[14] -
北四番丁通 上杉1丁目 -
<北六番丁通> 上杉6丁目 -
北七番丁通 {交差点名称なし} -
- 県道22号仙台泉線 昭和町(起終点 -
県道22号仙台泉線 泉中央・台原方面

沿道の施設など

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東五番丁通

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上杉山通

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脚注

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  1. ^ "道路の愛称"(仙台市)2023年11月26日閲覧。
  2. ^ a b 名称の由来となった仙台市立病院は、2014年11月にあすと長町地区に移転している。
  3. ^ 平成20年4月1日から国道4号・国道286号のルートが変更になりました Archived 2009年9月7日, at the Wayback Machine.(仙台市)
  4. ^ 愛宕大橋交差点から根岸交差点までの交通規制を下記のとおり変更しますので、ご理解とご協力をお願いします
  5. ^ 例えば、宮城交通バスで上杉を経由するバスは全て上杉山通の案内で統一され、地下鉄工事に伴う迂回路では「東五番丁通へ右折してください」との看板が見受けられる
  6. ^ 会議録(仙台市議会)
  7. ^ せんだい街なかナビ「街なかの伊達政宗公を探そう!」(仙台市)
  8. ^ 長町-利府線・大年寺断層に沿う地形面区分図地震調査研究推進本部
  9. ^ 仙台市区政概要(仙台市)
  10. ^ 仙台市の土地区画整理事業のあゆみ(仙台市)
  11. ^ (1)青葉通の誕生(仙台市。文書中の地図に新道が示されている)
  12. ^ みやぎの土木史[リンク切れ](宮城県土木部)
  13. ^ 愛宕大橋・河原町から当線保春院前丁・若林区役所方向へは終日右折禁止。
  14. ^ 名称の由来となったNHK仙台放送局は、2018年2月に錦町公園隣の広瀬通沿いに移転している。
  15. ^ 加藤綾「イオンモール、東北大学 雨宮キャンパス跡地の店名は「仙台上杉」」『Impress Watch』2024年10月22日。2024年11月9日閲覧。
  16. ^ 名称は「イオンモール仙台上杉」に 東北大農学部跡地に25年秋オープン」『河北新報』河北新報社、2024年10月21日。2024年11月9日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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