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「無党派」の版間の差分

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'''無党派'''(むとうは)は、どの[[政党]]にも属していない人や、どの政党も支持していない人のことである。[[議員|公職議員]]や[[首長]]が党派に属していない場合は主に[[無所属]]という。
{{国際化|date=2009年9月6日 (日) 01:59 (UTC)|領域=日本}}
'''無党派'''(むとうは)とは特定の[[政党]]の思想に属していないこと。[[議員|公職議員]]や[[首長]]が党派に即していない場合は主に[[無所属]]といい、一般的に無党派は公職選挙における[[有権者]]をさすことが多い。この場合、'''無党派層'''([[日本放送協会|NHK]]では支持なし層)ともいう。


== 概説 ==
== 無党派層 ==
有権者のうち支持政党を持たない層を無党派層または政党支持なし層という{{Sfn|堀江湛|2007|p=142}}。
日本では特定の政党に帰属せず、支持政党をはっきり決めていない有権者が多い。そして、選挙の度に公職選挙の候補を変えることもある。そのため、公職選挙において当選するには無党派の支持を拡大することが重要といわれている。


初期の投票行動の分析では、無党派層は政治的関心の薄い有権者層とされ、政治的にもほとんど重視されなかった{{Sfn|堀江湛|2007|p=142}}。しかし無党派層にも政治的関心が高く投票を行う者も多いことがわかってきており、無党派層の投票の行方が政治を大きく左右することもある{{Sfn|堀江湛|2007|p=142}}。そのため、選挙において当選するには無党派の支持を拡大することが重要といわれることもある。
[[1995年]]に[[東京都知事選挙]]と大阪府知事選挙で無所属の[[青島幸男]]と[[横山ノック]]が当選し、既成政党の候補が敗れた時、無党派が注目されるようになった。同年、「無党派」は[[新語・流行語大賞]]の年間大賞に選ばれた。


日本の政治学者である[[田中愛治]]は、投票行動を分析して無党派層を、そもそも政治的無関心で投票に行くことも少ない政治的無関心層、政治に関心はあるが支持政党をもたない政党拒否層、かつて支持政党をもっていた脱政党層の3つに分類している{{Sfn|堀江湛|2007|p=143}}。
== 無党派拡大背景 ==
無党派層が拡大した背景として、ひとつには従来の政党にとって重要な「票田」となっていた諸団体に帰属する有権者が減少していることが挙げられる。例えば、業種・職種・職能ごとの団体・組合は多くの場合それぞれにいずれかの政党と関係が深い場合が多い。しかし、これらの団体は、特に、[[バブル経済]]崩壊前後よりその構成員を減らしている場合が多い。例えば、[[農業協同組合]]や[[労働組合]]はそれぞれ[[自由民主党]]・[[日本社会党]]の有力支持母体であったが、前者は農業従事者の高齢化などで、後者は組合結成率の低下や[[非正規雇用]]の増加によっていずれも構成員が減少傾向にある。


政党にとっては既存支持層の利益と無党派層の期待の両方が相反する場合には政策の判断が悩ましい問題となる{{Sfn|堀江湛|2007|p=143}}。
それ以外にも、度重なる政治家の汚職や政治不信などが有権者の政治に対する無関心を増大させつつあり、低投票率の場合、近年は[[組織票]]で勝る政党が勝利するケースが多いため、選挙に行くこと自体が無意味と考える人々が多く、そのため、さらに[[投票率]]が下がるという悪循環に陥ってしまう。


== アメリカ合衆国 ==
個々人の価値観が極度に多様化していることも特定の政党を支持しづらいことに繋がっている。
アメリカでは投票行動の分析・研究が特に発達してきた{{Sfn|堀江湛|2007|p=134}}。


1950年代の世論調査をもとにした[[ミシガン大学]]での研究は投票者の政党帰属意識(政党支持態度)の観点から分析を行うもので「ミシガン・モデル」または「政党帰属意識モデル」として投票行動理論の古典的地位を占めた{{Sfn|堀江湛|2007|pp=135-136}}。ところが、1960年代中盤以降になると政党離れによる無党派層の増大や争点志向の増大により投票行動モデルの修正が必要となった{{Sfn|堀江湛|2007|p=136}}。
== 無党派の分類 ==
無党派は大きく、積極的無党派と消極的無党派とに分かれる。積極的無党派は、政治自体に対する関心はあるが、その考え方に一致する政党がないなどの理由で支持する政党がないものである。ただし、考え方が一致していなくても、「次善の策」としてある政党に票を投じたり、あるいはある政党の政策に強く反対するために対抗する政党に票を投じたりする可能性はある。また、[[無政府主義]]、[[反議会主義]]的に棄権や白票投票を積極的に行い、抗議の意志を表す可能性もある。消極的無党派は政治に対する関心自体を喪失しているものを指し、'''「政治的無関心層」([[ノンポリ]])'''とも称される。


1960年代には[[ベトナム戦争]]や人種問題といった新たな問題を背景に、候補者評価の基準に所属政党ではなく争点を挙げる有権者が増大した{{Sfn|堀江湛|2007|p=136}}。このような投票行動をもとにした投票モデルは争点投票モデルと呼ばれる{{Sfn|堀江湛|2007|p=136}}。
積極的無党派の中には、政党・団体への加入そのものを否定し、いかなる団体へも加入していない候補者以外支持しなかったり、候補者が政党・団体の推薦・支持を受けることを否定したりする急進的な考えの持ち主もいる。しかし、彼らが問題にするのは候補者が団体との何らかのつながりがあるかどうかであり、政策についてはあまりこだわらない。ゆえに、無党派の推す候補者の傾向に一貫性がみられないこともある。


1970年代になりベトナム戦争などが主要な政策上の争点から外れると争点投票モデルの有効性も低下し{{Sfn|堀江湛|2007|p=136}}、かわって政権の業績に対するラフな評価が投票行動に影響しているとみる業績投票モデルが登場した{{Sfn|堀江湛|2007|p=137}}。この業績評価モデルは政党帰属意識モデルと対立するものではなく、政党帰属意識モデルに業績評価の観点を組み込んだ投票行動モデルである{{Sfn|堀江湛|2007|p=137}}。
急進的な無党派主義がエスカレートすると、候補者や議員に対してあらゆる団体からの脱退を求めたりする。さらに、政党関係者が無党派候補への支持を表明することに嫌悪感を示し、無党派候補支持者に特定政党関係者・支持者がいる場合は排除する。こうなると無党派も一種の党派性を帯びてくる。


== 無党派候補 ==
== 日本 ==
=== 無党派増大 ===
無党派層が候補者の所属団体のみにこだわり、政策を考慮しない姿勢を逆手に取り、団体に所属しないことのみを強調し、政策を全く語らない候補者も出てくる。これらの候補者を'''無党派候補'''と称する。
1976年12月の[[第34回衆議院議員総選挙]]の公示1週間前、評論家活動をしていた元職の[[麻生良方]]は「無党派立候補宣言」をし、旧東京1区において無所属でトップ当選を果たした<ref>[[麻生良方]]「〝ヒモ〟つき候補に挑戦する」 『経済往来』1979年3月号、経済往来社、128-147頁。</ref>。同じく無所属で立候補して当選した[[宇都宮徳馬]]、[[鳩山邦夫]]、麻生の3人はそれぞれ思想的背景は異なっていたが、第80回国会が召集された同年12月30日、会派「無党派クラブ」を結成した<ref>{{cite web | url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=108004024X00119761230 | title=第80回国会 衆議院 議院運営委員会 第1号 昭和51年12月30日 | publisher=国会会議録検索システム | date= | accessdate=2023-11-18 }}</ref>。


日本では無党派層は1960年代後半までは有権者の1割程度であった{{Sfn|堀江湛|2007|p=142}}。当時は冷戦構造下であったのに加えて、日本社会においても[[有産階級]]と[[無産階級]]に分かれていた時代の名残がまだ残っており、有権者の政党支持傾向もそれを反映していたといえる。その後、日本の高度経済成長に伴う中流層の増大により、1970年代から1990年代初めにかけて無党派層は有権者の2割から3割程度となったものの、政党支持層に比べると少数派であった{{Sfn|堀江湛|2007|p=142}}。しかし、冷戦構造が崩壊し[[一億総中流]]社会となった1990年代に無党派層は急増し、1990年代中頃には無党派層が有権者の半数前後を占めるようになった{{Sfn|堀江湛|2007|p=142}}。
古くから、[[国会議員#参議院議員|参議院議員]]の間では「[[良識の府]]」として党派に所属すべきでないという意識が広まっていた。これは旧[[貴族院_(日本)|貴族院]]の影響を受けており、「無党派」とはやや異なるが、[[緑風会]]が非政党の会派として初期には大きな影響力を持った。


[[1991年山梨県知事選挙]]で政党の推薦や支援がない[[天野建]]は四大政党が支援する元副知事候補を破って当選し、後に「無党派知事」の魁と呼ばれた。また、[[1995年]]に[[1995年東京都知事選挙|東京都知事選挙]]と[[大阪府知事選挙]]で無所属の[[青島幸男]]と[[横山ノック]]が当選し、既成政党の候補が敗れた時、無党派が注目されるようになった。同年、「無党派」は[[新語・流行語大賞]]の年間大賞に選ばれた。
それに続くのが、[[青島幸男]]や[[横山ノック]]などであった。この2人は後に東京都・大阪府両知事選で当選し、「'''無党派知事'''」と持てはやされた。なお、無党派知事の先駆けとして、地元自民党都連・県連の支援を受ける自民党系ながら自民党本部の推薦を受けられずに保守分裂となった[[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]]([[東京都]])や[[天野建]]([[山梨県]])を挙げる説もある。


1990年代の無党派層の増大は、国際的には[[冷戦]]構造の終焉、国内的には[[55年体制]]の崩壊後の政党の分裂と新党の結成などによる有権者の認知的不協和が原因にあるとされている{{Sfn|堀江湛|2007|p=138}}。また、たび重なる政治家の汚職や政治不信などが有権者の政治に対する無関心を増大させつつあり、低投票率の場合は[[組織票]]で勝る政党が勝利するケースが多いため、選挙に行くこと自体が無意味と考える人々が多いことも挙げられている。個々人の価値観が極度に多様化していることも、特定の政党を支持しづらいことにつながっている。日本において一億総中流社会が崩壊した21世紀に入ってからも、その傾向はさらに続いている。
政策をまったく異にする候補者がひと括りにされることも多い(例えば、[[川田悦子]]と[[江田憲司]]、[[橋本大二郎]]・[[田中康夫]]と[[東国原英夫]]・[[石原慎太郎]]・[[中田宏]]など)。


1990年代に増大した無党派層は、必ずしもすべてが政治的関心が低い層というわけではなく、政治的関心をもち投票へ行く有権者層もあることから、無党派層の投票の行方が政治を大きく左右することもある{{Sfn|堀江湛|2007|p=142}}。[[第42回衆議院議員総選挙|2000年衆議院選挙]]の直前、無党派層が野党民主党に多く投票すると予想されていたため、当時の[[内閣総理大臣|首相]][[森喜朗]]は「無党派層は寝ていてくれれば」と発言して批判された<ref>[http://www.nikkei.co.jp/topic3/elecnews/archive/20000620diii210020.html 首相「無党派は寝ていてくれれば・その後記者団に訂正」]2000年6月20日NIKKEI NET選挙ニュース、2015年12月31日閲覧。</ref>。
無党派と称される、もしくは自称する候補者が必ずしも政党・団体に全く所属していないとは限らない。石原慎太郎などは[[自由民主党 (日本)|自民党]]所属であるし、田中康夫は任期途中で[[新党日本]]代表に就任した。また、「[[政治団体]]無党派」([[辻山清]])「[[無党派市民連合]]」([[中山千夏]]、[[矢崎泰久]]、[[永六輔]]ら)など無党派を冠する団体もある。


[[第44回衆議院議員総選挙|2005年の衆議院選挙]]での[[自由民主党 (日本)|自民党]]の大勝は、無党派層の投票動向が選挙結果に大きく影響した事例と考えられている{{Sfn|堀江湛|2007|pp=142-143}}。
なお、[[泡沫候補]]は無所属が多く、組織のバックアップのない純粋な無党派候補も多い。


== 無党派への選挙活動 ==
=== 無党派層と選挙活動 ===
無党派層の投票行動を分析する場合、棄権、政党候補への投票、無所属候補への投票が考えられる{{Sfn|堀江湛|2007|p=143}}。既存政党にマイナスのイメージを持っている有権者に対しては無所属候補が有利となり、政党の支持を受けている候補者も政党色を抑えた選挙活動を行うことがある。また、消極的無党派を取り込むための策として、[[タレント政治家|タレント候補]]を立てることがある。多くは[[比例代表制]][[非拘束名簿式]]の候補者名簿に置かれ、そのファンなどの票に期待するものである。
特に、2003年以降、各政党は国政選挙にこぞって[[マニフェスト]]と称する政治公約を公開している。これは積極的無党派へのアピールとして有効であると考えられている。[[小泉純一郎]]は「無党派は宝の山」と言ったことがある。


== 脚注 ==
また、消極的無党派を取り込むための策として、[[タレント政治家|タレント候補]]を立てることがある。多くは[[比例代表制]][[非拘束名簿式]]の候補者名簿に置かれ、そのファンなどの票に期待するものである。
{{Reflist|2}}


== 関連書籍 ==
== 参考文献 ==
*橋本晃和民意の主役 無党派層の研究」(中央公論新社
*{{Cite book|和書|author=橋本晃和|title=民意の主役 無党派層の研究|publisher=中央公論新社|year=2004|page=|isbn=9784120035333|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=堀江湛|title=政治学・行政学の基礎知識 (第2版)|publisher=一藝社|year=2007|page=|isbn=9784901253918|ref=harv}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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*[[ドナルドダック党]]
*[[ドナルドダック党]]
*[[ノンセクト・ラジカル]]
*[[ノンセクト・ラジカル]]
*[[小ブルジョア]]
*[[平和・民主・革新の日本をめざす全国の会]] - 無党派と[[日本共産党]]との共同を目的につくられた組織
*[[平和・民主・革新の日本をめざす全国の会]] - 無党派と[[日本共産党]]との共同を目的につくられた組織
* [[支持政党なし (政治団体)]] - [[佐野秀光]]が2013年に設立した政治団体の名称。


== 外部リンク ==
* [https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E5%85%9A%E6%B4%BE%E5%B1%A4-159388 無党派層] - コトバンク

{{歴代の新語・流行語大賞の受賞者 (年間大賞選定以後・1991-2010)}}
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無党派(むとうは)は、どの政党にも属していない人や、どの政党も支持していない人のことである。公職議員首長が党派に属していない場合は主に無所属という。

無党派層[編集]

有権者のうち支持政党を持たない層を無党派層または政党支持なし層という[1]

初期の投票行動の分析では、無党派層は政治的関心の薄い有権者層とされ、政治的にもほとんど重視されなかった[1]。しかし無党派層にも政治的関心が高く投票を行う者も多いことがわかってきており、無党派層の投票の行方が政治を大きく左右することもある[1]。そのため、選挙において当選するには無党派の支持を拡大することが重要といわれることもある。

日本の政治学者である田中愛治は、投票行動を分析して無党派層を、そもそも政治的無関心で投票に行くことも少ない政治的無関心層、政治に関心はあるが支持政党をもたない政党拒否層、かつて支持政党をもっていた脱政党層の3つに分類している[2]

政党にとっては既存支持層の利益と無党派層の期待の両方が相反する場合には政策の判断が悩ましい問題となる[2]

アメリカ合衆国[編集]

アメリカでは投票行動の分析・研究が特に発達してきた[3]

1950年代の世論調査をもとにしたミシガン大学での研究は投票者の政党帰属意識(政党支持態度)の観点から分析を行うもので「ミシガン・モデル」または「政党帰属意識モデル」として投票行動理論の古典的地位を占めた[4]。ところが、1960年代中盤以降になると政党離れによる無党派層の増大や争点志向の増大により投票行動モデルの修正が必要となった[5]

1960年代にはベトナム戦争や人種問題といった新たな問題を背景に、候補者評価の基準に所属政党ではなく争点を挙げる有権者が増大した[5]。このような投票行動をもとにした投票モデルは争点投票モデルと呼ばれる[5]

1970年代になりベトナム戦争などが主要な政策上の争点から外れると争点投票モデルの有効性も低下し[5]、かわって政権の業績に対するラフな評価が投票行動に影響しているとみる業績投票モデルが登場した[6]。この業績評価モデルは政党帰属意識モデルと対立するものではなく、政党帰属意識モデルに業績評価の観点を組み込んだ投票行動モデルである[6]

日本[編集]

無党派層の増大[編集]

1976年12月の第34回衆議院議員総選挙の公示1週間前、評論家活動をしていた元職の麻生良方は「無党派立候補宣言」をし、旧東京1区において無所属でトップ当選を果たした[7]。同じく無所属で立候補して当選した宇都宮徳馬鳩山邦夫、麻生の3人はそれぞれ思想的背景は異なっていたが、第80回国会が召集された同年12月30日、会派「無党派クラブ」を結成した[8]

日本では無党派層は1960年代後半までは有権者の1割程度であった[1]。当時は冷戦構造下であったのに加えて、日本社会においても有産階級無産階級に分かれていた時代の名残がまだ残っており、有権者の政党支持傾向もそれを反映していたといえる。その後、日本の高度経済成長に伴う中流層の増大により、1970年代から1990年代初めにかけて無党派層は有権者の2割から3割程度となったものの、政党支持層に比べると少数派であった[1]。しかし、冷戦構造が崩壊し一億総中流社会となった1990年代に無党派層は急増し、1990年代中頃には無党派層が有権者の半数前後を占めるようになった[1]

1991年山梨県知事選挙で政党の推薦や支援がない天野建は四大政党が支援する元副知事候補を破って当選し、後に「無党派知事」の魁と呼ばれた。また、1995年東京都知事選挙大阪府知事選挙で無所属の青島幸男横山ノックが当選し、既成政党の候補が敗れた時、無党派が注目されるようになった。同年、「無党派」は新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれた。

1990年代の無党派層の増大は、国際的には冷戦構造の終焉、国内的には55年体制の崩壊後の政党の分裂と新党の結成などによる有権者の認知的不協和が原因にあるとされている[9]。また、たび重なる政治家の汚職や政治不信などが有権者の政治に対する無関心を増大させつつあり、低投票率の場合は組織票で勝る政党が勝利するケースが多いため、選挙に行くこと自体が無意味と考える人々が多いことも挙げられている。個々人の価値観が極度に多様化していることも、特定の政党を支持しづらいことにつながっている。日本において一億総中流社会が崩壊した21世紀に入ってからも、その傾向はさらに続いている。

1990年代に増大した無党派層は、必ずしもすべてが政治的関心が低い層というわけではなく、政治的関心をもち投票へ行く有権者層もあることから、無党派層の投票の行方が政治を大きく左右することもある[1]2000年衆議院選挙の直前、無党派層が野党民主党に多く投票すると予想されていたため、当時の首相森喜朗は「無党派層は寝ていてくれれば」と発言して批判された[10]

2005年の衆議院選挙での自民党の大勝は、無党派層の投票動向が選挙結果に大きく影響した事例と考えられている[11]

無党派層と選挙活動[編集]

無党派層の投票行動を分析する場合、棄権、政党候補への投票、無所属候補への投票が考えられる[2]。既存政党にマイナスのイメージを持っている有権者に対しては無所属候補が有利となり、政党の支持を受けている候補者も政党色を抑えた選挙活動を行うことがある。また、消極的無党派層を取り込むための策として、タレント候補を立てることがある。多くは比例代表制非拘束名簿式の候補者名簿に置かれ、そのファンなどの票に期待するものである。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 堀江湛 2007, p. 142.
  2. ^ a b c 堀江湛 2007, p. 143.
  3. ^ 堀江湛 2007, p. 134.
  4. ^ 堀江湛 2007, pp. 135–136.
  5. ^ a b c d 堀江湛 2007, p. 136.
  6. ^ a b 堀江湛 2007, p. 137.
  7. ^ 麻生良方「〝ヒモ〟つき候補に挑戦する」 『経済往来』1979年3月号、経済往来社、128-147頁。
  8. ^ 第80回国会 衆議院 議院運営委員会 第1号 昭和51年12月30日”. 国会会議録検索システム. 2023年11月18日閲覧。
  9. ^ 堀江湛 2007, p. 138.
  10. ^ 首相「無党派は寝ていてくれれば・その後記者団に訂正」2000年6月20日NIKKEI NET選挙ニュース、2015年12月31日閲覧。
  11. ^ 堀江湛 2007, pp. 142–143.

参考文献[編集]

  • 橋本晃和『民意の主役 無党派層の研究』中央公論新社、2004年。ISBN 9784120035333 
  • 堀江湛『政治学・行政学の基礎知識 (第2版)』一藝社、2007年。ISBN 9784901253918 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]