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'''鄶'''(會、檜、かい)は、[[周|西周]]時代の[[諸侯国]]。現在の[[河南省]][[鄭州市]][[新鄭市]]北西・[[新密市]]南東に位置する。[[平王東遷]]後、鄶は[[鄭]]に併呑された。 |
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== 滅亡 == |
== 滅亡 == |
2021年4月17日 (土) 00:47時点における版
不詳 - 紀元前769年 | |
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国姓 | 妘姓 |
爵位 | 不詳 |
国都 | 河南省鄭州市新鄭市北西・新密市南東 |
分封者 | 不詳 |
始祖 | 不詳 |
滅亡原因 | 鄭により滅亡 |
史書の記載 |
『国語』鄭語 『史記』鄭世家 |
周朝諸侯国一覧 |
鄶(會、檜、かい)は、西周時代の諸侯国。現在の河南省鄭州市新鄭市北西・新密市南東に位置する。平王東遷後、鄶は鄭に併呑された。
滅亡
『国語』鄭語の記載では西周末年の幽王時代、太史伯は鄭の桓公に天下形勢を分析した。太史伯は周の東都の成周付近発展し、まずは鄶と虢に財物と妻子を預け、次に両国を滅ぼし、根拠地を取得するように提案した。桓公と後継者の鄭の武公はこの策略を用いたとある。
『春秋公羊伝』桓公十一年の記載には、鄭の東遷後、留(現在の江蘇省徐州市沛県付近)にとどまっていたが、鄭の武公と鄶の君主の夫人が通姦していた為、鄶を滅ぼし、鄭は鄶の故地に遷ったとある。
『国語』周語中の記載には春秋時代の周の襄王時期の大夫の富辰が称し、鄶の君主の夫人の叔妘によって鄶を破滅に導いたとある。
『今本竹書紀年』によると周の平王四年、鄭が鄶を滅ぼしたとある。
『漢書』地理志の臣瓚注の記載には周の幽王の敗死後、鄭の武公二年、鄭は鄶を滅ぼしたとある[1]。
脚注
- ^ 『漢書』地理志・臣瓚注:「鄭桓公寄帑与賄于虢・會之間。幽王既敗,二年而滅會,四年而滅虢」。転引自楊伯峻《春秋左伝注》隠公元年,中華書局1990年5月第2版,第11頁。
参考文献
- 楊伯峻《春秋左伝注》 ISBN 7101002625
- 童書業《春秋左伝研究》 ISBN 7101051448