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イフ・ユー・ウォナ・ビー・ハッピー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「イフ・ユー・ウォナ・ビー・ハッピー」
ジミー・ソウルシングル
初出アルバム『If You Wanna Be Happy』
B面 Don't Release Me
リリース
規格 7インチ・シングル
ジャンル ポップ
時間
レーベル S.P.Q.R.
作詞・作曲 フランク・グイダ
カーメラ・グイダ
ジョゼフ・ロイスター
プロデュース フランク・グイダ
チャート最高順位
ジミー・ソウル シングル 年表
My Baby Loves To Bowl
(1962年)
イフ・ユー・ウォナ・ビー・ハッピー
(1963年)
Treat 'Em Tough
(1963年)
ミュージックビデオ
「If You Wanna Be Happy」 - YouTube
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イフ・ユー・ウォナ・ビー・ハッピー」(If You Wanna Be Happy)は、ジミー・ソウルが1963年に発表した楽曲。全米1位を記録した。

概要

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第二次世界大戦中、トリニダード島に暮らしていた音楽プロデューサーのフランク・グイダ(Frank Guida)にとってカリプソは非常に身近な音楽であった。彼はカリプソとリズム&ブルースを合体させた曲を作ることを思い立つ。ノーマン・スパンという人物に書かせた「Twistin' Matilda (And the Channel)」はジェームズ・マクリーズという19歳の青年が歌うことになり、1961年12月にリリースされた。マクリーズはこのシングルからジミー・ソウルと名を改めた。「Twistin' Matilda (And the Channel)」は翌1962年5月にビルボード・Hot 100の22位を記録した[2]

グイダは、カリプソニアンのロアリング・ライオン(Roaring Lion)が戦前に発表した「Ugly Woman」を下敷きにして、妻のカーメラ・グイドとジョゼフ・ロイスターと「イフ・ユー・ウォナ・ビー・ハッピー」を書いた。歌詞の多くは「Ugly Woman」からとられた[2]。「Ugly Woman」は以下のような内容を持つ曲であった。

幸せになりたいのなら
王様のような生活を送りたいのなら
決してきれいな女を女房にしてはならない
それさえ守れば君はずっとお気楽で陽気に楽しく暮らしていける
合理的な観点から言うのだよ
私が言いたいのは
汝、常に自分より醜い女を愛せよ — Ugly Woman (Roaring Lion)

グイダらはこれを少し変えて「残りの人生を幸せに暮らしたいのなら/きれいな女を女房にするんじゃないぞ/俺の個人的な見解だが/醜い女を見つけたらその子と結婚しろ」とした。歌い手と悪友たちの間の掛け合いはボ・ディドリーのヒット曲「Say Man」のパロディである。「よお大将/なんだい/昨日お前のかみさんを見た/そうかい/かみさん不細工だなあ/そうさ。不細工だが料理はうまいんだぜ/なら大丈夫だ」[3]

1963年1月、シングルとして発売された[1]。同年5月18日から25日にかけて2週連続でビルボード・Hot 100の1位を記録し[4]、Hot R&B Singlesチャートでも1位を記録。大ヒットとなった。

『偽りのヘブン』(1988年)、『ワン・モア・タイム』(1989年)、『恋する人魚たち』(1990年)、『ベスト・フレンズ・ウェディング』(1997年)などの映画で使用された。

カバー・バージョン

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脚注

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関連項目

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先代
リトル・ペギー・マーチ
アイ・ウィル・フォロー・ヒム
Billboard Hot 100 第1位
1963年5月18日 - 5月25日(2週)
次代
レスリー・ゴーア
涙のバースデイ・パーティ
先代
リトル・ペギー・マーチ
「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」
Billboard Hot R&B Singles 第1位
1963年6月1日(1週)
次代
サム・クック
「アナザー・サタデイ・ナイト」