大村筆雄
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大村 筆雄(おおむら ふでお、1918年4月10日 - 2008年9月29日)は、日本の大蔵官僚。
来歴
[編集]広島県福山市三之丸町生まれ。広島県立福山誠之館中学校から第六高等学校(文科乙類)に入学。六高時代は柔道部に入部。官僚の道を選ぶべく東京帝国大学法学部を目指し、1938年に入学。東京帝大法学部法律学科3年次の1940年10月に高等試験行政科及び司法科を合格。東京帝大法学部法律学科を卒業し、1941年 大蔵省に入省し、国民貯蓄奨励局に配属された[1]。8か月の勤務の後、広島の部隊に陸軍二等兵として入隊。1944年3月 パラオ諸島の中心コロール島に着任した。米軍の攻略目標から外れた大村らの基幹部隊は、パラオ本島のジャングルの中で持久作戦に入る。1946年1月にパラオから帰還。同年2月に復職し、物価部に配属される。1960年9月8日 主計局総務課長。1962年5月16日 名古屋国税局長。1964年5月8日 防衛庁経理局長。1967年8月4日 国有財産局長。1968年6月7日 退官。同年6月 日本開発銀行理事。政策金融を担当。1972年6月 日本住宅公団副総裁。1975年11月 会計検査院検査官。1980年12月2日 会計検査院長(〜1982年11月20日)。1985年4月1日 獨協大学理事長(〜1986年7月5日)。1990年4月29日 勲一等瑞宝章受章。2008年9月29日 東京都港区の病院において急性心不全で逝去。叙従三位。
略歴
[編集]- 1941年4月:大蔵省に入省。国民貯蓄局に配属[1]。
- 1941年11月:休職。
- 1941年12月:現役兵(西部第10部隊)。
- 1942年1月:辞職。
- 1942年1月:海軍主計中尉・海軍経理学校。
- 1944年3月:第30海軍建設部員。
- 1946年1月:予備役・復員召集・第2復員官・横須賀地方復員局出仕。
- 1946年2月:召集解除。
- 1946年2月:物価部。
- 1946年8月:物価庁第3部[1]。
- 1946年9月:物価庁第2部価格第3課[1]。
- 1946年11月:物価庁第4部繊維課[1]。
- 1948年6月:理財局調査部 兼 主計局[1]。
- 1949年6月:主計局主計官(鉄道、電気通信担当)。
- 1952年8月:主計局主計官(文部、厚生、労働担当)。
- 1954年6月:主計局主計官(司法、厚生、社会保険、労働担当)。
- 1955年8月:主計局主計官(農林担当)。
- 1957年8月:東京国税局総務部長。
- 1959年6月:主計局主計官。
- 1959年8月:主計局主計官(地方財政、文部担当)。
- 1960年7月:主計局主計官(地方財政、補助金担当)。
- 1960年9月8日:主計局総務課長。
- 1961年4月5日:主計局総務課長 兼 主計局司計課長。
- 1961年7月1日:主計局総務課長。
- 1962年5月16日:名古屋国税局長。
- 1964年5月8日:防衛庁経理局長。
- 1967年8月4日:国有財産局長。
- 1968年6月7日:退官。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 大村筆雄 - 福山誠之館同窓会
官職 | ||
---|---|---|
先代 松永勇 |
大蔵省国有財産局長 1967年 - 1968年 |
次代 青山俊 |
先代 太田亮一 |
名古屋国税局長 1962年 - 1964年 |
次代 立川宗正(心得) |
先代 中尾博之 |
大蔵省主計局総務課長 1960年 - 1962年 |
次代 岩尾一 |
先代 牧野誠一 |
東京国税局総務部長 1957年 - 1959年 |
次代 堀口定義 |