正定寺 (古河市大手町)
正定寺 | |
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本堂(2012年7月) | |
所在地 | 茨城県古河市大手町7-1 |
位置 | 北緯36度11分47.27秒 東経139度42分0.36秒 / 北緯36.1964639度 東経139.7001000度 |
山号 |
証誠山 利勝山 |
院号 | 宝地院 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 寛永10年(1633年) |
開山 | 玄哲 |
開基 | 土井利勝 |
正式名 | 証誠山 宝地院 正定寺 |
文化財 | 旧土井家江戸屋敷表門(正定寺黒門)(市指定・建造物)他 |
法人番号 | 9050005005667 |
正定寺(しょうじょうじ)は、茨城県古河市大手町(東片町)にある浄土宗の寺院。正式には、山号を証誠山、院号を宝地院、寺号を正定寺という[1]。山号は別名「利勝山」とも呼ばれる。
歴史
[編集]江戸時代の寛永10年(1633年)、幕府大老を務めた古河城主・土井利勝が開基、当誉玄哲(とうよ げんてつ)が開山にあたり、土井家歴代の菩提寺となった[1]。古河城観音寺曲輪の堀を挟んだ北側に隣接し、追手門に近い武家地に立地していた。
『古河志』に引用されている当寺の略縁起によれば、開山にあたった玄哲は江戸(東京・芝)の増上寺十三世・廓山上人の弟子で、大和国(奈良県)出身。古河市下大野にある同名の「正定寺」41世だったが、利勝の招きに応じて城下にこの寺を開山。両寺ともに土井家の菩提寺として保護された[2][3][4]。
土井家墓所は東京・浅草の誓願寺にあったが、関東大震災の復興工事に伴って立ち退きが必要となり、昭和2年(1927年)、正定寺に移転・改葬。平成2年(1990年)には、増上寺内の安蓮社にあった利勝の墓碑も移されている[5][6]。
境内
[編集]境内面積は3,700平方メートル。本堂は2回焼失しており、現在の本堂は1832年(天保3年)4月21日、11代古河城主である土井利位によって再興された[4]。本堂の他に、赤門・黒門・鐘楼堂の他、春日局が徳川家光より拝領し、堀田正俊が譲り受けたと伝わる開運弁女天などを収めた弁天堂、稲荷堂、芭蕉塚、徳川家綱の生母・お楽の方の墓もある[1][7]。赤門は、8代土井利里が1775年(安永4年)に建立[4]。黒門は、東京の土井邸から1933年(昭和8年)に移築されたものである。
本尊の阿弥陀如来像が安置されるほか、観音菩薩像・勢至菩薩像・善導大師像・法然上人像がある[4]。
文化財
[編集]- 旧土井家江戸屋敷表門(黒門):東京・本郷にあった旧古河藩主土井家の下屋敷表門が、昭和8年(1933年)に移築・寄進された。上層武士の家の門として用いられることの多い薬医門構造。高さ470cm、幅621cm、瓦葺。古河市指定文化財(建造物)[8][9]。
- 土井家墓所: 前述。古河市指定文化財(史跡)[5]。
- 絹本着色土井利勝肖像画:古河城主土井利勝晩年の衣冠束帯姿が描かれている。一幅 縦80cm、横37cm。1964年(昭和39年)茨城県指定文化財(絵画)[10]。
- 絹本着色土井利益夫妻肖像画:土井家第五代城主利益夫妻の肖像画。第六代利実が父母の追善供養のため描かせた。一双 縦90cm、横37cm。古河市指定文化財(絵画)[11]。
- 土井家遺品: 以下23点が古河市指定文化財(歴史資料)となっている。荷物札、中啓 (ちゅうけい)、烏帽子(えぼし)、猿毛槍、三叉槍鞘、日の丸軍扇、豹毛長刀鞘、熊毛長刀鞘、杉の花差、利位筆扇子、利位短冊、土井家系譜、沓、土井利位著雪華図説版木印影、綾藺笠(あやいがさ)、房川船橋虎綱、本行作長刀、明珍作利勝使用海老胴具足、水主者(かこもの)板絵図、利勝書蹟、利位書蹟、利勝書蹟、三間三尺猿毛槍鞘箱[12]。
古河七福神めぐり(弁財天)
[編集]境内には弁天堂があり、毎年1月に開催される「7000歩で歩ける 古河七福神めぐり」コースの一部になっている。
交通
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 『古河市史 民俗編』 古河市、1983年、822頁(正定寺)
- ^ 『古河志』・「正定寺」(『古河市史 資料 別巻』267-270頁)
- ^ 『総和町史 通史編 原始・古代・中世』 525-532頁(大野正定寺・内山俊身 執筆)
- ^ a b c d 今瀬文也『茨城県大百科事典』 1981, p. 536.
- ^ a b 古河市公式ホームページ 観光情報 正定寺
- ^ 『古河市の文化財』 古河市、72頁、1993年
- ^ 古河市観光協会オフィシャルサイトこがナビ・正定寺
- ^ 古河市公式ホームページ 【市指定文化財】旧土井家江戸屋敷表門(正定寺黒門)
- ^ 『古河市の文化財』 古河市、12頁、1993年
- ^ 『古河市の文化財』 古河市、5頁、1993年
- ^ 『古河市の文化財』 古河市、16頁、1993年
- ^ 『古河市の文化財』 古河市、56頁、1993年
参考文献
[編集]- 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 資料 別巻』 古河市、昭和48年(1973年)
- 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 民俗編』 古河市、1983年
- 古河市文化財保護審議会 編 『古河市の文化財』 古河市、1993年
- 総和町史編さん委員会 編 『総和町史 通史編 原始・古代・中世』 総和町、平成17年(2005年)
- 今瀬文也『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年、536頁。