百万都市・江戸の人々は、「傘かしげ」「肩引き」「こぶし腰浮かせ」といったしぐさを身につけることにより、平和で豊かな生活を送っていた。しかし、幕末に薩長新政府軍によって江戸市民は虐殺され、800とも8000とも言われる「江戸しぐさ」は断絶の危機に瀕した……。
このような来歴を持つ「江戸しぐさ」は、現在では文部科学省作成の道徳教材にまで取り入れられるようになった。しかし、伝承譚の怪しさからも分かるように、「江戸しぐさ」は、全く歴史的根拠のないものなのである。
実際には、1980年代に芝三光という反骨の知識人によって「発明」されたものであり、越川禮子・桐山勝という二人の優秀な伝道者を得た偶然によって、「江戸しぐさ」は急激に拡大していく……。
この連載は、上記の事実を明らかにした「江戸しぐさ」の批判的検証本『江戸しぐさの正体』の続編であり、刊行後も継続されている検証作業を、可能な限りリアルタイムに近い形でお伝えせんとするものである。
前回、1970年台の江戸の良さを見なおす会で「二百五十戒五百律」という用語が用いられていたことに言及したが、生前の芝三光のエッセイでこの言葉の意味について言及したものがある。
戒とは、字の通り、自分自身を戒めるもので、律とは、戒めにそむいたとき、みずからを律すためのものです。たとえば、江戸っ子は、折衝をしないばかりか、殺すというような野蛮な言葉も、不用意に口に出さない…これが、戒です。これは、人を殺したり、野蛮な言辞をろうすると、罰せられたり、いやしい人間だと、他人に非難されるから、しないのではなくて、殺生は、自己の良心に対して、悪いからできないのであり、粗暴な言葉は、自分の心に、不快感を与えるから、はいたり、書いたりできないのです。つまり、戒とは、人に言われなくても、自主的にする戒めです。それに対して、もし、あやまって殺生したり悪い言辞をろうしたようなとき、その対象や良心に対して、それらに相当する償いを、しなくてはなりません。…これが律です。つまり、律は、いまの法律に似ていますが、法律と大きく違うのは、自己が、自己を罰するという点です。他人の力で、刑に服させられるのではなく、それぞれ、戒に対応してきめられた律に、みずから、きびしく服するのです。(中略)江戸っ子の戒律は、二五○の戒めと、それに対応する重軽五○○の律しごとがあったのです。これを、二五○戒五○○律といいます。本来、江戸っ子とは、江戸、つまり東京で生まれた人に対する呼び名ではなくて、日本国中どこで生まれても、参勤交代などで江戸に来てこの戒律で生きぬこうとする人たちであれば、それらすべてを指す呼び方であったのです。(芝三光「江戸っ子と戒律について」『江戸しぐさ一夜一話』20~22頁)
『江戸しぐさ一夜一話』(新風社/2004年3月刊)
この文章は当時、芝や岩淵いせ氏(現・和城伊勢氏)が関わっていたミニコミ『青光(ブルーライト)』創刊号(1971年5月)の読者からの問い合わせに答えるためのものとして書かれている。したがって発表時期は71~72年頃と思われる。
芝の言う、江戸っ子とは二百五十戒五百律を守る者だという定義は、後年の、江戸っ子とは「江戸しぐさ」を行なう者という主張に受け継がれたものである。この二百五十戒五百律こそ後の「江戸しぐさ」の原型とみなしてよいだろう。
つまり、「江戸しぐさ」の原型は江戸っ子において罰せられるべき行為・言動とその具体的な罰との組み合わせとして構想されていたようなのである。
この構想は形になることはなかったが、罰せられるべき行為・言動を探すためのフィールドワーク、すなわち人間観察は後の「江戸しぐさ」創作に生かされていく。
「江戸しぐさ」の原点が芝の幼少時における教育や体験、戦後に身に着けた英米風マナーなどにあるとしても、個々のしぐさの具体例は同時代人の観察から得られたものだった。
特にその観察の場として役だったのは電車やバスの中だったようである。
越川禮子氏は『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋』213頁において、芝に弟子入りしてからのこととして「師は東京じゅうを行脚して、出会う人々のしぐさを観察したことを」話してくれたと記している。
その人間観察の成果が現行の「江戸しぐさ」に結実していく過程を特によく示しているのは、江戸の良さを見なおす会名義の書籍『江戸しぐさ講』(2005年初版・2009年再版)に収められた芝の遺構である。
さて、『江戸しぐさ講』に収められた「江戸しぐさ」講義例(女性の講師が想定されているが実際には芝の執筆と思われるもの)には「お嬢さんのしないシグサ」と「電車のなかで見かけるしぐさ」なるものの列挙がある。
「お嬢さんのしないシグサ」の内容は次の通り。
1 自分のほっぺをたたかない。2 したをださない。3 目やにを指でとらない。4 口の端を指でぬぐわない。5 かみの毛を引っぱらない。6 引っぱったかみの毛をなめない。7 耳を指でほじらない。8 くちびるの皮を指でとらない。9 鼻に手を持っていかない。10 鼻をいじらない。11 首のまわりをさわらない。12 笑うとき手を口にあてない。13 かわいい(子どもっぽい)かっこうをしない。14 服のゴミを手ではたき落とさない。15 あせを手でふかない。16 もの(コーヒーなど)を飲むまえに必ず口をすすぐ。17 渡し船(いまは電車など)の中でもの(チューインガム)などを口にいれない。18 乗物(バスなど)の中で化粧をしない。19 人の体をたたかない。20 もの(ケーキなど)を口に入れながらしゃべらない。(『江戸しぐさ講』再版44~45頁)
17でわざわざ「渡し船(いまは電車など)」と記しながらチューインガムやケーキ、コーヒーがそのままというあたり失笑ものである。また、日本髪に結った江戸時代の女性が5や6のようなしぐさをするはずもないし、コンパクトもなく紅をさすにも筆を用いていた江戸時代の女性が乗り物の中で化粧できようはずもない。
これは江戸時代と無関係に芝が現代女性(当時)の観察の中から見苦しいと思った言動を書きだしていったものであろう。
また、「電車のなかで見かけるしぐさ」については次のような前置きがある。
電車・バスそのほか乗りもののなかで見かけるシグサには、江戸しぐさもあればおかしなのもありますが、このごろはおかしいほうが多くなりました。(『江戸しぐさ講』再版46頁)
そこで具体的にあげられるしぐさは次の10種である。
「におうだち」「またひらき」「ひとりじめ」「わがものがお」「たちはだかり」「うでくみ」「せっぱつまり」「むりおし」「田舎の入・江戸の出」「こしうかし」
これらの内、「せっぱつまり」とは駆け込み乗車のことだという。また、「田舎の入・江戸の出」は田舎者は電車に乗る時に駆け込み、降りる時に歩くが江戸っ子はゆっくりと乗って、急ぎ足で降りるというもので現行の「江戸しぐさ」にも受け継がれている。「こしうかし」は現行の「江戸しぐさ」でいうこぶし腰浮かせのことである。
現行の「江戸しぐさ」における仁王しぐさ(電車の中で立ちはだかること)について以前、信心に厚い江戸時代人が仁王を悪い意味に使うとは思えない、という指摘がtwitter上で高山龍智氏から発せられたことがあるが、どうやら「仁王しぐさ」とは電車・バス内での「におうだち」を「江戸しぐさ」式に言い換えただけとみてよさそうである。
このうち「田舎の入・江戸の出」の江戸の出と「こしうかせ」を除いてはいずれも乗り物の中で行われては周囲に迷惑な言動である。
おそらくこれら芝が否定的に扱っているしぐさは、二百五十戒の構想のために集められたものだったのだろう。
しかし、芝は人間観察を深めるうちに単に戒めるべきしぐさだけではなく、しぐさ全般を興味の対象としていった。
江戸しぐさとは「江戸っ子のクセ」だそうです。(中略)一癖。七癖。旧癖。性癖。書癖。習癖。潔癖。そのほかかたよった好みを「悪癖」と言うわね。酒癖。ふつうは「さけぐせがわるい」なんていうけど、こういう癖はよくないわね。では、江戸っ子さんたちの「癖」をご紹介しましょう!(『江戸しぐさ講』再版21~22頁)
この前置きを含む講義例では、「かたひき」「かさかしげ」「とおりゃんせ」(歩道に出る時に左右を確認すること)「町屋歩」(軽くすいすいと歩くこと)「かにあるき」のように推奨されるべきしぐさと「あとつつき」(傘を横に持って後ろから来る人を危険にさらすこと)「あとふさぎ」(後から来る人の道を塞ぐこと)「たごさくあるき」(体を左右に振り歩くこと)などの戒められるべきしぐさが混在している。
先の「電車のなかで見かけるしぐさ」にしても、否定的な内容のものが多い中に「こしうかし」が混在している。
どうやら「二百五十戒五百律」から「江戸しぐさ」に展開していく過程で重要なキーワード、それは「くせ」だったようである。ふつうは良い意味に使われない「くせ」という言葉に肯定的な意味をも与えることで戒めるべき行為・言動中心だった人間観察の幅がひろがり、やがては推奨されるべきしぐさの収集開示につながったということなのだろう。
(つづく)
■「江戸しぐさ」の批判的検証について、こちらもご参照下さい
トンデモな「江戸しぐさ」を検証。(エディターズダイアリー/築地教介)
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歴史研究家。1961年生まれ、広島市出身。龍谷大学卒。八幡書店勤務、昭和薬科大学助手を経て帰郷、執筆活動に入る。元市民の古代研究会代表。と学会会員。ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)メンバー。日本でも数少ない偽史・偽書の専門家であり、古代史に関しても造詣が深い。近年は旺盛な執筆活動を行っており、20冊を超える著書がある。主著に『幻想の超古代史』(批評社)、『トンデモ偽史の世界』(楽工社)、『もののけの正体』(新潮新書)、『オカルト「超」入門』(星海社新書)など。本連載は、刊行後たちまち各種書評に取り上げられ、大きな問題提起となった『江戸しぐさの正体教育をむしばむ偽りの伝統』(星海社新書)の続編である。
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