夏休みも残り僅か、8月24日と25日 地蔵菩薩の縁日のころ、関西方面では町内に祀られてる地蔵尊の前で「地蔵盆」が行われます。
昔から関西方面独特の仏事で、京都などでは今でも盛んに行われていて子供連れだとお供えの御菓子を頂けたりします。
処で、この地の霊験あらたか「二人地蔵尊」とは、右側小柄の方は交通災害の身代り地蔵さんで、左側の方は長寿と厄除けの護り地蔵さんと言う事で、扁額に記された由緒謂われ書きを少し長く成りますが記して置きます。
右側小柄の方は交通災害の身代り地蔵さんで 左側の方は長寿と厄除けの護り地蔵さんであります。
身代り地蔵さんは昭和二十年八月大東亜戦争の終末を告げる頃 当地京橋付近の大空襲の際に どこからともなく現われた不思議な方で たまたま本年春頃 この路上に於て自動車の激突事故が発生し 双方の車は接触したまま鯰江川に向って二転三転したにもかかわらず 運転手にはかすり傷一つなく エンジンがかかっているのに火災も起らず 気のついた時はこの地蔵さんの首だけが飛散していたのであります。
目に見えないこのお加護と人徳に対して 住民は勿論特に運転をされる者からは生き仏様として尊敬されるに至ったのであります。
護り地蔵さんは幾度ともなく傷つかれたこの身代り地蔵さんをたすけて 鯰江川の埋めたて 新京橋駅と商店街建設工事などに絶対無事故であることを祈願し 併せて野田町から片町へと町名の変更 世紀の万国博覧会の開催 明治百年祭にあたるなど もろもろを記念して奉祀されたのであります。
爾来住民は この両地蔵さんは願いごとを必ず果たして下さるものと信仰し地蔵菩薩十福の恩恵に浴すためにも七月二十四日の祭典日にこだわらず 老若男女 事あるごとに感謝祭をおこなうことになったのであります。 合掌
以上が扁額に記された由緒謂われですが、京都と違って大阪では年々見かけなく成って来ていて、些か寂しい限りですね。