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 赤川次郎の父・赤川孝一は、戦後東映でアニメ映画の製作などしていたが、戦時中は満州国甘粕正彦の側近だったという。1934年東京帝国大学文学部哲学科卒だから、1910年ころの生まれで、次郎は次男だが39歳ころの子ということになる。満洲国文教部社会教育課にいたという(多田茂治満洲・重い鎖 牛島春子の昭和史』)

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http://1000ya.isis.ne.jp/0506.html
『暮らしの手帖』でなく『暮しの手帖』な。

とくに西鶴の『日本永代蔵』に凝っていて、それをいくつもの現代文にしてアーカイブしていたようだ。

そういうのを「アーカイブ」と言うのか。よく知らない外来語を使わないこと。
 なお杉浦明平は「民平」でもいいようだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1145.html
なるほど、活字になったほうではいろいろ直っているということか。確認してみよう。(図書館で『雪国』のところを見たら相変わらず間違っていた)
 なお「川端芽舎」ってこれでは「がしゃ」だ。正しくは茅舎。