探偵は聖地のサウナを堪能する

 浴室手前の脱衣スペースで館内着を脱いでいる時から、ざざざ……という水が流れる音が聞こえている。誰かが浴室でかけ湯でもしているのだろうか。龍二はそう思ったが、音は鳴りやまずに続いている。いぶかしく感じつつ浴室への扉を開くと、目の前の光景がすぐに答えを出してくれた。


――滝だ。浴室内に滝がある。


「義父さん、なんですかあれは」

「凄いだろう。天然の地下水由来の湧水を引いているそうだよ。あの滝の水が流れ込んでいるのが、噂の水風呂だよ」


 浴場内の2つの浴槽のうちの奥側。その天井部分からは、三角形のダクトが覗いている。そして、その先から浴槽へと、滝のように水が降り注いでいるのだ。あれが聖地の水風呂か。見た目からして明らかに他とは違う。なんとも神々しい。


 しばらくタオル一丁で滝に見入っているうちに、龍二はもうひとつの違いに気が付いた。浴室内には、なにやら独特の香りが立ち込めている。硫黄泉いおうせんのような香りとも、湿布や膏薬こうやくのような鼻腔びくうにツンとくる香りとも異なる、何やらスパイシーで香辛料めいた香り。鼻をひくつかせていると、竜太郎が笑って浴室の奥を指さした。そこには、2種類のサウナ室に通じる2つのドアがあった。


「龍二君、あれだよ。さっき言っていた薬草サウナ。漢方のハーブを調合して室内にぶら下げているんだ」

「漢方のハーブですか。なるほど、その香りなんですね」

「ああ、楽しみだね。でも、まずはドライサウナから行ってみようか」

「はい」


 体を洗って水分を良くふき取っていると、隣の竜太郎がチューリップハットのような帽子を取り出して頭に被った。


「義父さん、なんですかその帽子は」

「これかい。これはサウナハットだよ。羊毛製の帽子で、サウナに入った時に頭が熱くなりすぎないように被るものなんだ」


 そんなサウナグッズもあるのか、今度自分もお揃いのやつを買ってみよう。感心しつつドライサウナの扉を開けた龍二の全身に、突然熱波が襲い掛かった。


「ええっ?」


 思わず声を上げて足を止める。気を取り直して入室し、室内上部の温度計を見ると、なんと120℃を指している。10人ほどが入れるサウナ室は、3段になっており、こじんまりとしているが、今まで経験したことの無い高温サウナだ。竜太郎がサウナハットを用意したのは、こういうわけだったのか。


 それでも龍二はついついいつもの癖で、最上段に座ってしまった。それに気が付いたのは、竜太郎が中段に腰掛けたのを見てからだ。しまった、と思ったが、いまさら移動するのはなんとなく負けた気がする。それに、こんな高温サウナを経験する機会はそうそうないだろう。せっかくだから、試してみよう。そう思い、浮かしかけた腰を落ち着けた。


 あらためて座ってみると、とんでもない熱さだ。ではなく。他の施設のロウリュ時のような熱さが、黙って座っているだけで押し寄せてくる。


 肩から背中にかけての個所は、低周波マッサージでも受けているかのようにピリピリとした感触がする。いつもは3分くらいから汗がぽつぽつと体表に現れるのだが、見る間にどんどん溢れ出してくる。


 そして手の爪だ。「爪に火を点す」ということわざがあるが、比喩表現ではなくそんな感触だった。肩や腕なども熱いには熱いが、汗の水分のおかげかピリピリするだけだ。しかし、爪の付け根辺りは本当に熱い。痛みを感じる程に熱い。握りこんだり、腿に爪を当てていないと本当に炎が上がりそうに熱かった。聖地は水風呂だけでなく、ドライサウナもとんでもない環境のようだ。


 いつもなら10分以上は入っている龍二だが、6分ほどでホカホカに仕上がって部屋から出た。竜太郎はまだ中にいるようだったが限界だ。滝の音が響く水風呂へと向かい、片膝をついて汲んだ水を頭からかぶる。とたんに不思議な感覚が龍二の頭の先から背中へとさぁっと通り抜ける。


――水が……柔らかい?


 水の冷たさが心地いいという感触だけではない、不思議な感覚。なんなのだこの感覚は。龍二は続けざまに3回ほど水を被って、肩まで水風呂に浸かった。


――これが……聖地の水風呂!


 水風呂の温度は18℃ほど。決してサウナ好きごのみのキンキンに冷えた温度というわけではない。どちらかというと、高めの部類だ。しかし、その水質は異次元だった。龍二は、これほど「柔らかい」という言葉がしっくりくる水風呂を経験したことは無かった。


 高温のドライサウナでガンガンに熱せられた肌を、シルクのシャツに袖を通した時のような、やさしく、少しくすぐったいような心地よさで包んでくれる。普段であれば身体が十分に冷えればOKという水風呂だが、この聖地の水風呂は違う。体が冷えても、そのままずっと入っていたくなるような、そんな心地よさがあった。


「ふふふ、龍二君、凄いだろう」


 隣には、いつのまにか竜太郎がいた。首まで水風呂に浸かり、気持ちよさそうに目を細めている。


「はい。想像以上というか、こんな感覚は初めてです」

「だろう。私も驚いたよ」


 2人はしばらくそのまま無言で水風呂を堪能すると、ざばりと上がって浴室中央に据えられている休憩用の椅子へと長々と体を横たえた。目を閉じると、瞼の裏にはチカチカと何かが明滅しているのが見える。良く温まり、良く冷えて一気に血流が良くなっているのだろう。気持ちいい。ただただ気持ちいい。


 規格外の高温サウナに、これまた規格外の柔らかさの天然水の水風呂。それぞれだけでも素晴らしいのに、2つが手を組む事で、他の施設とは1ランク違うサウナ体験を産み出しているのだろうか。龍二はそんな事をぼんやり考えながら隣の竜太郎を見た。すると、その肩から胸にかけて、赤い網目のような模様が浮き出ているのに気が付いた。


「義父さん、肩まわりが凄い事になっていますよ」

「どれどれ、ああ、凄いが出ているね」


 あまみ。あまみとは、サウナ後に体表に現れる網目の模様の事だ。なぜ、この模様が現れるかは諸説様々あるが、サウナ好きの間では「いいサウナ体験ができた印」と言われている。


 おそらくは、網目模様の赤い部分は、温められ、体温を下げるために広がり、体表近くまで拡張した毛細血管だ。そして、白い部分は、水風呂によって冷やされ、拡張が収まった部分なのだろう。その2種類の状態の毛細血管が体表近くに混在することで、結果として網目模様が現れるのではないか。以前、竜太郎は龍二に対して、そんな説明してくれていた。


「そういう龍二君も、凄い事になってるよ」

「え、そうですか? うわ、本当だ」


 竜太郎に言われて自分の腕や胸、腿を見てみると、今までに無いほどはっきりとが出ていた。まるでちょっとしたボディペイントのようだ。龍二が思わず笑ってしまうと、隣の竜太郎も一緒に笑った。


「龍二君、鏡を見てごらん」

「鏡ですか?」


 言われるままに洗い場の鏡を覗きこんで、龍二はさらに大笑いした。龍二のまぶたに鼻の頭は、温まりすぎて真っ赤に染まっていたのだ。まるでお笑い芸人がコントで酔っ払いを演じるときのように、不自然な程に真っ赤だった。


「うわ、凄いですねこれ。まるでメイクしたみたいだ」

「フフフ。そうだね。事情を知らない人が見たら、怪我したか、火傷でもしたかと思ってしまうかもね」

「本当ですね。まいったなあ」


 良く温まり、良く冷えた証拠とは言え、これでは見た目に恥ずかしい。龍二が、何とか抑えようとカランから冷水を出してバシャバシャと顔を洗っていると、後ろから竜太郎が声をかけてきた。


「龍二君、仕組みがわかってきたようだね」

「はい、あまみの模様には、毛細血管が関わっているんでしょうね」

「そうではなく、今回の事件だよ」


 はっとして龍二が振り返ると、竜太郎は現役当時を思わせる鋭い眼光で高らかに宣言した。


「ととのいました」


「義父さん、わかったんですか」

「ああ。すべての謎の答えは、サウナが教えてくれる」

「サ……サウナが? 今回の事件の矛盾もですか?」

「そうだ。それはそれとして」

「はい」


 探偵はすっくと立ちあがると、サウナハットを頭にかぶった。


「まずは薬草サウナだ」

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