第7話 エース

「う~む、鮮やかだ」

 スコアボードを見つめる岩崎。初回の白富東の攻撃は、3点を奪うに留まった。

 4番の北村もヒットを打ったのだが、その後に内野フライとダブルプレイがあり、結局3点に追加はなかった。

「この後の打線の援護はあるかどうか分からないけど、ガンちゃんならよほど不運に見舞われても、抑えられると思うよ」

「まあな。完封でも目指してみるか」


 先発岩崎はご機嫌である。味方が先取点を取ってくれた後の投手とは、少なくともリラックスして投げることは出来る。

 特に岩崎はそのタイプだ。長い付き合いであるジンは、この展開が一番岩崎の勝率がいいことを当然分かっている。

 ピッチャーはオレオレの気質が強いくせに逆境に弱かったりと、二面性を持つ者が多い。

 気分よく投げさせれば、確かに勝てる可能性は高い。


 野球は、特に高校野球は先取点を取った方が圧倒的に有利だというのが一般論である。

 もちろんチーム力の差が簡単にそれを覆らせることもあるが、少なくとも岩崎が精神的に楽に投げられるということは大きい。

 勇名館は確かに強豪だが、打力で圧倒するタイプではないのだから、なんとか5点以内には抑えたい。

 しかし抑えるのはピッチャーではなくキャッチャーである自分の役目だ。


 データは頭に入っている。一回戦と二回戦の試合も見た。

 変わっているのはエースの吉村が完全に温存で、打者としても入っていないことだ。

 ピッチャーとしての吉村は県下屈指の投手であるが、打撃の方でもかなり打っている。

 それを休ませているというのは、ありがたいことだ。


 白富東を舐めているわけではない。これまでの二試合で白富東が戦術を温存できたことと、白富東の長年に渡って培ってきた印象が大きいのだ。 

 即ち、一回戦では負けない程度に強いが、覇権を争うほどではない。

 基本に忠実で真面目に練習はするが、全てを野球に賭けることはない。

 鷺北シニアからレギュラー陣の多くが進学したが、レギュラーとしてはジンがスタメンなだけである。

 選手の起用も上級生優先であり、岩崎もこれまではリリーフエースとして働いてきた。

 何より大介の打撃には、故意に制限をかけてきた。

 もう一度やれば負けるかもしれないが、今は圧倒的にこちらが有利な状況である。


 いざ下克上。ジンの頭の中で戦争が始まる。




 ピッチャーにとってのその日の第一球は、その日の調子を占うものである。

 低めに決まった岩崎のストレートは、ジンの満足のいくものであった。


 勇名館ほどの強豪校だと、たとえ相手が普通の公立校であろうと、ちゃんと情報収集はしてくる。

 170あまりの参加校が存在する千葉で、甲子園を狙うというのはそういうことだ。

 そこから得られた情報による結論は、甘く見ていい相手ではないが、地力では優るという分析である。

 間違ってはいない。間違ってはいないが、それでもまだ本質を理解してはいなかった。


 たとえば大介は前の二試合で、ホームランは打っていない。

 小柄ではあるが圧倒的なスイングスピードを持つ大介は、投手のボールの速度や回転を反発力として利用しなくても、スタンドに放り込む力を持っている。

 だがこれまでの打席ではホームランバッターとしてではなく、ミートを重視した打撃に終始した。

 狙って外野の間を抜けるあたり、やはり異常ではあったのだが。


 岩崎の球は、勇名館にも通用する。

 一番打者をサードゴロに打ち取ったが、二番打者からは球を見てきた。 

(やるなら一番からやってこいよな。それは余裕じゃなく甘さだ)

 ジンはそう分析する。


 鷺北シニアの二番手投手である岩崎は、それなりに野球推薦の話も来ていた。

 だがエースと比べれば圧倒的にその投手適性は劣っており――バーターでジンと一緒に、などという高校もあったのだ。

 下手に全国を経験していただけに、自分の限界も知っていたつもりになっていた。

 たかが中学生。まだまだ肉体の成長の途中であるのに。


 実際、高校生になった岩崎は、ストレートが140kmを超えた。

 直後に大介にホームランを打たれたりはしたが、それでもまだ自分も成長すると思ったのだ。

 鷺北のチームメイトは、それなりに勧誘はあったが、野球推薦まで受けたり特待生の話が来たのはそれほど多くない。

 よってジンの口車にあえて乗って、設備が充実していて監督がうるさくなく、それに加えて進学校である白富東に進学したのだ。

(でもこんな普通の公立校に、大介みたいなやつがいるなんておかしいだろ)

 そう思いながら投げた10球目のストレートで、二番打者を三振に取る。

 続く三番には外野に運ばれたが、平凡なセンターフライであった。


 三者凡退。上々の立ち上がりである。




 二回の表、白富東の攻撃は、下位打線ということもあり、三者凡退に終わった。

 一応待球策を取らせたが、下位打線ではカットで球数を放らせることも難しかった。

 バッティングではシニア組の方が上なのだが、さすがのジンも入学したばかりの一年生でレギュラーを固めるように、監督を納得させることは考えていなかった。

 仮に監督が理解を示しても、特に三年生は蟠りが残るであろうから、それを解消するために手間隙をかけるのはそれこそ無駄だと考えた。

 むしろ代打や走塁の交代要員を好きに使えると考えた方がいい。


 そして二回の裏、ここが鬼門である。

 バッターは四番の黒田。勇名館のバッターの中では唯一、全国に名を知られている。

 二年生の頃から長距離砲として四番に君臨、三年になってからは敬遠気味の勝負をされることが多いため、かえってホームランが減ったという打者である。

 勇名館の打率は平均で三割を超えているが、黒田に至っては打率五割、さらに長打もあるとなれば、まともに勝負はしづらい。

(普通なら外角低め、あるいは明らかなボールから入るけど、それをするとガンちゃんの調子が落ちるかもしれないしねえ)

 そしてジンが要求したのはインコース。それも懐に食い込むほどのポイント。

 岩崎のスピンのかかった直球がそこに吸い込まれ――。


 ガッ。


 体を開き気味のスイング。バットの根元で球を弾く。

 それはライナー性の打球でレフトスタンドに突き刺さった。

 ただし、ポールの左側。ファールである。

「マジか……」

 自信家の岩崎でも、バットの根元で打った球が、あそこまで持っていかれるとは思わなかった。


 そしてそれはジンも同じである。

(打たれるかもしれないとは思ったけれど、インコースのボール球をあそこまで引っ張るなんて……)

 シニアでも恐ろしいバッターと戦ったことは何度もある。だがやはり高校生のドラフト候補というのは、シニアとは別物だ。

 中学生ではどれだけ強打者であったとしても、そもそも高校生のトップレベルとは肉体が違う。

 ジンはすぐさまタイムを取り、岩崎に駆け寄った。


「やべえな」

「いまだかつてないパワーだね」

 さすがの岩崎も口だけの強がりを言えない。

 どう考えてもシニアの体格では打てない打球だ。

 しかし、見たのは初めてではない。


 そう、大介の打球と似ている。


 そもそもバッティングにおいて、パワーとスピードなどと分けて言われることがあるが、厳密にはスピードが充分であれば、それにはパワーが含まれている。パワーがスピードにつながるのだ。

 エネルギーは速度と質量から求められるのだから、瞬発的に速度を筋肉が出した時点で、バットと球との間に発生するエネルギーは定まっている。

 もっとも芯を食わない打球は飛ばないし、微細なバットコントロールで打球をどこへ飛ばすかは、一流なら無意識で行っている。

 その点から見ると――。

「打者としては、大介の方が上だ」

「ほんとあいつ、なんであんな生き物がここにいるの……」

 味方ながら、敵よりも恐ろしい存在である。


 とにかく真正面から黒田を抑えるのは、強気ではあるが同時に繊細な岩崎には、難しい注文だった。

 だが岩崎一人で黒田を抑えるわけではない。

「幸いランナーは一人もいないし、ここで相手の力を計っておこう」

「勝負かよ」

「ガンちゃんの球なら、どうにかなると思うんだよね。もっとも組み立ては凝ったものになるけど」

 ここでジンが勝負を選択するのは、岩崎にとっては意外だった。

 黒田は足のある選手ではない。ノーアウトであるが歩かせてしまうのも一つの手だろう。

 ここでリスクを取るところが、ジンの強気なところだと岩崎などは思うのだが、ジンは単純にその場の状況だけで計算しているわけではない。


 勇名館の打撃陣は、当然ながら白富東よりも優れている。

 これを完封するなどということは、ジンは最初から考えていない。

 だが、だからこそ、ここで勝負しておくべきだ。

 例え失っても本塁打の一点。それに既に岩崎のメンタルは、打たれてもそれを受け入れる準備が整っている。

 あとはジンが責任を取るだけだ。

(ほんと、三点も取ってもらってて助かった)




 黒田への第二球は、アウトローへのストレート。最も無難なコースと言っていいだろう。

 外れてもいいとは言っていたが、本当にぎりぎり外れているコースだ。だが黒田は余裕をもって見逃した。

(このコースを余裕で見逃すって、その気になれば打てるんじゃないのか?)

 不安に思うジンであったが、それもまた計算の内である。


 第三球、わずかに内に入ったコース。だがそこから外へ逃げていくスライダー。

 これに黒田は手を出した。体勢を崩しながらもバットの先に当て、そのまま振りぬく。

 腰の入っていないスイングであったが、その打球はライトのファールグラウンドへ大きくカットされた。

(ボール球でもカットしてくるか。見極めるより、そっちの方が好きなのかね。バットコントロールは見事だけど)


 第四球は外に大きく外れた。

 これをもって、黒田を歩かせるという選択を、バッテリーが取ったという可能性が黒田の頭に浮かぶ。

 そして勝負の第五球。

 内側低めの球。先ほどの外角は、これへの布石か。

(入ってる)

 スイングを開始する黒田。しかしその球はストレートとほとんど変わらない速度でありながら、わずかに沈んだ。

 縦の高速スライダー。

 バットは止まらない。黒田の腰が回転する。膝を使ってボール球を当てにいく。


 打ち取った打球が外野へ。だが、伸びる。

「おいおい……」

 岩崎が思わず呟いたが、滞空時間の長いそのフライは、スタンド間際でキャッチされた。

 プロ注目の四番打者。第一打席はピッチャーの勝利であった。




「よくやった。でも気を抜くなよ」

 ベンチに引き上げる黒田の背を眺めていた岩崎に、いつの間にか近付いていたジンが声をかける。

「お、おう」

「黒田が敬遠されるようになってから、次の五番も打率が高い選手になってるんだ。長打力もあるからな」

 無言で頷いた岩崎に、ジンも無言で頷き返した。


 注意したからといって打ち取れるものではなく、あっさりとレフト前に運ばれる。野球というのはこういうものだ。

 だが後続を絶って、二回もまた無失点。極端な話、点さえやらなければ、ランナーは満塁にしてもいい。


 かくして三回の表、一番からの好打順で白富東の攻撃が始まる。

「ストライクバッターアウト!」

 一球外に遊ばれただけで、一番は三振に倒れた。


 そして二番にはランナーなしでジン。

(さて、ここで追加点を取っておくべきか、取らざるべきか)

 点差はあればあるほどいい、というのは基本であるが、何点差あるかでキャッチャーのリード、守備側の戦術は決まる。

 下手に打っていくと、エースの吉村が出てくる可能性もある。一戦目を投げたとはいえ、五回コールドなのだ。体力の心配はないだろう。

 かといってずるずる凡退を繰り返したら、相手のピッチャーだけならず打線にまで流れがくるかもしれない。


 ジンは待球策に出た。

 ボールは振らず、ストライクには反応する。そして10球以上粘ったあと内野ゴロに倒れた。

 そして白富東最強の打者、大介の二度目の打席である。


(うちの頭脳からのオーダーは、足で引っかきまわすことだけど……)

 打席に入った大介は、ベンチに戻るジンから、短い指示を受けていた。

 ランナーが出ていない以上、得点するならホームランしかない。

 ただしそれは、自分一人に限った場合だ。

 ツーアウトからヒットで出ても、犠打で帰ってくることはない。

 キャプテン北村は頼りになる四番ではあるが、タイムリーヒットを確実に打てるほどの打者ではない。

(走塁による守備の乱れを誘い、たとえ点が取れなくてもピッチャーの調子を崩す。頭使って野球やってんな~)

 大介の直感でも、それがいいだろうとは分かる。しかし指示するジンは性格が悪い。

 敵に対する性格の悪さは、味方としては頼もしい限りである。


 大介はストレートを狙い打ちして、レフト前へと軽く運んだ。

 二打席連続で打撃を食らった相手ピッチャーは、明らかに苛立っている。

 北村に対する投球。第一球は胸元への鋭く切り込むストレート。

 だがその隙に、大介は二塁へダッシュしていた。


 大介の50m走のタイムは5秒8である。

 部内最速であることはもちろんだが、短い距離へのダッシュはさらに早い。

 キャッチャーの投球体勢に、北村の体が少し邪魔だったこともあり、余裕で盗塁に成功。

 二死ながらスコアリングポジションにランナーが進んだ。

(中学時代には考えなしにやってたからな~。シニアの連中には学ぶこと多いわ)

 その後もリードを長く取りピッチャーには精神的な余裕を与えない。

 結局北村は外野フライに倒れたが、それでも流れを勇名館に渡すようなことはなかった。

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