決意
その後、遅れて旅館にたどり着いた冴川が部屋に入ると、なかなかに混沌な光景が広がっていた。
転がる空き缶とスナック菓子の空袋、少し開かれた押入れの下の段からはみ出る女性の生足も見える。もはやお開きのムードさえ漂っている。
「これは、さすがに遅くなってしまいましたか」
更には酔い潰れてうつ伏せに転がる福田に、わざわざゲーム機と二つのアーケードコントローラを持参して格闘ゲームの練習に明け暮れる直島と、それに付き合う野間がいた。
旅館に向かう道すがら買っておいた、酒とつまみの入ったビニール袋を机に置く。
「頼まれてたもの、買ってきましたよ」
「お、冴川さんあざっす!今いいとこなんです!」
ゲーム画面に向かったまま、素早く手を動かしながら直島が答える。
「後ほど頂きます。今はお相手できず申し訳ありませんが、月本さんがそちらにいたはずです」
野間もゲームに夢中のようだ。幸い二人ともまだ十分理性は保っていそうだが、あまり熱く盛り上がっているところを邪魔するのも気が引ける。
部屋を見回し、言われた通り窓側の障子の奥に人影を見た冴川は、そちらに向かおうことしたところ、なにかが足元で蠢き、足に絡みつくのを見た。
「あれ、トイレどこ?」
潰れていたはずの福田が意識を取り戻し、四つん這いで畳をカサカサと這い回りながらトイレを探している。だが、一瞬の後こちらの方を向いたはずのその目は、焦点が合っておらず何も見ていなかった。
「何なんですか、座敷女じゃないんだから。あっちですよ、一人で行けますね!」
そう言って酔っ払いに通じるかはわからない小ネタを織り交ぜつつ入り口の方を指差すも、全く反応がない。もしかすると気づいていないのかもしれない。まとわりつく福田を引き剥がし、さすがに面倒を見きれないと月本の方に向かい歩き出すと、背後からなにか不穏な声が聞こえた。
「あっ、この足は、紗和子ちゃんかなぁ?ということは、ここが女子トイレね!良かった、間に合ったぁ」
どうやら押入れの生足に気づき、そちらに這って向かっていったようだ。間に合ったとは聞き捨てならない。万が一があってはいけないと、念のため様子を見ようとそちらに振り返る。
「まさかとは思いますが福田さん、なにか勘違いを――」
悪い予感は当たるものだ。押入れの方に目を向けると、そこでは今まさに悲劇が繰り広げられようと、同僚の女性二人の尊厳が失われようとしているところだった。直島と野間は相変わらず格闘ゲームに夢中で全く気づいていない。
瞬時に自分が行くしかないと結論付けると、冴川は危険も顧みず、押入れとトイレを勘違いした不届き者に一直線に向かっていった。
「貴方はなにやってんです!そんなところで!!」
しゃがみこんで下着に手をかけている福田をなんとか呼び止める。
浴衣がはだけて色々と見えてしまっていたが、今はその時ではないし何の気も起きなかった。今はこの場を収めることが何よりも優先される。なんとか彼女の肩を掴んで立たせると、歩かせて本来行くべき場所へ彼女を導く。
「ほら、こっちですよ!」
「えっ、あれ、冴川君?今来たの?」
「何でもいいから、宿に迷惑はかけないでください、あとは一人でできますね!」
そして彼女を無理やりトイレに叩き込むと、さすがにこれ以上は男の自分の出る幕ではないと部屋に戻っていった。
◆◆◆
なんとか誰の尊厳も失わせることなくその場を収め、チームの危機を救った冴川は、再び大の字で寝始めた福田の着衣を整えて布団をかけると、月本が座っている窓際に向かった。
「和室のここ、なんか落ち着いて好きなんですよね」
窓際の空間で、椅子に座り海を眺めていた月本がこちらに話しかける。
「わかります、
福田からのメッセージでわざわざ指定があったので、やけに具体的だなと思いながらも買ってきたのだ。
「えっ?ああ、ありがとうございます、頼んではないですが、どうせまた文江先生でしょ」
月本がそう言って呆れる様子を見て、尋ねる。
「何かあったんですか?」
「僕の口からはとても……察してください」
月本はそう言って頭を抱えてしまった。
落ち着いて考えれば、あまりにも恣意的な形状の組み合わせだ。メッセージの送り主、先程までご乱心だった同僚の狼藉に思い当たり、冴川は大げさにため息をついた。
「はぁ、やれやれ、そういうことですか。せっかくなので二人で食べましょう」
そう言って月本の向かいの椅子に座り、缶チューハイで乾杯をする。
少し開いた窓から、夜の砂浜が見え、波の音が聞こえる。涼しい夜風が、ひと仕事終えた体に心地よい。
しばし、酒をゆっくりと味わう無言の時間が続いたが、月本が改まってこちらに向き直った。
「そうそう、冴川君には、一度ちゃんとお礼を言っておこうと思って」
「何がですか?」
「あの時、即売会で助けてくれてありがとうございます」
「えっ?ああ、そんなこともありましたね」
改めて正面から礼を言われるというのもそれはそれで居心地が悪いものだ。照れ隠しに残りの酒を流し込む。
「当時は会社辞めて張り切ってたんですけど、うまく行かなかったんです。更にはトラブル起こすような人を招き入れてしまって。健、いや、健一郎の顔に泥を塗るようなことをしてるだけなんじゃないかとか、色々考えちゃってました。そんな時に」
そこで言葉を切って一息ついた月本は、どこか懐かしむような表情で外を見ている。そして、冴川に向き直ると、
「あんなことがあったでしょ。『ああ、もう駄目だ、ゲーム作るのなんて辞めよう』って思っちゃったんです」
と続けた。
刃物を持った男のことだろう。まだその時の感覚ははっきり覚えている。ここで動けないようでは、生涯何も成すことはない。そんな焦りに突き動かされただけのこと。感謝されようだとか人助けより、冴川の頭の中にあったのは、ただ惨めな自分を変えたいだけの衝動でしかなかった。
「いえ、そんな。私はただ……」
「冴川君の助けがあったから、何とかここまで続けられました。だから、感謝を伝えたかったんです」
そう言って月本は素直に正面からの直球の言葉を投げかけてくる。
「他にもすごく才能のある人達に助けられて、なんとかここまできました。特に文江先生は本当に初期から協力してくれましたからね」
そういって月本の視線の先を追い、大の字に寝転がる福田にたどり着く。
「まあ、今回は今までで一番危なかったですが」
もはや介抱も慣れたものだと月本と二人で笑い合う。
「でも、無理やり面接に呼んでおいて言うのも変ですけど、どうしてジュエルソフトウェアに入ってくれたんですか?」
やりがい、給与、労働時間。そんな外向きの答えはそもそも、ここでは求められてはもいないだろう。そういった外向きのありきたりの理由ではなく、まず冴川の頭に浮かんだ言葉があった。どこか雰囲気に飲まれながら、その言葉を口にした。
「約束を、したんです。ある人と」
「もしかして、例の、感謝祭に来てくれた人ですか?今日も会ってたんですよね!」
やれやれ、随分と察しが良い。からかうような素振りは一切なく、ただ純粋に興味を持って聞くといった調子で尋ねる月本に、つい心をさらけ出したくなり、冴川は雪乃との思い出を話しはじめた。
丁寧に。でも、悲しい出来事には触れずに。言葉とともに、どこか凍っていた自身の心が溶けて流れていくような錯覚を覚える。
いつの間にか受け入れ、こうして話せるまでになったのかと、そんな驚きがあった。そして、そうまで心を許せる人と共に夢に向かっているという事実を噛みしめる。
「いいと思います!そういうの。約束って言ったら僕もそうだし。ただ一人でやるより、誰かのためにと思えるほうが、力が湧いてくる気がしません?」
そう言って純粋な笑顔で力こぶを作る月本に微笑を返し、思った通りの人だなという感想を持った。
自身もかつての親友との約束のために進みながらも、そんな深刻さをまるで見せず、気がつけば周りに人が集まっている。
こういう人間だと直感したから、自分も信じて飛び込もうと思えたとは、恥ずかしくて口に出さなかった。
「まあ、本番はここからですよ。二章からは私達で作っていかなくてはなりませんからね」
とはいえ、この合宿が終わった後にもやることは山積みだ。新機能の実装、期間限定イベントの企画。
長井のノートの設定で詳細が書かれているのはメインストーリーの第一章までで、その章は既にリリースしてしまっている。
その後の展開は、彼抜きで、チームで作っていかなくてはならない。
何より、数字として結果を出し続けなければ、サービスは続けられず、ただ無数にあったゲームの一つとして忘れ去られるだけ。
更に悪いことに、オフラインで完結するゲームとは違い、サービスが停止しては誰も、場合によっては開発者でさえ二度とプレイすることは叶わない。
それは、考えようによってはただ売れずに忘れ去られることよりも残酷なことかもしれない。
「そうですね、土屋さんともしっかり打ち合わせしないと」
この先の道のりは、まだまだ二人には、そしてチームにとっても未知数だった。
それでも、不安はなくどこか楽観的になれるのは、明るい未来を信じられる仲間に囲まれているからかもしれない。
ゲームというものは、ただ必要な職種の人数を揃えれば出来上がるというものではない。こうやって文字通り寝食を共にしたメンバー同士の信頼あってのものなのだろう。そんなことを身をもって冴川は理解し始めていた。
今は、ただの同僚と言うには近くに感じすぎている男を見る。その顔は、握手を交わした日から、少したくましくなったようにも見える。
「私も、あの日入社を決めて本当によかったなと思います。だから、ありがとう」
それは心からの曇りなき言葉だった。
「これからも、私と一緒に夢を追ってくれますか」
「もちろんです!」
最高の笑顔でそう返す月本のことを、自分にないものを確かに持っている眩しい人だなと思ったのだった。
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