27.冷たい牢屋の中で
「……さむっ」
冷え込んだ空気によって、俺は目覚めさせられた。
あの夜から一夜明け、今、俺たちは石造りの冷たい牢屋の中にいる。
首が前後逆転した犯人は、ナツの決死のヒールによって、一命を取り留めた。
しかし、安堵するもつかの間。さすがに騒ぎが大きくなっていたため、ホテルの管理人によって憲兵隊に通報され、その暗殺者共々、俺たちも拿捕されてしまったのだった。
「ま、命あっての物種……かな」
全員が生きているだけでも、良かったと思おう。
俺は、硬い床のせいで凝り固まった体をうんと伸ばした。が、うまく腕を伸ばせない。
(そうだった)
四人が四人とも、牢屋に入れられ、その際に手枷を嵌められたのだった。木製のそれは、体の自由を大きく奪っていた。
「あれ、クウにファンダ、起きていたのか」
俺より先に、クウとファンダは目覚めていた。昨晩は、彼女たちのとっさの判断に、俺とナツの命は救われたのだ。
「クウ、きのうは……」
「ごめん、僕たちがもっとうまく立ち回ればこんなことには……」
「そ、そんなことはない! クウ、君たちがいなければ、僕らは死んでいたんだ。心の底から、ありがとうと言わせてくれ」
「……うん」
突然のクウの謝罪に驚きつつも、彼女に、ちゃんと感謝を伝えることができた。
そしてもう一人の立役者にもお礼を述べようとしたのだが……。
「あばー。あばーばー」
ファンダは、放心していた。
天井を仰ぎ、口を半開きで、解読不明な奇声を上げていた。目は虚ろだ。
「えーっと……ファンダ?」
「うぼー、ふぼー、ふふー、だぁー」
「おーい……?」
「朝からこの調子だよ。憲兵に捕まったことがショックなんだって。ファンダって結構、繊細なところあるからさ」
繊細……? ……?
うーん、乙女心(?)は全く分からん。
(そういえば、ナツはまだ寝てるのか)
一部に藁が敷いてあった場所で、彼女は寝息を立てていた。相当、疲れているようだった。
さすがに、ファンダのゲロまみれの服や、ナツや俺の肌着同然な服装は着替えさせて貰っていたが、その他の荷物や武器については憲兵預かりとなった。
「ナツは……もう少し寝かせておくか」
「うん、それがいいと思う」
「むにゃむにゃ……」
ナツは、俺たちの中でも人一倍、精神的にも体力的にも大きく消耗していた。それもそうだ。昨夜はいろいろと──うん、いろいろとありすぎたし、何より、全力全開のヒールを使ったのだ。魔力はすっからかんだろう。
彼女はかなり深く眠っているようで、口周りはだらしなくよだれを垂らし、時折ヘラヘラ、へへへ、と笑っていた。とても幸せな夢でも見ているのだろうか。
(少しでも体力を回復してもらおう……しかし……その……)
着替えさせてもらっているが、彼女の召し物は、少しサイズが小さいメイド服である。
ムチムチとした体のラインははっきりと現れ、そしてスカートは際どい位置取り。
少し角度を変えれば、肌着が丸見えになってしまう。
(目のやり場に困る……ん?)
ふと牢屋の外に目をやると、見回り兵だろうか。軽鎧を着た男が、壁の影からこちらを見ていた。
細身のその男は、ニヤニヤと下品な笑みを呈しながら、俺たちの牢屋──いや、寝ているナツを覗き込んでいた。見事に鼻の下が伸びている。見ている角度を換算すると……こいつ、ナツのスカートを覗いてやがる。
(ムッ)
流石にムカついた。俺の従者に何してんだコイツ。
俺に気づいていなかったようなので、わざとらしく体を動かして兵士の視線に入り込み、大きな声でソイツに呼びかけた。
「なあ覗き魔! 俺たちの釈放はいつだ!?」
するとソイツは、びっくりしたと思ったら小さく舌打ちをし、さも今まで何もしてないような体裁で、牢屋の前までやってきた。
「へっ、現場検証で、お前らは明らかに被害者だからな……身元確認が終われば解放だろうよ、良かったな」
……しまった。
襲われたのは俺たちだから、正当防衛的なものが適応されるだろうと勘ぐっていた。しかしここで、俺の身元が割れることまで頭が回っていなかった。
俺の生存の事実と、明確な居場所が、ヴァリヤーズ家に届いてしまう。そうなると、また……。
「厄介だな」
「……やっぱ、ランジェたちは『訳アリ』なんだね」
曇った俺の表情から何かを読み取ったのだろう。クウが口を開いた。
「クウたちを巻き込んでしまったな」
「ううん、ランジェに出会えたから、なんか、僕が『為すべきこと』が見えて気がするんだ。その御礼も兼ねたいし」
そういうと、クウはこぶしを強く握った。何かを決意したような、そんな表情だ。
そうか、クウは元々、魔道士を目指していた。それなのに俺は、彼女の『武術の才』を無理やり開花させてしまった。目覚めた才覚は、本人にも自覚があるのだろう。
俺は、彼女の人生設計を大きく揺り動かしてしまったことになる……。
「とめどない魔力が、体の底から湧き上がってきている。そんな気がするんだ」
……違うんだよなぁ。それ魔力じゃないんだよなぁ。武術なんだよなぁ。肉体言語なんだよなぁ。
「えと、クウさん?」
「僕はこれから、さらにこの力……魔道を極めるよ。それこそ、勇者の側近に成れるくらいにね」
ウソだろお前。マジで気づいていないのか? それ魔力ちゃうで。
勘違いもここまで来ると、清々しさすら覚えるわ。
***
「移動だ」
しばらく放置されていた俺たちだったが、ナツのスカートを覗いていた先程の見回り兵が再度現れ、牢屋の鍵を開けた。
「やっとか! 待ちくたびれたぜっ!!」
すると先刻まで放心していたファンダが、急に活気付いた。
「もう漏れそうなんだ! 助かった!」
理由はそれかい。
放心状態だった理由はそれかい。
乙女心とか関係なかった。
彼女がいそいそと、開かれた牢屋から出ていこうとする。が……。
ガチャリ。
ん? 重厚な、金属がぶつかり合う音と共に、ファンダの手枷に長い鎖が繋げつけられた。
「釈放じゃない。場所の移動だ」
「ほへ?」
「何?」
「……はにゅ? なんですかぁ?」
その鎖は、クウにも、俺にも、そして、今しがた目覚めた、寝ぼけ眼なナツの手枷にも、例外無く繋がれた。
鎖で数珠繋ぎとされてしまった俺たち個々が動くたびに、じゃらじゃらと鎖を鳴らした。
「いくぞ」
ニタニタと品の無い笑みを浮かべながら、憲兵が俺たちの鎖を引っ張る。
抵抗もできず、俺たちは憲兵の建屋から外に連れ出され、用意されていた馬車に誘導された。
幌で覆われており、荷台には、これまた堅牢な造りの鉄格子。
罪人を輸送する護送車みたいなものだろう。
「ほれ、入れ」
兵に急かされ、俺たちは無理やり馬車に押し込まれた。その後、外から鍵が掛けられ、入り口も布で隠された。
そして、間髪容れずに馬車は動き出したのだった。
「え?」
「……」
「ランジェ様……」
「ああ、何か、おかしい」
わずかに開いた布の継ぎ目から、断片的に外の景色が確認できていた。かすかに残る街の景色と、目に入る情報を組み立て行くと、どうやらこの幌馬車は、街の入り口に向かっているようだった。
「おい! 移動ったって、どこにつれていくんだよ!」
しびれを切らしたファンダが、運転席側に向かって大声を張り上げた。
「……」
しかし、運転手からは返事はなかった。
「なんか言えよー! こっちは膀胱が限界なんだ!!」
たしかにそれは一大事。
「……ランジェ様、なにか匂いますぅ」
「マジか、勘弁してくれよ」
「まだ漏らしてねぇぞ!」
「いえ……これは、ブランチーの若草の匂いですぅ」
先ほどまで寝ぼけていたはずのナツが、今は、周囲の異変に警戒し、凛とした、それでいて鋭い表情で周囲を警戒していた。
時おり見せる彼女の冷静な顔つきには、それに出会う度にドキリとさせられる。
『ブランチー』──この世界のいわゆる、竹の匂いだというのだ。
「この匂いどこかで……! 街の外の、山の中か!」
どうも先程から、馬車が斜めに走っていると感じていたが、城壁の外にある小山を登っていたのだ。
街に入ったとき見えた小高い山には、見覚えがある植物が茂っていたのを思い出した。それは、現世で見た竹と寸分違わない植物、ブランチー──。
つまり、俺たちは町から外に出されたということ。未だに容疑者である俺たちを町の外に出すことなど、通常はありえない。
(油断した……っ!)
自ずと、憲兵の思惑が見えてきた。そして、それは残念ながら当たってしまった。
「出ろ、着いたぞ」
俺たちを連れ出した憲兵の目論見に気づいたときには、すでに手遅れだった。
半ば無理矢理に外に引きずり出された俺たちの目の前には、お世辞にもカタギには見えない男たちが3人立っていた。ソイツらはまるで、品定めをしているかのような視線を俺たちに向けていた。
そしてソイツらの横には、昨晩の狐面の女が立っていた。
「ご苦労様、憲兵さん。これがお礼よ」
「おう」
女が小さな麻袋を、憲兵に手渡していた。すぐに憲兵は中身を開け確認する。
チャラっとした金属が擦れる音からして、中身は硬貨なのだろう。
憲兵は、俺たちを売ったのだ。
「へへ、たしかに……じゃあな」
硬貨の入った袋を懐にしまいながら、憲兵は牢屋で見た下品な笑顔を見せていた。
「ええ、さよな……らっ!」
刹那、鮮血が飛んだ。
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