第二十五章 自我と世界

二百十五話 抗して癒す

 私と江雪(こうせつ)さんの血液で作った霊薬。

 それを予防接種のように体に打ち込んだ翔霏(しょうひ)は、二日目も副反応と思われる発熱に苦しんでいた。


「うぐぅ、暑い、狭い、暗い……こんな穴の中、イワダヌキくらいしか食うものがない……不味い……」


 なんだか可哀想なくらいに、悪い夢を見てうなされている。

 翔霏が狭くて暗いところが大嫌いなのは、自由に動き回れないからである。

 どんなに強くても、動きを封じられてしまっては終わり。

 その感覚が、翔霏にとっては常人よりさらに重いのだ。


「大丈夫だよ、私がついてるからね」


 別人のように弱って寝ている翔霏を、私は甲斐甲斐しく看護する。

 汗を拭いたり、濡れ手拭を額に乗せたり、手を握って美味しいものの話を聞かせたり。

 絶対に言葉には出せないけれど。

 私は今、暗い喜びで胸がいっぱいだ。

 あの翔霏が、神台邑(じんだいむら)最強のお姉さんが、今は私がいないと、水の一杯すら飲めないのだから。


「翔霏の呪いを解いてもらったら……」


 近いうちに来るであろう未来に私は思いを馳せる。

 強いからこそ呪われた翔霏は、それを打ち払い、生き延びるために弱くならなければならない。

 そのときに翔霏の面倒を見るのは、もちろん私だ。

 誰にもその役目は渡さない。

 譲ってたまるものか。

 私の小さな背中にかかる、すべての責務や期待を投げ打って、私は翔霏の側で静かに残りの人生を過ごすのだ。

 きっと今、流れているような時間が、どちらかが死ぬその日まで、果てしなく続くのだろうな。

 想像すると涙が出る。

 きっと私にとって、哀しくも幸せな日々に違いないという、ぐちゃぐちゃの嬉し涙だった。

 どろどろとした想いを巡らせながら、迎えた翌朝。


「おかしな夢ばかり見ていたせいで、なにもしていないのにひどく疲れた。美味いものが食いたい」


 三日目になって翔霏の熱は下がった。

 経過をちょくちょく見に来てくれていたジュミン先生が、翔霏の体を診察しながら問う。


「手足にしびれは残っていませんか? ものの味や匂いはわかりますか?」


 梨を渡された翔霏は、実に幸せそうな良い顔でしゃくりと一口食べて。


「うん、美味い。冗談抜きで生き返ったようだ。爽やかな香りも十分にわかるぞ。もっと持って来てくれ。体の力は抜けている感じだが、きっと腹が減っているからだな」


 心配ご無用とばかりに、あっと言う間に梨をシャクシャク食べ尽くして、ヘタと種をぷぷぷと口から飛ばした。


「本当に良かった。ご協力ありがとうございます。私も薬を四粒、体に入れましたが昨日まで熱が出て動くのも億劫でした。大人は三粒、体の小さい人は二粒、乳幼児は一粒を目安に、霊薬を町の人たちにも打ちましょう」


 翔霏たちが体を張って治験したおかげで、どの程度の量を投薬するかの目安がここに決まった。

 ほっと胸を撫で下ろした私は、江雪さんの様子を見に行く。

 血を大量に抜いて朦朧となっていた彼女も、心身に力を取り戻しつつあった。


「白髪部(はくはつぶ)の方たちが美味しいものをたくさん置いて行ってくれました。今日は少し、贅沢させていただきましょう」


 江雪さんが言うように、私と翔霏が動けない間も、突骨無(とごん)さんの部下たちが必要物資をひたすらこの町に運搬してくれていた。

 特に干し肉と干した果物が多く、こんなに食べきれないデブよ~~、と言っちゃいそうなほどに羊の干し肉が山と積まれている。

 そう簡単に腐るものではないので、余っても町の人が使ってくれるだろうね。


「うんまい、体に沁みるゥ~~」


 麦粥に羊肉をほぐして戻したものをたっぷり混ぜ込んで、濃いめに味付け。

 鍋を囲んだ私たちは、もっもっと一心不乱に食べる。


「悔しいがやはり戌(じゅつ)の連中は、美味いものを知ってるな。こういうのでいいんだ、こういうので」


 北方を旅していたときも、戌族の町や邑では美味しいものばっかり食べられて、そこは本当に幸せだったな。

 それを振り返りながら、翔霏もすごい勢いで食器を空にしてお代わりの手を伸ばす。

 そんなに夢の中に出てきたイワダヌキの肉が美味しくなかったのかしら。

 久々に、なにも考えずにお腹いっぱい美味しいものを食べ尽くした私たちは、別に示し合わせていないのだけれど、部屋の中でめいめい、ごろんと横になる。

 このまま牛になりたいワ~。


「ところで、わたくしたちが作った血の霊薬ですが」


 ぼんやりと天上を眺めながら、江雪さんが話し始めた。


「結局のところ、予防薬だったのでしょうか。それとも対症薬でしょうか。治療薬でしょうか」


 さすがに薬の分野に関しては興味も知見も深い彼女なだけあって、そこは気になるようだ。

 私たちが普段「薬」と呼ぶものは、大きく分けて三つの種類がある。

 それが予防薬、対症薬、治療薬だね。

 インフルエンザにかからないように、もしかかっても軽く済むように事前に打つのは、予防薬に入る。

 文字通り、病気にかかる前に体に抵抗力を備えて、予防してしまえという発想の薬だ。

 それとは別に「対症薬」というものも広く世の中には存在していて、風邪を引いたときの咳、鼻水止めや解熱剤、そして怪我をしたときの痛み止めなどがある。

 症状に対して施される薬全般を指す言葉だけれど、最大の欠点がある。

 それは「病気そのものを治す薬ではない」という点だ。

 鼻水をいくら止めても、熱がそのときばかり下がったとしても、風邪の菌やウイルスは死んでくれないのね。


「薬を飲めばすなわち治るというわけではないのだな」


 翔霏が眠そうな声でコメントした。

 そう、対症薬はあくまでも「表に出た症状を誤魔化すための薬」であって、病原へ直接に働きかけるわけではない。


「本当の意味で、病気を治す薬もあるにはあるけど」


 そこで私は、残る一つ「治療薬」の話を口にした。

 私たちの体をいじめている病魔、すなわち菌やウイルスを直接的に攻撃して、やっつけることに主題を置いた薬の存在である。

 代表的なものは結核菌や各種感染症の原因菌を攻撃する「ペニシリン」などがある。

 それらは「抗生物質」と呼ばれ、病魔そのものをやっつけるための薬なので、本当の意味で「治療する薬」なのだ。

 そして私は、この薬に対しての補足を二人に話す。


「病気そのものを攻撃する薬は、病気以外の余計なものも攻撃しちゃうから、劇薬が多いんだよね。極端な話、患者の体を攻撃しちゃう場合があるから」


 薬ではないけれど、ガンは焼けば死ぬという話に通じる。

 確かにガン細胞は焼けば死滅するけれど、そんな高熱を浴びたら人間の健康な細胞だって無事ではいられない。

 病気の治療に使う抗生物質も、悪い細菌を殺すついでに、人体にとって有益な善玉菌までぶっ殺してしまう場合があるので、使い所が難しい。

 病気は治ったのに、飲んだ薬のせいで患者の体が病気をする以前より弱ってしまった、なんて笑えない話は数えきれないくらいにあるのだ。

 まさに、薬も過ぎれば毒、ということだな。

 私の見解を聞き終わった江雪さんが、寂しそうに漏らした。


「どのような効果が薬によって現れるかは、まだしばらく経過を観察しないとわからないのですね」

「そうだと思います。病気を発症している最中の人に薬を打てば、早いうちに効果はわかるかもしれませんけど」


 そこで効果が見られないようであれば、私たちの作った薬は予防薬である可能性が高い、ということだ。

 ちょうどそんな、薬談義をしていたとき。

 デリカシーゼロの獏(ばく)さんが、ノックもせず断りもせずに、小屋に乗り込んできて叫んだ。


「おおおお央那ちゃん、凄いよあの薬! 痘瘡(あばた)が出かかっていた子どもに打ったら、一気に熱も下がって腫れも引いたんだ! 僕もこの通りぴんぴんしてるし、大成功だよ!!」

「うるせー! なに勝手に入って来てやがんだ! 早く出てけ! 女同士でまったりしてる邪魔すんなブチ転がすぞ!!」

「ひぃっ!?」


 私が更なる大声で恫喝したので、獏さんは扉を閉めて、その向こうからおずおずと言った。


「ううう、喜んでくれると思って……と、とにかくあの薬のおかげで、多くの人が平癒に向かっているんだ。元気になったら、実際に見て回ると良いよ。本当に、驚くほどの効果なんだ。たとえ話じゃなく、みんな泣いて喜んでいるんだから」


 それだけ言って、獏さんは療養の仕事に戻って行ったようだ。

 私と翔霏と江雪さんは、寝転がったまま目を合せて、一緒に笑った。

 どうやら私たちの作った薬は、予防薬にして、対症薬にして、治療薬であったようだ。

 まさにこれこそ、たくさんの血を流した甲斐が、あったってものだよ。


「さすが、古き伝統を守る巳(へび)の氏族の術だ。完璧な勝利ですね」


 翔霏が絶賛するのに、ふるふると小さく首を振って江雪さんが答える。


「いいえ、ここにいるみなさまの力です。わたくし一人では、なにもできなかったのですから」


 その笑顔は、いつもより力に満ちていたと私は思った。

 役に立ちたい、なにかを成し遂げたい。

 それはもちろん尊い想いだけれど。

 みんな一緒だと、なおさら素晴らしく、美しいのだ!

 私もみんなで掴んだ勝利に、中空に手を伸ばしてガッツポーズを作ったのだった。


「三人は一度、小獅宮(しょうしきゅう)に戻って休むと良いでしょう。薬が成功したおかげで、あとの仕事は交代制でなんとかなりそうですから」


 ジュミン先生からそう提案されて、私たちは一度、小獅宮の女子寮に戻ることになった。


「僕も一度、帰ろうと思うんだ。流石に働き詰めでへとへとなんで」

「まあどうでもいいですけど」


 呼んでもいないのに、獏さんが同行することになった。 

 さらにさらに、町の入口で仲間たちに申し送りをしていると、丁度のタイミングで突骨無(とごん)さんが顔を出した。


「ん、麗さんたち、小獅宮に戻るのか? じゃあ俺が護衛に当たろう。みんな病み上がりでしんどいだろうからな」

「まあ嬉しい。白髪の勇者さまに送っていただけるなんて。この思い出は一生、忘れません」


 華やいだ顔でお礼を述べる江雪さん。


「あ、ああ。しっかり務めさせていただくよ。道中よろしくな」


 込められている情感が生半可でないことを悟ったのか、突骨無さんは緊張して堅い顔になってしまった。


「ふっ、さすがの色男も、ぐいと迫られたら弱いと見える。騎馬の民だから獲物を追う方が得意なのだろうな」


 意地悪な顔で突骨無さんを見て、翔霏は笑う。

 プロポーズした女の前で、別の女性にアプローチされるって、いったいどんな気持ちなのかしら。

 そんなにモテたことないから、わっかんねえわ~~。

 なあんて、女三人、男二人の楽しい道中にて。


「ね、ねえ。ななんか嫌な音が、聞こえて来ないかい?」


 ふと足を停めて、顔を歪ませた獏さんが呟いた。

 私は正直、耳が良くないので岩山の間に流れる自然音しか、わからないけれど。

 動物の鳴き声が、急に止んだのには気付いた。


「鋼の刀を地面に引きずる音だな」


 翔霏が私たちを後ろに下がらせて、自慢の伸縮棍を構えた。

 道の先から、なにかが、近付いて来る。

 前方をキッと睨んだ翔霏が、突骨無さんに命じた。


「お前はみんなを守れ。しくじったらお前を殺すかもしれん。しっかりやるんだな」

「な、なにを……?」


 突然の疑問に事態を掴めない突骨無さんの肩を、私は力を入れずに掴む。


「翔霏の邪魔を、しないであげて」


 目の前の強敵に、集中しなければならない。

 岩陰から訪れる嬉しくない再会に、私も翔霏と同じ方角を、ひたすらに睨み続けた。

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