004-01. 常初花は夜を超えて

 

「ざ~くくん! おはよう~!」


 屋上での衝撃的な再会を経た、翌朝。

 カフェスペースで朝食を取っていた柘榴のもとへ、ローザがぱたぱたと駆け寄ってくる。


「おはようございます、ろざさん」

「ごめんね、ちょっとお待たせしちゃったかな……あっ、クロワッサンおいしそう! 俺もこっちで食べれば良かったな~」


 柘榴の手の中のクロワッサンを見て目を輝かせるローザは、今日も変わらず愛らしい。

 その証拠に、カフェスペースを訪れているスタッフ職の女性社員たちが、先程よりも僅かに色めきだっているのを感じる。


「オフなのに来てくれてありがとね! お手伝いしてくれる人探してたから、すごく助かっちゃう」

「い、いえ……むしろ、こちらこそありがとうございました。昨日、教えていただいて……」

「ふふっ、ご期待に沿えた?」

「あ、その……はい……」


 確かに、歌を練習するには問題がなさそうな場所だった。

 ただ、昨日は……、


「………………」

「……え、えっと……?」


 昨日の出来事を思い出して少し落ち込んでいれば、ローザがにやにやしながらこちらを見つめていることに気付く。

 戸惑いながら首を傾げると、そのにやけ顔は綺麗な笑顔になった。


「ちゃんと会えた?」

「………………」


 ……嵌められた。

 この表現が適切かどうかは分からないが、直感的にそう感じた。


「……知ってたんですか……?」

「うん。だってあそこ、おりくんのお気に入りの場所だもの」


 ここ最近も、なんだかんだでちょいちょい出入りしてるみたいだったし!

 悪びれもせずにそうのたまう姿は、妖精というより小悪魔のそれだ。


「で、どうだった? おりくん何か喋ってくれた?」

「…………」


 再度、昨日のことを思い出す。

 呆然と立ち尽くす姿、傷付いたような表情、それから……。


「……すごく、叱られてしまいました」

「えっ」

「歌が……全然、駄目だって……Aメロからサビまで、全部駄目出しされてしまって……」


 向けられた言葉を鮮明に思い出してしまい、激しい羞恥でじわりと涙が滲む。

 ほんの少しでも、自分が歌がうまいほうだと自惚れていたことが恥ずかしい。


「…………それって――」


 僅かな沈黙の後。

 言葉を失っていたらしいローザが、肩を震わせ――


「――頭からサビまで全部聞いてくれたってこと!?」


 ――若干上ずった声を上げながら、勢いよく柘榴のほうへ身を乗り出した。


「あのおりくんが!? すごい! ざくくんすごいよ!」

「えっ、え、」

「急いでニィにも知らせなきゃ……! あっ、今夜はお祝いだから、夕飯どこに行きたいか考えておいてね!」

「え、その……はぇ……?」


 頬をピンクにしてぴょんぴょん跳ねたかと思えば、急いでニゲラにメッセージを送り始めるローザの様子に、柘榴は目を白黒させることしかできない。


「……あっ、ごめんごめん。一人で盛り上がっちゃった」

「えっ、と……?」


 我に返ったらしいローザは「恥ずかしー!」と唇を尖らせ、周辺に座る人たちに騒々しさを詫びてから椅子に腰かける。


「あのね。おりくんにワンコーラス聴かせるの、『ネクスタ』でセンター勝ち取るより難しいって言われてるんだよ」

「え……?」


 その言葉に、柘榴は思わず首を傾げてしまう。

 ローザはニコッと笑顔を見せると、言葉を続けた。


「大抵ね、Bメロ終わったところで止めて、『問題ないんじゃないかな』って愛想笑いして、用事があるからって言ってどっか行っちゃうの」

「す、すごい社交辞令……」

「歌については一家言ある子だからねえ……それなりに付き合いのあった俺ですら、ユニットメンバーとして一緒になるまでは歌のアドバイスなんて全然してくれなかったんだよ~」


 ……昨日の気難しそうな様子を思えば、何となく想像できる。


「だからね、おりくんが一通り聞いて、結構キツめのアドバイスしてくれるっていうのは……『すっごいうまくて感動した! 見込みがある! 気に入った!』って意味なんだと思う!」

「そ、そうなんでしょうか……」

「そうだよ~! んふふ、そっかそっか……あのおりくんがね~……」


 むふむふ言いながらにやけているローザをよそに、柘榴は眉間に皺を寄せる。

 本当にそうなんだろうか。

 本当に気に入ったと思っていたら、あんなに傷付いたような顔はしないはずだ。

 それに、最後に言い放ったあの言葉だって……。


「っとと……詳しい話は夜に聞くとして!」


 柘榴の思考を遮るように、ローザの手が軽く打ち鳴らされる。

 思えば、今日の本題はこの件ではなかった。


「食べてる間に、今日お願いしたいことの説明しておいても大丈夫?」

「あっ、は、はい! すみません、急いで食べます……!」

「ふふっ、時間が決まってるわけじゃないから、ゆっくり味わって召し上がれ~」


 ローザの優しく温かい視線を受けながら、柘榴はバターたっぷりのクロワッサンにかぶりついた。




「えっとね、今日お願いしたいのは……こちらでーす!」


 そう言って差し出されたスマートフォンの画面には、ローザが使っているSNSのアカウントが表示されている。

 投稿されている写真は、オシャレなご飯や色とりどりのコスメ……そして、それらよりもずっと目を惹きつける、ローザの自撮り。


「このアカウント、自分で立ち上げたファッションブランドの宣伝用に作ったやつで……まあ、今はそれ以外もかなり投稿してるんだけどね!」

「ろざさん、お洋服のデザインもしてるんですか?」

「んひひ、モデル事業部の時に機会があってね~」


 そう言って、ローザは投稿のひとつをタップした。


「こうやって、新作発売の時には自分で着た写真を載せてるんだ~。自分で着たいものを作ってるから、世界で一番うまく着こなせるっていう自信もあるし!」


 指の動きに合わせて次々と切り替わっていく写真に映るのは、メンズ、レディースを問わず様々な服を着たローザの姿。

 そのこだわりは服だけに留まらないようで、シーンごと、服装ごとに最適なヘアセットやメイクが施され、どの作品も映画のワンシーンのように洗練されている。

 本人が口にした「一番うまく着こなせる」という自負は伊達ではないようだ。


「それで、手伝ってもらいたいことなんだけど……ざくくんには、カメラマンを頼みたいんだ」

「か、カメラマンですか……?」


 笑顔で放たれた言葉に、柘榴は少し尻込みする。

 見せてもらった写真はどれも雑誌に掲載されているようなクオリティで、柘榴のような素人では到底撮影できそうにないものばかりだ。


「あ、あの……俺で大丈夫なんでしょうか……?」

「んー?」

「こういう写真って……プロのカメラマンさんとかに撮ってもらうんじゃ……」

「……ああ! そういえば言ってなかったね。これ、お仕事じゃないんだ」

「えっ……?」


 言っていることの意味が理解できず、柘榴はぽかんとしてしまう。

 そんな柘榴の顔を見て、ローザはおかしそうに笑いながら話を続けた。


「俺が自主的にやってることで、プロのスタッフさんは一切なし。写真もメイクも手弁当でやってるんだ~」

「このクオリティを、ろざさん一人で……」

「あっ、カメラマンは他の人にお願いすることも多いよ! 基本はニィに撮ってもらうんだけど、今週はバックダンサーのお仕事で大変みたいで……」


 そこまで言うと、ローザは手にしていたスマートフォンをテーブルに置き、ぱんっと音を立てて手を合わせた。


「だからお願い! 構図とかはこっちで指定するから、シャッター切るだけ手伝って!」


 丸い瞳をうるうるさせたローザに、眉を寄せて懇願される。

 その姿はおやつをねだる小動物のようで、その提案を断ることが良識に反することかのような錯覚を覚えた。

 ……まあ、昨日の相談の対価として協力を要請された以上、断るという選択肢は端からないのだが。


「……撮影は素人なんですけど、それでよければ……」

「ほんと!? やったあ~!」


 妖精は妖精でも、人を惑わす類のそれだ……。

 幾度となく見た可憐な笑顔を前にして、柘榴はまたしてもローザが妖精たる所以を見たのだった。

 

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