第7話:初陣

1561年6月13日織田信忠視点・5歳


「熱田大明神は初陣の事を言っているか?」


 美濃から清州城に戻って、家臣たちに織田信清の討伐を命じた信長が聞いてきた。

 際立った能力を示す俺をどう扱うべきなのか迷っているのだろう。


「熱田大明神は何も申されませんが、早い方が良いと思います」


「何故だ?」


「十郎左衛門殿を滅ぼし犬山城を奪うのです。

 その武功は大きく、与える褒美も大きくなります。

 十郎左衛門殿が背いたのも、元はと言えば、岩倉城を落とした浮野の戦いでの恩賞に不服があったからではありませんか?

 浮野の戦いの武功が殿お独りのモノであったら、何の問題もありませんでした。

 ならば、何時裏切るか分からない家臣たちに武功を稼がせるのではなく、父上と私が武功を独占すべきです。

 私の初陣といえば、私の家臣だけで犬山城を落としても誰も御文句は言えません。

 そうすれば、重要な犬山城を私を介して池田勝三郎に与える事ができます」


 全弟に謀叛された信長は、兄弟や叔父たちよりも乳兄弟の勝三郎を信用している。

 勝三郎に力を与えると言えば、俺が家督の簒奪を考えていないと伝えられる。


「流石に今の勝三郎に犬山城は与えられん、元になる身代が少な過ぎる」


「私にくださればいいのです、私が勝三郎を犬山城の留守居役にします。

 父上の城主でも城代でもなく、私の留守居役程度でしたら、少ない身代の勝三郎にも犬山城を任せられます」


「確かに奇妙丸の留守居役なら、余の城代や留守居役よりも二段も三段も格が落ちるから、勝三郎への妬みも少なくなる。

 だが奇妙丸に初陣をさせるとなると、急いで傅役を決めねばならぬ、誰を望む?」


 この問いも俺を試している可能性がある。


「父上と同じように四人でも宜しいですか?」


「前田蔵人を傅役にしたいから、他の者も選ぶのか?」


「父上も前田慶次の武勇が織田家に必要だと思われましたよね?

 前田蔵人を傅役にして常に側に置けば、慶次の忠誠心を得られます。

 好きなやり方ではありませんが、慶次を裏切らせない人質にもなります」


「他の三人は誰にする気だ?」


「池田勝三郎、滝川久助、もう一人は父上が選んでください」


「関係が近すぎる、蔵人の婿である慶次と久助は兄弟、勝三郎は従弟ではないか。

 譜代の勝三郎と前田蔵人は良いが、新参の滝川久助は外せ。

 どうしても久助を使いたいのなら、傅役ではなく足軽大将として使え」


「分かりました、では残る二人は父上が決めてください」


「分かった、織田三十郎と斉藤新五郎をつけてやる」


 叔父上と帰蝶殿の弟か、忠誠心が厚くて裏切る可能性が低い者を選んだな。

 前田蔵人以外は全員若いが、俺が四歳だから当然と言えば当然か。

 俺が父上の跡を継ぐ頃に働き盛り、家老になれる者でなければ困るからな。


「分かりました」


 俺の配下だった足軽たちのうち、前回の西美濃侵攻に参陣した連中は移動させた。

 乱暴狼藉の欲がある連中を側に置いておくのは危険なので、信長の足軽にした。


 とはいえ、信長が合戦する時は従軍させるが、普段はこれまで通り俺が指揮して塩田や漁で働かせている。


 信長が負けた時に俺を襲えないように、合戦時だけ離れた場所に追いやりたいだけで、普段はできる限り効率的に働かせている。


 毎日集まる貧民や流民、牢人や野伏を足軽や旗本に召し抱えている。

 総勢で八〇〇〇を越えた旗本と足軽だが、三〇〇〇を信長の足軽に移籍させたので、今俺が実戦で使えるのは四〇〇〇程度だ。


 その四〇〇〇兵を率いて織田信清討伐に向かった。

 信長も動員できる全兵力、八〇〇〇兵を投入した。

 総勢一二〇〇〇もの大兵力だった。


 初陣の前にできるだけ情報を集めた。

 俺の配下となった甲賀衆と伊賀衆が、実家を通じて情報を集めてくれた。


 斉藤龍興も全くの無能ではなかった。

 いや、まだ有能な家臣から見捨てられていない時期なのかもしれない。


 斉藤龍興は武田信玄に同盟を申し込んでいた。

 武田信玄に、飯田方面から信長を攻撃して欲しいと願い出ていた。


 武田信玄が侵攻してきたら、その矢面に立つのは犬山城の織田信清になる。

 信長の家臣として、武田信玄と斉藤龍興の連合軍と戦うのか?

 武田信玄と斉藤龍興に味方して、尾張の支配者になるのか?


 武田信玄と斉藤龍興が勝つと考えた織田信清は、謀叛する事にしたのだ。

 いや、戦国乱世なのだ、謀叛というよりは自立するための戦いだ。

 誰だって他人に頭を下げて生きたくはない。


 織田信清は犬山城だけでなく黒田城、於久地城、楽田城を領有している。

 尾張北部の広大な地域、丹羽郡と葉栗郡が敵地となった。

 俺の初陣は織田信清配下の於久地城攻めと決まった。


 織田信清の重臣中嶋豊後守が守る於久地城は、東西約九〇メートル南北一〇五メートルの曲輪を堀と土塁が二重に護る堅城だった。


 史実では信長の猛攻を防ぎ撃退している。

 信長が心から信頼し、同輩の誰もが有能と認めていた忠臣、岩室長門守を戦死させてしまった地でもある。


 織田信清が裏切らなかったら、裏切りを早期に鎮圧できていたら、信長は史実よりもずっと早く稲葉山城を落城させ美濃を制圧していただろう。


「付け城を築け」


「はっ、直ちに」


 俺の命令を聞いた池田勝三郎たちが配下を率いて出陣して行った。

 於久地城を落城させるために、敵を封じ込める付け城を築くのだ。


 俺が造らせる付け城は今までの付け城とは違う。

 敵の後詰、援軍との攻防を考えて適度な距離を置いて築くのではない。

 敵を完全に封じ込めて皆殺しにするために、敵城門の直ぐ前に築くのだ。


 豊臣秀吉が鳥取城を兵糧攻めにしたのと同じように敵を封じ込める。

 敵が城から出られないように、逃げようとした敵を皆殺しにできるようにする。


 とはいえ、敵の城代、中嶋豊後守も戦国乱世を生きる男だ、無能ではない。

 俺の築かせている付け城を見て、直ぐに邪魔しようと出陣してきた。


「敵は罠にかかったぞ、皆殺しにしろ!」


 滝川久作と池田勝三郎、斉藤新五郎に率いられた俺の軍勢は、出陣してきた中嶋豊後守率いる敵軍を散々に討ち破った。


 最初から攻めてくるのが分かっていて、満を持して待ち構えていたのだ。

 完成した城ほどの防御力はないが、野戦陣地に向かってくる敵を叩くのだ。


 兵数も圧倒しているので、かなり有利な状況で戦う事ができた。

 一方的に敵を叩き、味方に死者を出すことなく圧倒的な勝利を得た。


 中嶋豊後守が無能でも憶病でも、何の問題もなかった。

 敵が討って出て来なければ、そのまま付け城を完成させて餓死させるだけだった。

 まあ実際には、餓死させる前に降伏を受け入れる予定だが。

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