暗黙(四)

「人間は他人に命を奪われた場合、成仏できずにその犯人のところへ行く。こいつが犯人だと、自分を殺したと、訴えかけるものだ。普通の人間の目に己の姿は視えていないというのに……それに、常々朝彦は私に言っていた。自分が死んだら、犯人は紫苑以外にあり得ない、とな」

 紫苑はこの洞窟を独占していた。朝彦がその事を知ってはいたかどうかはわからない。紫苑が使う呪術の正体を、正確には把握していなかったのだろう。だからこそ、己の欲を抑えきれず、紫苑の罠に嵌ったのだ。

「……初めからわかっていたなら、どうして、その中宮様の命で捜査の指揮を?」

 わかっていたのに、なぜそんな効率の悪い、無駄なことをしていたのか桔梗には理解できない。少なくとも、希彦のもとで捜査に当たっていた官吏や捕吏たちは犯人を見つけようと懸命に仕事をしていたように桔梗の目には見えていた。それなら、初めから中宮が犯人である証拠を集めるべきだったのではないかと。

「形式上必要なことだったからだ。それに、桔梗殿が解決したという物の怪の話にも興味があったしなぁ」

 中宮が帝を殺したということがわかったところで、結局、その真実は隠される。実の子供である晴彦が次の帝となるのだから、母親の罪なんてどうとでもなるのだ。希彦はそれもすべてわかっていた上で、立場上、捜査の指揮をとった。形式上の捜査と上辺だけの葬儀が無事に終われば、それでいい。適当に終わらるのが希彦の役割だった。

「そんな……」

「何も驚くことはないだろう? 宮廷とは、ここそういう場所だ。よほど優秀な人間が、謀反でも起こさない限り、変わらない。まぁ、仮にそうなったとしても、権力を得ると結局人は同じ道を辿ることになる。己の欲望のために、自分の居場所を守るために、非道なことをするものだ。また同じ事が繰り返される。とても退屈で、とてもくだらない」

 希彦は人魚の鱗を掴んで乱雑に引っこ抜いたが、すぐに別のうろこが生えてその場所を覆い隠す。それがこの植物が、不老長寿の象徴である人魚の鱗の所以の一つであることを、桔梗は知らない。

「人の上に立つ者は、いずれ痛い目を見る。朝彦が己の欲を利用されて殺されたように、紫苑もいずれ、己の欲のせいで身を滅ぼすだろう。それは今ではない。それが間違いだと思うなら、桔梗殿の正義に反するものであるなら、桔梗殿が正せばいい」

「私が……?」

「朝彦の葬儀が終われば、すぐに東宮の——いや、新たに帝となる晴彦の妃選びが早急に再開されるだろう。そうなれば、目指すべきは正室の座だ。桔梗殿が新しい中宮となれば、退屈でくだらないこの世界を変えることができるかも知れない」

 要するに、今は紫苑の罪を暴くべきではない。時が来るのを、待つべきなのだと希彦は言いたいのだと桔梗は思った。

「……あなたは、変わるのを待っているのですか?」

「さて、どうだろう?」

 そう言って、希彦は微笑んだ。今までのどこかわざとらしい、胡散臭い笑顔ではない。きっと、心から笑ったのだと桔梗は感じる。どこか憂を帯びているような、そんな儚げなものに見えた。

「私はただ、面白ければそれでいい」

 その微笑みが、ぞっとするほど美しいと思った。



 * * *


「————酷いです姫様! 私を置いて、希彦様と二人きりでどこに行っていたんですか!?」

 桔梗が部屋に戻ると、藤豆が顔を真っ赤にして怒っていた。今にも桔梗に食ってかかろうとしている勢いだったが、それを粟乃が止める。

「いい加減にしなさい、藤豆。姫様には姫様のお考えがあってのことでしょう……それで、その、姫様、藤豆が言っていることは本当なのでございますか?」

「……藤豆の言っていること?」

 桔梗が首を傾げると、粟乃は声を落として改めて聞き返す。

「今回の事件の真相ですよ。すべて中宮様が企てたことだというのは、本当ですか?」

「……藤豆、粟乃に話したのか?」

 桔梗は眉間に皺を寄せ、藤豆を睨みつけた。その表情が怖かったようで、興奮気味だった藤豆も一気に勢いがなくなる。

「え、ええ。だって、事実じゃないですか。それを確かめに、希彦様とどこかへ行っていたのではないのですか?」

 呆れたように深いため息を吐いた桔梗は、藤豆を一瞥した後、冷たく言い放った。


「粟乃、この子は口が軽すぎる。代えよう」

「……はい?」

「今回のことで、改めて考えたのだが、やはり私はなんとしても正室に選ばれなければならない。藤豆は素直でいい子だけれど、その軽い口でうっかり余計なことを話しかねないのが気にかかる」

「へ……?」

「もっと口の硬い子がいいな」

「でしたら姫様、適任の者がおります」

「ちょっ、ちょっと待ってください」

 桔梗は藤豆を無視して、粟乃と新しい女房を用意するよう話を進めて行く。

 そして、朝彦の葬儀が終わった頃には、本当に別の女房がやってきて、藤豆は瑠璃領に返されてしまった。



「本当に、いきなりですよ!? ひどいと思いませんか!?」

 瑠璃領に戻された藤豆は、菖蒲にその不満を漏らすしかなかった。黙って藤豆の話をすべて聞いた菖蒲は、憤慨している藤豆を宥めながら、先の妃選びで自分の身に起きた出来事を重ねて呟く。

「藤豆、女が突然変わる理由は、一つしかないわ。紫苑も、最初はそうだった」

 瑠璃領の妃候補二名を決める試験が始まった頃、紫苑は家の都合で仕方がなく参加しているのだとよく嘆いていて、あまり試験に積極的ではなかった。同じの妃候補の座を争う立場ではあるが、そのどこか男らしい、からっとした性格で他の候補者たちから慕われていた紫苑。それがある日突然、変わった。

「瑠璃領へ視察に来た先帝と一緒に来た朝彦様を一目見てから、すっかり変わってしまったわ」

 桔梗が急遽妃候補に選ばれた時から、菖蒲はかつての紫苑とどこか似ているような気はしていたのだ。

「きっと、桔梗も恋をしたのよ」

「…………誰に?」

「東宮様でしょう? あぁ、今はもう帝ね。……————他に誰がいるというの?」

 藤豆の脳裏に、猫のような目をした美しい男の顔が浮かんだが、そんなわけがないと否定するように首を左右に振った。


 ————もし、仮にそうだったら、桔梗様ならお方様に怒られずに妃候補から脱落する上手い方法を考えるはず。


「いませんね、そんな人は」

 


【瑠璃の洞窟 了】




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


次回【琥珀こはく忌子いみこ】編は1月中旬からの公開を予定しています。

少々お待ちくださいませ。

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