以下は百万人の福音2024年12月号に載った記事です。
二つの解釈
『雅歌』の著者と執筆年代を特定するのは難しく、定説はありません。しかも書全体が何のために書かれたかについても意見は二つに分かれています。伝統的にこの書は寓話的に解釈されてきました。つまり、「男女の愛と性が歌われているがそれを文字通りにとらえるべきではない。主と教会の間の愛の関係を描いているのだ」というものです。
しかし、最近は、ティンデル聖書注解シリーズの『雅歌』のように、この書を文字通り愛の詩だと考える学者が増えています。というのも、古代オリエントの文献の中に類似した愛の歌があることが明らかになってきたからです。しかも現代の中近東の祝婚歌の中にも同じような歌があるのです。それに加え、神と民の愛の関係を描く歌は詩篇に十分ありますし、『雅歌』を寓話的に解釈すべき明白な理由もないようです。そこで私は、『雅歌』は祝婚歌集か、結婚式で演じられた歌劇がもとになったものであり、主要なメッセージは夫婦の愛と性を祝福し励ますものだと考えています。
聖書が語る愛と性
読者のみなさんの中には性を語ることに躊躇を覚える方もいらっしゃるでしょう。しかし、ここで聖書に立ち戻ってみたいのです。先ず、夫婦の性の営みは神が心を込めて造られたものです。そして神は二人を祝福して「生めよ、増えよ」と命じ、性の営みを含むすべての被造世界を「非常に良かった」と述べています(創1・31)。
聖書はさらにこう語ります。
あなたの泉を祝福されたものとし、
あなたの若いときからの妻と喜び楽しめ。
愛らしい雌鹿、麗しいかもしか。
彼女の乳房がいつもあなたを潤すように。
あなたはいつも彼女の愛に酔うがよい。
わが子よ。どうしてよその女に夢中になり、
見知らぬ女の胸を抱くのか。(箴5・18-20)
この箇所ははっきりと夫婦の愛と性を、祝福された良きものとしています。
プラトンの教え
では、なぜ、私たちの心の中には性に対する躊躇や警戒心があるのでしょう。そのルーツの一つはプラトンの教えです。プラトンは人間を精神と肉体に分けて、肉体を汚れたもの、性の営みを卑しいものとしました。そしてその教えが西洋の社会とキリスト教に大きな影響を与えていったのです。先に引用した箴言の箇所は、プラトン主義と聖書との違いを如実に表しています。プラトン主義は神の被造世界を見下すのですが、聖書は被造世界を喜び楽しむと同時に、神が定めた創造の秩序を犯さないのです。
罪の影響
夫婦の愛と性は神が造られた良きものだとすれば、罪の影響はどこに現れるのでしょうか。もちろん婚外の性に現れます。しかしそれだけではありません。
スイスのクリスチャンで、家族カウンセラーのアゴ・ビュルキさんは何百人もの女性にインタビューし、『変わる妻たち』(新曜社)という本を出版しました。インタビューされた一人、アンドレア(六五歳)はこう語っています。
いつもとても疲れていたので、私の方からセックスを望むということはまずありませんでした。彼の性的な欲望の満足のために使われているとばかり感じ、消耗するだけでした。そしてその繰り返し。私の内には性生活に対して嫌悪が育っていくばかりでした。
この発言についてビュルキさんは語ります。
性生活を考える際、よく女性は疲労を口にする。…「疲れている」ということばは「反感を抱いている」ということばよりも口に出しやすいし、相手にも受容されやすい。…夫の性的欲望を満たすためだけの性生活だったと、長年にわたって深い恨みを抱いている女性のなんと多いことか!そういう人生を送る女性は、一生涯疲れて暮らすことになる。(98-99頁)
ここでエデンの園を思い出しましょう。アダムとエバは園で一つとなりました。彼らは裸でしたが恥じることはなく(創2・25)、性生活はオープンで、心も体も二人はいつも結ばれていました。しかし、神に背くと彼らは衣服によって自分を隠しました(3・7)。夫婦の間に隔たりができたのです。しかも夫は妻を「支配することになる」(3・16)とも言われています。この最後の点は重要です。
当然のことながら、男性だけではなく女性も罪の影響を受けています。そのために家庭に歪みが生じることも少なくありません。そればかりか、最近の若い夫婦の間では、夫が妻によって暴力を受けるケースも増えているそうです。しかし、長い歴史を振り返れば、家庭でも社会でも総じて男性が女性を抑圧し、利用し、支配してきたことは否めません。しかも日本の男女格差は世界の中でも特にひどい状況です(ジェンダーギャップ指数146カ国中118位。2024年WEF発表)。
キリスト教の救い
そこで、これから夫に焦点をあてて考えてみましょう。パウロは、主イエスが教会を愛するように夫は妻を愛すべきだと述べています。これは命をかける愛であり、当時も今も驚くべき教えです。また
夫も自分のからだについて権利を持ってはおらず、それは妻のものです。(Iコリ7・4)
とさえ語っています。夫は自分ではなく妻の性的な満足を第一にすることになります。
では、『雅歌』はキリスト者の夫婦にとってどのような役割があるのでしょう。旧約聖書の著論を書いたレイモンド・ディラードら[1]は、『雅歌』のセクションで次のように書いています。
園で行われる愛の営み(2:3-13、4:12-5:1、5:2-6-3、6:11、7:10-13、8:13-14)は、私たちにエデンの園を思い起こさせるはずだ。…この書は、人間の愛が堕落前の祝福に回復した様子を描いている。(265頁)
知恵文学の他の書物は創造本来のあり方の回復を指し示しています。同じように『雅歌』も、情熱的で愛情にあふれエロティックな愛の営みを描くことによって、私たちが罪の影響を乗り越えて創造本来の夫婦関係に立ち帰るように招いているのです。
夜だけでなく
ここで総論ではなく、夫がなかなか理解できない一つの点に注目しましょう。ここでも『変わる妻たち』から引用します。ロスマリー(54歳)です。
夫のようには性についての喜びを感じられませんでした。…私は私の存在すべてとして愛されていない、体だけ愛されているんだわ、と感じていました。そのことはとても悲しいことでした。「ベッドを共にする」ということは私にとって、肉体と魂の両方を指すことばで、互いの理解が最高に深まった結果としてのことだったのです。一日中優しく目とことばをかけてもらう。それがベッドにあっての行為と同じように私には必要でした。…ですが、夫はせかしたり、強いたりして求めてくるし、それがうまくいかないといらいらし、すると私は自分のせいで夫の機嫌をそこねてしまったと罪責感に悩むのでした。(100-102頁)
『雅歌』には、男女の愛が生き生きと美しく描かれています。しかも、街の中、野原、園、道、庵(いおり)、城壁の上へと場面は変わり、時間も目覚めてから翌朝早くまでに及びます。愛があらゆる場面で、そして絶えず表現されていることが伝わってきます。私たち夫は、「一日中優しく目とことばをかけてもらう」ことが妻にとってどれほど大切かを心に刻む必要があるでしょう。
一例として(2・2-5、10-15)
そのような妻の心が描かれていると思われる箇所の一つが2・2-5です。興味深い例として、少しイメージを膨らませて読んでみましょう。
三節で、花嫁は「私の愛する方が若者たちの間におられるのは、林の木々の中のりんごの木のようです」と語ります。花嫁にとって愛する方は、若者の中で目立ってカッコいいのです。私たち夫は、妻から尊敬されるような飲食のマナーを守り、妻の好意を得られるような服装と振る舞い、また言葉使いを目指すべきなのでしょう。家事育児は手伝うのではなく共に担い、妻の痛みと重荷に共感する。そして十分なハグとキス!そうすれば、妻は三節後半のように言ってくれるでしょう。「その木陰に私は心地よく座り、その実は私の口に甘いのです」と。
私たち夫が最後に妻を食事に連れ出したのはいつだったでしょうか。四節には、「あの方は私を酒宴の席に伴ってくださいました。私の上に翻る、あの方の旗じるしは愛でした」とあります。夫は五節で、彼女にしくて高価なデザートまで差し出しています。このような愛の表現が続くからこそ、花嫁は「ああ、あの方の左の腕が私の頭の下にあって、右の腕が私を抱いてくださるとよいのに」と願ってくれるのです(六節)。同じ章の十節から一五節には夫の愛の言葉が綴(つづ)られています。私たち夫が最後にこのような言葉を妻にささやいたのはいつのことだったでしょう。また『雅歌』では、香やハーブの良い香り、そして美しい庭が、愛を育み営むための大切な要素として登場します。
つまり、一日24時間、あらゆる場所で、生活のすべての分野で、そして五感全体で、愛が表現されているのです。
まとめ
罪の結果、夫は妻を自分のために利用するようになりました。性の面もしかりです。しかし、キリスト者の夫は、その罪の影響を乗り越えるように招かれています。これは決して簡単なことではありません。しかし、そのような自己中心から解き放つために主イエスは十字架にかかってくださいました(ロマ6・6)。しかも愛を実践できるようにご自身の霊を送ってくださいました(ガラ5・22)。自分との闘いは非常に厳しいものです。もうこれ以上無理だと思うこともあるでしょう。しかし、この方に頼って小さな一歩を踏み出し続けましょう。結果としてそれは、真の喜びと満足として夫にも返ってくるかもしれません。おそらく『雅歌』はそのために書かれたのでしょうから!
追記
1 加齢による性欲の減退は通常のことですので、詳しくはご自分でお調べください。性的な関係がなくなっても、愛と愛情表現の大切さは変わりません!!
2 主イエスの救いを「創造本来の姿を回復するもの」として捉える福音理解について興味ある方は、小冊子『神のご計画』(聖書を読む会、500円)をご覧ください。また、その福音理解に基づいて、ファッションや料理、政治や環境問題といった具体的な例を美しく描いている書として『わが故郷、天にあらず』(いのちのことば社オンデマンド、1980円)をお勧めします。
[1] An Introduction to the Old Testament (Zondervan, 1994)
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