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沢登理永

好きな言葉

"Say little, love much, give everything, continue walking"

"The only important things in life are the traces of love we leave behind"

"grant me the serenity
to accept the things
i cannot change,
the courage to change
the things i can,
and the wisdom to
know the difference"
(2010年12月 自由が丘「ミツバチ」にて)

マイノリティーの感覚

(清水宣晶:) りえは、小学5年生から中学、高校っていう、
多感な時期にロスアンゼルスにいたでしょう。
その影響ってのは、やっぱり大きいと思う?

(沢登理永:) 影響を与えてるとしたら、
自分が常にマイノリティーのところにいた、
っていうことがあるんじゃないかと思っていて。

うんうん。

言葉も、周りの人と比べると不自由だし。
すっごい頑張らないと、名前を呼んでもらえないとか、
団体の中に埋もれちゃうっていう。

そうか。
やっぱり、日本よりも、
自己主張をしないといけないプレッシャー、
っていうのはあるもんなの?

そのプレッシャーはすごいあったし、
居ても居なくてもいい人、っていう状態にいるのが嫌で。
部活動でトランペットをやってる時は、
そこに自分のポジションがちゃんとあるっていうだけで嬉しかった。

楽器は、言葉が要らないってのがいいよね。

そう、だから、アメリカに行ったばかりの時は、
それが唯一の拠り所だったんだと思う。

学校は、現地校だったの?

現地校だったんだけど、日本人の駐在人が多い地域で、
3000人中、日本人が300人ぐらいいた。

それ、ちょっと微妙な割合だね。
そのぐらいの人数がいると、
なんとなくそこでグループになったり、
日本語で話しちゃったりしない?

生活全般は英語なんだけど、
やっぱり、一番話しが通じるから、一番仲良くなるのは日本人で、
ランチタイムとかになると日本人同士で集まるし。
「いかにこの日本人サークルから抜けるか」ってことを、
話してたりした。
でもさ、どこの国の人でも同じ人種同士で集まるのは当たり前といえば、
当たり前なんだけどさ。

その雰囲気、わかるなあ。

だから、アメリカにいた時は、
自分の英語に全然自信が持てないまま、
大学も、アメリカで進学するなんてことは考えられなくて。
でも、日本に帰ってきたら意外に、「結構話せる」ってふうに扱われて、
むしろ、それからのほうが話せるようになった。

「みにくいアヒルの子」みたいな話しだね。
アメリカだとマイノリティーで窮屈だったのが、
日本に戻ってきて、のびのびと本領を発揮出来るようになったんだな。

アヒルかー!そうかも。
そこで、ようやく積極性が身についた気がする。

りえが、帰国子女でいながら、
それをあまり感じさせないっていうのは、
アメリカの生活に完全には染まってなかったからなのかもね。

そう、最後まで、
本当に溶け込んでたっていう実感は持てなかったから、
ちょっとやり残した感はあって、
少し前までは、海外で働いてみたいという気持ちがあったけど、
今はすっかり、日本での生活が落ち着いているな。

真ん中のポジション

パラサイヨのコンサートの代表をやってるのを見て思ったんだけど、
りえの、その、
みんなの意見をうまいこと調整する能力ってのは、
どこから来てるんだろうね。

ちょっと前まではずっと、
「真ん中のポジションでいよう」ってことを意識していて。

おお?
面白いね。
それは、先入観や偏見を持たないようにするっていうこと?

まったく別の種類のものの、両方を理解して橋渡しをする、
っていうことを自分の役割だって思ってたんだね。
仕事も、お客さんと海外をつなぐ仕事だし、
友だち関係でもそういう役割を意識してたり。

なるほど。
それは、りえが理解できる許容範囲が広いからこそなんだろうな。

昔から、私が仲良くなる友だちって、
ちょっと極端だったり、変わった人が多かった気がするんだよね。

それは、引き寄せてるところあるんだと思うよ。
混沌を生み出すような人に惹きつけられることない?

ああー!
そうかもね。

オレも、りえと似たところあるから、そう思うんだけど、
自分で混沌を生み出さない分、混沌が向こうからやってくることを期待する気持ちが、どっかにあると思うんだよ。

たぶんそうで、
私が想像もつかなかったような表現で、
私が知らなかった世界を見せてくれる人に惹かれる、
ってのはあったと思う。
そうすると、やっぱり混沌とした人が寄ってくるんだろうね。

相性的には、いいんだろうと思う。
お互いに必要としているところもあるだろうし。

うん、人生の彩りが豊かになったのは間違いない。
でも今は、そういうものを求める気持ちにはなってないから、
この先はあんまり、混沌が寄ってくることはないんじゃないかな。

さわ(沢登正一)に、
混沌を近づけそうにない、明るさがあるからね。

そう、マイノリティーに行くことなく、
ずっと明るいところを歩いてきたような人だから、
どんよりしたものを引き寄せるってことがない。
「そこで反応しないでくれて本当にありがとう」
って思うことが、よくある。

わかるなあ。
それは安らぐと思うよ。

人生観が変わるきっかけ

今でこそ落ち着いているけど、
今年一年は、激動の年だったでしょう?

そう、激動を越えて、
なんか、今はもう全部リセットされた感じでさ。
別の人になったような気がしてて。

アフリカの部族とかにある、
イニシエーションみたいなもんだね。
死の淵から生還して戻ってきた時に、
一人前と認められて、本当の人生が始まるっていう。

(笑)イニシエーションってすごいけど、
でも、それに近いかもしれない。

聞いた話しなんだけど、
人間の人生観が大きく変わるきっかけには三つあると言われていて。
一つは、大病。

うん。

もう一つは、投獄。

それはたしかに、人生観変わりそうだね。

あと一つはなんだか忘れちゃったんだけど。

えーー!?
ちょっと!それ気になる。

ごめん。
思い出したら連絡するわ。
(2010年12月 自由が丘「ミツバチ」にて)

【暮らし百景への一言(沢登理永)】
自分を伝える適切な言葉はなんなのか、考えながら話すことはよくやっているようでやっていなくて、新鮮だった。自分の泉に沈んでいそうな言葉を、これからも探していきたいと思わされたきっかけに感謝します。

清水宣晶からの紹介】
りえと初めて会った時に印象に残っているのは、「初対面なのに、ここまで深い話しをしてくれるのか」という驚きを感じたことだった。
しかもそれは、自分を見せようとズケズケと入り込んでくるような押し付けがましさではなく、単純に、心を開いているという状態が定位置であるために、いつも通りにふるまっていたらそうなった、という自然さがあった。

りえは10年を超える海外経験を持つ帰国子女なのだけれど、言われるまで、そのことにまったく気がつかなかった。
価値観や背景が異なる相手と接するコミュニケーション力や、オープンマインドの姿勢を持ちつつも、彼女からは、極めて日本的な気遣いや謙譲の精神を感じる。

この先、日本が様々な国や文化と交流する機会が増えてゆく中、薩長同盟にも似たアクロバティックな橋渡しを可能にするのは、りえが持っているようなハイブリッドな柔軟さなのだろうと思う。

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