今日の法事は施主の母親の7回忌と祖母の27回忌の併修法要。
法事申し込みの紙に参列者1人と書いてあった。
法事が始まる前、いつも湯茶・お菓子の接待をするため事前にそれを待合室に用意しておく。今日は1人なので来られてから持っていこうと湯茶お菓子を事務室に置いておいた。
聞き違いか、言い間違いか、勘違いか、実際に来られたのは5人だった。
来られてから湯茶・お菓子の用意をするのには時間がない。
本堂の準備中だったが、お茶は飲まずに2階本堂に上がってもらった。
5人は施主と弟さんの家族なのだろうか。美男美女だった、と書いてはいけないのかな。最近のコンプライアンスではルッキズムになる。
彼ら彼女らは30代40代に見えたが、美男美女は若く見えるので40代50代なのかもしれない。いずれにしても、親の代が亡くなって、後を継いだ若き子息が母親の7回忌はともかくお祖母さんの27回忌法要を勤められるのはご奇特なことだ。
ご奇特=特にすぐれて珍しいこと。また、心がけや行いがすぐれてほめるべきものであること。
内陣に上がったことがないというので、曼陀羅の絵図もありますので内陣に入って近くでご覧になってくださいと言った。
胎蔵界曼陀羅の前で、「中心の大日如来がぐっーと前に出てきてすべてを包み込みます。大日如来という仏さまは時間的には無始無終で始めなく終わりなき存在、空間的には不来不去でどこからも来ないでどこにも去らない、つまりすべてです。この絵図の中に犬や魚・カニも描かれています。みな大日如来の命をいただいて生きています。いのちの貴さにおいて人間と動物を分けない教えです。当然人間の中でも分けない。すべての命はみな貴い存在です。これを仏さまの智慧、無分別智と言います。
ウクライナの人々は勿論、侵略しているロシアや北朝鮮の兵士もみな貴い命です。
戦争は絶対にいけない。どの国の国民もみな大日如来の命をいただいているのです。」胎蔵界曼陀羅の説明はしたが、金剛界曼荼羅の説明は難しい。