アルバム「ひみつスタジオ」全曲感想の8回目、いよいよ今回でラストです。
12曲目の「讃歌」から。
壮大で荘厳(そうごん)な感じのする曲。そういう意味で言えば、このアルバムの核となるような、そんな存在でしょうか。
草野さん自身による解説では、「賛美歌がもともとすごい好きで、ツアーの移動中とかもずーっと聴いてたりするんです。だから、そういう世界もちょっとやってみたいなあって。」「でもちゃんとバンドサウンドです。まんま賛美歌なわけではなく。」と。
歌詞で、「今は言える 永遠だと」と歌うこの部分、私は最重要箇所だと思うんですが、それについて草野さんは、
「 “さらさら” で《永遠なんてないから》とか歌ってたけど、今回このホーリーなコーラスにのせると(シンガーの佐々木詩織さんが参加)、これは永遠だって言わなきゃダメだなっていうふうに、メロディとアレンジに導かれちゃったみたいな感じですね。」そして、「でも《永遠なんてないから》と《今は言える 永遠だと》っていうのは、ノットイコールではなく、以外とイコールだったりするんですよね。なんだろう・・・「君との愛は永遠だよ」とかっていうような永遠はたぶんないんだろうけど、この一瞬は永遠かもしれないって思うような永遠はあるのかな、とか。ちょっと哲学的になっちゃうけど。」と。
なるほど、です。「永遠」って言葉を使う時って本当に難しいですよね。
佐々木詩織さんという方のコーラスは、すごくきれいな声で、最初この曲を聴いた時「シンセサイザーの音かな?」って思ったくらいです。声の伸びにずっと続く一定感がある。でも、ん?やっぱ人の声だよなって。じゃあ、クージーさん?でも、声質がちょっと違うような・・・って事で、すぐCDのクレジットを確認したら、そういう事でした。
「讃歌」という言葉の意味は、
「褒め称える気持ちを表わす歌のこと。」また、「信仰対象を讃美する歌のことを指す場合もある(賛美歌)。」「賛歌」と「讃歌」は漢字が違うだけで、その意味は全く同じ。「讃」は常用漢字ではなかったので、代わりとして「賛」を使うようになった、との事。
では草野さんは、この曲の中で何を「褒め称えている」んでしょうか。何を「褒め称えたかった」のでしょう。
歌詞に「鳥のように 虫のように 風を受けて 時を紡ぐ 君のそばに いられるなら」
「雪の中で 熱の中で 失わずに 目を開いてる 君のそばに いられるなら」と、あります。
無限に広がる宇宙の中にある一つの惑星「地球」という星で、この時代に、この世界の中で、この場所で出会った。そんな「奇跡」を「褒め称えたい」、そして何よりも「君」という存在に「感謝」したい。というね、で、「讃歌」なのかな、と。そんな風に感じました。「究極」のラヴ・ソングですね~。「12曲」目ですけどね。(あ、これはもういいね)
この曲でアルバムを締めくくってもいいと思うんですが、なんのなんの、まだあります。次がラストの曲です。
と、ラストの曲に行く前に、お決まりの私の大好物。
そうですね~。
「クリームシチュー」。特に冬場の寒い日に頂くのが最高。
「讃歌」、「賛美歌」っていう事で頭にイメージしたのは、何故だか、アニメ「フランダースの犬」。
そのアニメの中で、ネロとおじいさんの食事風景。シチューとフランスパンが少し。そんなシーンが何故か思い浮かびました。貧しいけれど、僅かな糧かもしれないけど、とても心が温まる。そんな食事。
我が家が、ひいきにさせて頂いてるシチューの銘柄は、ハウスの「ミクス シチュー(クリーム)10皿分」。カレーの時も「ジャワカレー」って事で、こちらも「ハウス食品」さんなんですよね。恐るべし「ハウス」・・・笑(「案件」ではありませんよ。笑)
最近は「ミクス シチュー」、5皿分ずつ作れるように箱の中身が2つの袋に小分けされるようになりました。まあどっちにしても私は、一気に10皿分作りますけどいつもね。次の日も、その次の日も残っていれば食べたい。パンを焼いて一緒に食べてもいいし、もちろんパスタにも合うし、ご飯の上にかけてドリアみたいにしても美味しい。
こちらですね。↓
なんなら、こちらも。^^ ↓
さてでは、最後の曲。13曲目ですね。
「めぐりめぐって」。
アップテンポの曲で、ラストにもう1回ガツンと。
草野さんの雑誌のインタビューでの解説は、「これはイメージとしてあったのが、RCサクセションの「よォーこそ」って曲。ライヴの1曲目で「お客さん、ようこそ!」っていうような曲がスピッツには無いかもなあと思って。そういう「めぐりめぐって、みなさんとこうやって、会えましたよ!」っていう喜びを表わすような曲を作りたいなっていう所から出来上がったんです。」と。
私が特に歌詞の中で好きな部分が、
「世界中のみんなを がっかりさせるためにずっと
頑張ってきた こんな夜に抱かれるとは思わず
ひとつでも幸せを バカなりに掴めた
デコポンの甘さみたいじゃん」
もうホント草野さんったら、謙虚だし、面白いし・・・ ん?「デコポンの甘さみたいじゃん」??? 笑
って事で、
全曲感想、終了です。
最後に、この曲に合う大好物は、・・・
「吉野家の牛丼」。笑
ホントに好きでね~。「すき家」でも?「松屋」でも? いいっちゃあいいんですが、出来れば、出来ることなれば、「吉野家」。笑
私の場合、食べた後に特に「歌入れ」?「歌録り」?あるわけではないんですが・・・笑
「めぐりめぐって」は、「跳べ」と同じくスピッツのメンバー4人でのセルフプロデュース曲。
また機会があれば、「オバケのロックバンド」の様に仲良く「牛丼」を召し上がりながら、全員がヴォーカルを取るような曲が生まれるなんて事を期待しつつ、こちらを選びました。「オバケのロックバンド」の時には、あえて「牛丼」は登場させず、ラストに取っておきました。笑 (「牛丼」の具を煮込む際に使われる秘伝のつゆの甘さには、「デコポン」も使われているらしいよ)(嘘)
最後に総評というか、「評」なんておこがましいですね、締めの「感想」という事で、
「オバケのロックバンド」の中の歌詞で、
「子供のリアリティ 大人のファンタジー オバケのままで奏で続ける
毒も癒しも 真心込めて 君に聴かせるためだけに
君に聴かせるためだけに」と、あります。
「リアリティ」と「ファンタジー」、単純に考えると「子供」が「ファンタジー」だし、「大人」が「リアリティ」だと思うんです。
「夢見る」頃は子供の頃だし、大人になればなるほど、現実の「リアル」さを否が応でも知らされる。
でもよーく考えてみると、子供の頃って色んな事知りたがって、本当の事が知りたいって思って大人達に聞くもんですよね。「ねー。これは何?」「これは、どういう意味?」「これは、どうやるの?」などなど、ね。純粋無垢で好奇心旺盛で、それが草野さんの言う「子供のリアリティ」なんだろうか?って思ったり。私なんかも小さい頃、よく親を質問責めにしたものです。で、思い出して笑ってしまう話しがありまして、それは仕事をしながら家族でラジオを聴いてて、なんだかDJが、マリリン・モンローの話しをしてたのかな、「悩殺」って言葉を言ったんですね。で、私、「ねえねえ、のうさつってなあに?」と。黙っちゃいましたね、親。・・・笑
もう一つ親が黙ってしまった質問ありまして、浅草の「酉の市」に家族で行った時の事、夜の街角にサンドウィッチマンが立っていたんです。あ、私が小さい頃ですので、お笑いコンビの方では無く本物の、ん?何て言うんだろう、「人間広告塔」とでも言うのかな・・・看板を背負って黙って立っている客引きのようなね、人。で、その看板には「大人のおもちゃ こちら →」みたいな文字が書かれていて・・・で、私、「ねえねえ、大人のおもちゃって、なあに?」って・・・まあこの時も父は、黙りました・・・笑
えっと、すみません脱線して。話しを元に戻しますと、「子供」だからこそ「リアリティ」があったし、「大人」だからこそ忘れてはいけない「ファンタジー」な気持ち。そういう事なのかな?なんてね。要するに、子供の様な真実を知りたがる好奇心の様な《リアリティ》を忘れず、大人になってしまった今だからこそ、ずっと、夢見る事《ファンタジー》を忘れてはいけないんではないか?っていう草野さんなりの気持ちの表明?
そして「真心込めて」「君に聴かせるためだけに」と結んでいるんですが、ここに草野さんの、スピッツの全てが凝縮されているような気がします。そのような気持ちで、これからも音楽活動していって下さるんだろうし、そんなスピッツ、ずっと観ていきたいし、聴いていきたいって改めて思いました。本当に素敵なアルバムを世に生み出してくれて、ありがとうございました。
コロナの影響もあって、時間的な余裕があったからなのかもしれませんが、楽器の音色のチョイスも抜群、演奏方法も各楽曲の世界観に沿っていて、よほど吟味して作り上げたのだなーって感じます。それでいてシンプルなロックサウンドで、ね。
「ひみつスタジオ」全13曲の感想、これにて終了ですが、実はもうあとアルバム未収録の2曲っていうのがありまして。それは、シングルでリリースされた「美しい鰭」とカップリングになった2曲。「祈りはきっと」と「アケホノ」。この2曲も、とてもいい曲なので是非、シングルを購入して、またはデジタル・ダウンロードして聴いて頂くか、或いはサブスクなどでね、聴いて頂けたなら、と思います。(しかし私は、スピッツの販売促進部の人?広報担当?かね・・・笑)
ではでは、またです。
最後に動画で1曲。曲があったほうが楽しいもんね。「1987→」を。