エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベルです
大エジプト博物館の開館が待たれますが、
エジプトに初めて出来た博物館、それはムハンマド・アリーがつくったものでした。
それが地下鉄アタバ駅上に位置するアズバキーヤ公園のそばにあったそう!!
よーし、行ってみよう
公園は現在工事中で入口が閉じられていたので、
グルっと回り、目星をつけていた建物の入口前へ。
開いていなくて出直し
これこれ!
目星をつけていた建物はフェンシングのスポーツクラブでした。
これ元博物館だったんじゃないのかなぁ
時間を確認して夜に再訪
にこやかに迎えてくださった
こちらに長く務めるマネージャーに話を伺うと1891年に出来た建物だそうで、
ムハンマド・アリーがつくった博物館の話に首をかしげ、
『そんな話は聞いたことがないよ』
ここはイスマイール(ムハンマド・アリーの孫)によってつくられたと
聞いたと思ったけど、その年にはすでに亡くなっていて、タウフィークの治世でした。
ファルーク(イスマイールの孫)が定期的に通う場所だったようです。
最初に見せてくれたのが電気がつかないバルコニー部分でした。
壁にムハンマド・アリー朝の紋章を探したけど、なんだか違うような。
建物に戻り、鍵を開けてくれた部屋は入ると古いにおいがしました
まさか、こんな部屋を見られるとは思ってもみなかったので、
キュンキュンしました
ファルークがシタデルの武器博物館から
こちらへ移動させたという古い武器の数々
武器そばの壁に飾られていたのは、1920年と1924年の夏季オリンピックで、
エジプト代表として参加したアハマド・ハサネィーンでした。
奥に見える赤い椅子の中にファルークが座っていた席を教えてくれました。
このクラブにいたファルークの写真などが見れると聞いていたのですが、
それらが保管されている戸棚の鍵がないらしく。。。見れませんでした
話を一通り、聞いて、あとは道場?の見学へ
歴史を感じさせます
フェンシングのキャプテンがこのクラブで撮られたという
ファルークの写真を見せてくれました。
16歳で王位を継ぐ前でしょうか。
三日月に星が三つのムハンマド・アリー朝の国旗に
フェンシングの3種の剣
フルーレ・エペ・サーブルなのかな
今夏フェンシング世界選手権がカイロで開かれていたのですね。
そして、日本人が初メダルを獲得って知りませんでした
銀メダルを受賞された見延和靖さん
おめでとうございます
この建物の存在はずっと知っていたけど、
ムハンマド・アリーがつくった元博物館かも!と思わなければ
訪問することもなかった建物だったので、そこで子孫たちの話が出てきて
得した気分でした
結局、博物館はどこにあったのかまったくわかりませんでしたが、
ムハンマド・アリーによって、1835年に古美術品の輸出を防ぐ法令が設けられ、
その結果、カイロ最初の博物館がアズバキーヤに設立。
遺跡から出土したものはすべてこちらへ送るよう通達されたそうです。
当時、どれくらいの規模の博物館だっだのでしょうか。