私は自他ともに認める超ラフマニノフマニアですが、悲しいことにラフマニノフは技術的に弾ける曲があまりありません。
そんな私の数少ないラフマニノフレパートリーの一つが
Op. 3「幻想的小品集」の中の「エレジー」
コロナでロックダウンになっている時に練習したきりだったので、ちょっと前に師匠とのレッスン前の弾き合いで弾いてみました。これが、またしてもそれから2週間後の師匠のミニコンサートプログラムとして盗まれてしまい、私の演奏から数週間後に師匠の演奏を聴かされることになります。もうこのサイクル慣れてきました。
さて、この曲の中間部、譜面にPiu vivoとあり、多くの奏者が前半の泣きの部分と比べて速く弾くのですが(私もここは速めに弾いていた)、師匠はここをあえてテンポを落として、たっぷり聴かせるように弾いていました。
演奏後になぜその部分を遅く弾いたのか?という話になった時に
「この音楽は、幸せな時が短すぎる。なぜだと思う?」
と、師匠に問いかけられました。
私が「幸せな時はいつだって短いものだと思う」と言うと、
「思い出としては短いかもしれないけれど、実際に幸せな時間にいる場合は意外と時間の経過はゆっくりだと僕は思うね。」
と師匠。
「なぜ、彼(ラフマニノフ)はこの幸せな時をこんなに短くしたのだろう?」
と悩める師匠。そして、
「まだ若いからだと思うんだ。この時、ラフマニノフは若干19歳。19歳に心が蕩けるような幸せがわかると思う?」
と真剣に聞かれましても。。。。何とお答えしたものか。。。
19歳が語る、悲哀と幸福。
どうなんだろう。。。
とはいえ、私は、この部分は「思い出、短く儚く、でもキラキラ輝く結晶のような幸せな時間」なのではないかと思うのですが、この日は最後まで師匠とは折り合いませんでした。
※ ラフマニノフ本人が弾いているというこの演奏。結構譜面とは違います。
※ このガブリロフの解釈も私はとても好きです。