2023年5月14日(日)の最後、二番目の訪問地は Silió。Iglesia de San Facundo y San Primitivo です。
ここSilióは、2023年春🌸の旅行の最後の地です。
ここは、教会の内外に非凡な彫刻が集まっています。中でも私が心を奪われたのは外観で、後陣の窓の装飾です。
教会は、聖ミサのために開きます。
私は教会の中を見学することをあきらめていました。でも、教会の外側を見学していたとき、そこで「日曜13:00聖ミサ」という掲示を見ました。その掲示がずっと頭から離れませんでした。そして、もしかしたら帰国する前に教会の中を見られるかもしれない、と考えてスケジュールを再調整したのです。
私はこの教会に2回行きました。5月1日と5月14日です。最初に行った5月1日12:30頃は外観だけ見学しました。教会の中を見学できた5月14日の訪問として書きますが、外観の写真の多くは5月1日12:30頃に撮影したものです。
目次
1. Silió へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観 .
4-1. 二つの水盤と石棺 .
4-2. 内戦の爪痕 .
4-3. 内陣と後陣の柱頭 .
5. 南側外観 .
5-1. 南扉口 .
6. 東側外観.
6-1. 内陣南の持ち送り.
6-2. 後陣の持ち送り . .
6-3. 内陣北の持ち送り .
6-4. 後陣の柱頭 .
6-5. 後陣の窓 .
〜2023年春🌸の旅行の終わりに〜 ..
1. Silió へ
夫と私はサン・パンタレオン・デ・ロサ(San Pantaleón de Losa)から、北西に約95km、100分ほど運転して、小さな村に着きました。12:15頃のことです。
私はサン・パンタレオン・デ・ロサ(San Pantaleón de Losa)の北東にあるビルバオ(Bilbao)から帰国します。だから、逆方向に大きく回り道。でも、もしかしたら教会の中が見られるかもしれないので、決断しました。
教会が開いてたら、いいな。
開いてる!
2. 概要
現地には案内板が見当たりませんでした。Románico Digital による概要です。自動翻訳(DeepL)に助けてもらいながら、私が一部を抜粋して太字で和訳します。
Iguña に San Facundo y San Primitivo に捧げられた修道院があったという最初の記述は、Iguña にはこの名前の修道院は他にないため必然的に Silió となるのだが、1068年の文書である。
もとは修道院でした。
(…)これまで後陣内部の彫刻について述べてきたことはすべて、同じ工房、あるいは同じ巨匠によって手がけられた様式を備えており、その個性は Pujayo に完全な痕跡を残している。その外壁の柱頭は、Iguña の親方の作品と特徴が完全に一致している。
Pujayo 教会の献堂は1132年です。この教会も12世紀前半の建築でしょう。
ロマネスク様式として保存されているのは、後陣(外側と内側)、南扉口と西扉口(これには若干の疑問がある)、17~18世紀の聖具室の内部に保護されていた二重アーチだけである。
この後も、Románico Digital を引用するときは太字で書きます。
3. 平面図
現地には平面図が見当たりませんでした。Románico Digital による平面図です。東が右です。
さっそく、見学です。
4. 内観
私は、教会の中を見られる喜びで震えながら、静かに教会の中に入りました。
教会の中には、母親と小さなかわいらしい淑女が2人いました。私は彼女たちに挨拶しました。
4-1. 二つの水盤と石棺
南扉口から入り、まず目に入るのは二つの水盤と石棺の蓋です。
二つの水盤はロマネスクかもしれませんが、石棺の蓋は15世紀末のものです。石棺の蓋に碑文があり、1492年と書いてあるのだそうです。
4-2. 内戦の爪痕
身廊で東を向きました。
わお。
でも、近づいてよく見ると、ほとんどの柱頭彫刻が、割れています。
おそらくロマネスク様式の石組みが耐え忍び、後陣のすべての内部アーケードに影響を与えた最も大きな被害かつ説明し難い攻撃は内戦中の放火である。これにより柱頭の大部分が燃え、ひびが入り、それらの解釈はほとんど不可能になった。説明できたであろういくつかの図像様式や場面を永遠に私たちから奪ってしまったのである。
なんと、スペイン内戦(1936年〜1939年)で失われたのです。後陣だけではありません。内陣の勝利アーチの柱頭も壊れています。
4-3. 内陣と後陣の柱頭
勝利アーチと後陣の三つの窓にも柱頭がありますが、詳細は割愛します。
内陣と後陣には連続する九つの盲アーチがあって、8個の柱頭があります。
8個の柱頭を向かって左から順にみます。
柱頭1は、6人の人物です。謎めいた図像です。
Museo Etnográfico de Cantabria 所蔵とされる古い写真では、3番目の人物は右手にオリファント(象牙製の角笛)を持っていたようであり、4番目の人物は胸の上に置いた右手に球状の物体を押し当て、人差し指を空に向けつつ、左腕も上げていた。
柱頭2は、3人の人物です。さらに謎めいた図像です。3人とも、片手に短剣を持ち、もう一方の手に何かを持っていたようです。
柱頭3は、4頭のライオンと2人の人物だと思います。2人の人物は片手を挙げ、もう一方の手を股間に当てています。柱頭の中央には祝福する手が描かれています。
柱頭4はタウ十字の杖を持つ天使だけがはっきりと残っています。柱頭5は植物模様です。
柱頭6は松ぼっくり、柱頭7は6羽のペリカンです。
柱頭8は6人の男性です。2人ずつ3対になって、何かを表しているのでしょうが、よく分かりません。
謎めいた柱頭彫刻が多くて、とても興味深いです。
5. 南側外観
外に出て、南側をみます。
5-1. 南扉口
植物模様が並びます。
簡素な装飾がとても美しいです。
6. 東側外観
東側に行きます。
内陣と後陣には、23個の持ち送りがあります。
6-1. 内陣南の持ち送り
内陣南には5個の持ち送りがあります。
1: 獰猛そうな動物の頭、2: 四重のカヴェット(四分円の形をしたモールディング)、3: 動物の頭、だと思います。
4: 裸の女性、5: 座る人物、だと思います。
6-2. 後陣の持ち送り
後陣には13個の持ち送りがあります。
1: 大きな渦巻き、2: 男性の頭、3: ウマの頭、だと思います。
4: 三つの渦巻き、5: 二つの曲がった円筒形、6: 頭を怪物に飲み込まれた人、だと思います。
7: 四重のカヴェット(四分円の形をしたモールディング)、8: 手、9: 葉に包まれた丸い果実のような形、10: 重なり合う2匹のヘビ、だと思います。
11: 円筒形、12: ハープ奏者、13: 樽を背負う男性、だと思います。
6-3. 内陣北の持ち送り
内陣北には5個の持ち送りがあります。
1: ヒツジの頭、2: 背中を見せて顔を左に向ける四足獣、3: 背中を見せるブタ、4: タウ十字の杖を持ち座る男性、5: 頭を下に向けるブタ、だと思います。
6-4. 後陣の柱頭
後陣の柱頭をみます。4個あります。
1: 葉に包まれた丸い果実のような形、2: 噛みつき合うライオン、3: 一対のペリカン、4: 植物、だと思います。
6-5. 後陣の窓
後陣には窓が3個あります。私が特に心を奪われたものです。
おそらく、Silió の親方たちが最も関心を寄せ、完璧主義的なセンスを発揮した場所は、後陣の窓の外側であろう。三つの美しい開口部は、実に丹念に装飾され、スペイン・ロマネスクの最も非凡な集合体の一つであると考えることができるが、その理由は、保存状態の良さだけでなく、そのスタイルと作業方法において、惰性的な作品の低俗さや田舎臭さから切り離されているからであり、 彼らがどこから来たのか、何をもたらしたのかは我々に示されないが、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を通じ、クリュニーのインスピレーションを受け、そして何よりも Navarra のサンチョ3世(Sancho III)とその子孫がクリュニー大修道院長たちと友好的な関係を築いたことを通じて、フランスの流行を取り入れた、我々が「dinástico(王朝的)」と呼ぶロマネスクの実践者たちに、時期的にも技術的にも非常に近い存在であったことは間違いないであろう。スペインのロマネスク、特に初期のカスティーリャ様式は、これらCastilla、León、Navarra の王たち(フェルナンド1世(Fernando I)、ラミロ1世(Ramiro I)、アルフォンソ6世(Alfonso VI)、ウラカ(Urraca))に多くを負っている。
ブルゴーニュ地方がロマネスクに与えた影響の大きさを実感します。
まず、後陣の三つの窓のうち、南の窓をみます。
向かって左の柱頭:2人の聖職者と2人の労働者だと思います。聖職者の1人は右手で祝福しています。2人の労働者は竿を担いで何かを運んでいます。
向かって右の柱頭:4人の聖職者だと思います。
次に、中央の窓をみます。
向かって左の柱頭:7人の人面と松ぼっくりだと思います。
向かって右の柱頭:葉に包まれた丸い果実のような形です。
最後に、北の窓をみます。
向かって左の柱頭:向かい合う2頭のライオン、二つの動物の顔、一つの人面、だと思います。
向かって右の柱頭:3匹のサルと二つの動物の顔、だと思います。サルたちは、あんぐりと口を開けています。とても印象的な柱頭です。
Iglesia de San Facundo y San Primitivo。教会の内外に非凡な彫刻が集まっています。中でも私が心を奪われたのは外観で、後陣の窓の装飾です。
〜2023年春🌸の旅行の終わりに〜
Silió を最後に、バスク州、カンタブリア州、カスティーリャ・イ・レオン州を巡る旅は終了しました。
Silió を見学した後にビルバオ(Bilbao)に移動して、翌朝に帰国便に搭乗しました。
夏にしか開けないと言われたり(Bareyoなど複数)、月に一度の聖ミサの時にしか開けないと言われたり(Retortillo)、メールに返信がなかったり、電話がつながらなかったり。。。私は、旅の計画の段階では苦労しました。でも、中を見学したかった教会を全て訪問することができました。たくさんの方々のご厚意のおかげです。
4月26日から19日間で82か所を巡りました。どれも、鮮やかに心に残っています。
読んでくださり、ありがとうございました。
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