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80歳台の母親がアルコール依存になった日記

高齢者のアルコール依存について

母の暴走 ふたたび(__;)

少しでも、悩んでいる方のお役に立てるのなら。。。とブログを始めました。

アルコール依存に気付くきっかけについてはこちら。

maittaq.hatenablog.com

母親のアルコール依存に気付いてから、思った以上に色々な事が起こり、たった数日で、私は根を上げました。

半年経った今でも、相変わらず、母親のことを考えると気が滅入ります。

 

 

心療内科受診

初診

先月から母は心療内科に通い始めました。

初診の際に先生が「あなたは病気ではないよ」と言ったと聞き、

「アルコール依存は病気じゃないの?」と疑問に思い、翌日先生と直接お話をしました。

先生曰く、

「今後も続けて通院してもらうために、今日は病気じゃないよ、という意味で言った。」

とのこと。

先生から「少し現金を持たせてはどうか?」とのお話しがありましたが、

「お酒を飲んでしまうと、今の施設にいられなくなるので困ります。」と答えたところ、

「それは困るね。」とおっしゃっていました。

再診

その2週間後、母は再診に行ったそうで、先生から私に直接電話をいただきました。

そこでまた「少し現金を持たせてみない?」と言われ、同じように「施設にいられなくなるのは困る」とお話ししたところ、

「じゃ、私から施設に話してみてもダメかな?」と言われ、

「とりあえず、しばらく考えさせて欲しい」と答えて電話を切りました。

 

その後ケアマネージャーとも話しをしましたが、まだ結論はでていません。

 

住所変更

母が自分の住所を施設の住所に変更したと、娘から聞きました。

住所変更をしたので、健康保険証が施設に届き、本人が持っているということです。

その時は「なんでわざわざ住所変更したんだろ?」と軽く考えていましたが、段々とその理由が分かってきました。

通帳・キャッシュカード再発行

なんとかお金を持ちたいと考えた母は、市の福祉課に電話をして、

「娘に通帳と印鑑を取り上げられて、お金も持たせてもらえないのだけど、どうしたらいいか?」と聞いたそうです。

福祉課の担当者は、

「それなら再発行してもらったらどうですか?」とアドバイスをした。。。

とその電話を切った後に、ケアマネージャーに連絡が入ったそうです。

この一言のおかげで、母は銀行まで行って、再発行の手続をしたのですが、手続に必要な書類が、元の住所(私の家)に届き、その時は書類を渡さなかったので、再発行は出来ませんでした。

 

住所変更をした理由

しばらくして、銀行からの書類は、口座の住所変更をすれば、直接母の手元に届くようになる。。。ってことに気付きました。

A信金からの電話

今朝、信金から電話があり、母が窓口に来て「お金を下ろしたい」と言って、なかなか帰ってもらえないというのです。

結局1時間半粘って、結局は通帳もキャッシュカードも持っていない(私が持っている)のでお金を下ろすことも、通帳・キャッシュカードの再発行をすることも出来ずに帰ったそうです。

でも、今度、母が必要書類を揃えて窓口に行けば、対応せざるを得ないとのことでした。

 

B銀行に問合せ

母が実際に口座の住所変更をしたのか、B銀行に問い合わせましたが、教えてもらうことは出来ませんでした。

 

まとめ

結局のところ、市役所福祉課担当者がアドバイスをしてしまったことが、現在の状況を招いているのかと思うと「結果的にケアマネージャーに連絡するなら、どうしてアドバイスをする前に連絡をしてくれなかったのか?」と怒りがこみ上げてきます。

でも、その担当者に文句を言ったところで、なんの改善にもならず、ただ謝罪されたところで意味も無いし。

結果として、母がお金を持って、

  • またお酒を飲んでしまうこと。
  • それによって施設にいられなくなってしまうこと。

を考えると本当に悩ましいです。

 

私自身、A信金からの電話受けて以降、仕事は手に付かず、動機が収まらず、手が震えて字が書けなくなりました。

ケアマネージャーからは入院していた病院に対応方法を相談してみると連絡がありました。

絶対的な解決策があるとは思えないけど、いくらかでも心穏やかになれたらいいなぁ。。。と思っています。

 

毎日色々な事が起きて、心が折れそうになるけど、乗り切っていきましょうね。←と、自分に言ってみる^_^;

 

 

 

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漫画【健康で文化的な最低限度の生活】5巻~6巻 アルコール依存

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母親のアルコール依存に気付いてから、思った以上に色々な事が起こり、たった数日で、私は根を上げました。

半年経った今でも、相変わらず、母親のことを考えると気が滅入ります。

 

母が入院していた病院のソーシャルワーカーさんが貸して下さった【健康で文化的な最低限度の生活】という漫画を読みました。

 

 

昨年吉岡里帆さん主演でテレビドラマもやっていましたよね。ドラマは全部見たのだけれど、アルコール依存についてやっていたかな?と。。。調べてみたら、第8話で扱っていました。

正直、アルコール依存なんて他人事だったので、記憶にないのかもしれません。

 

この中でも、

  • アルコール依存は否定する病
  • 本人が自覚することが大切
  • 自助会への参加が大切

であると書いてありました。

 

母は今日、退院後初めて心療内科を受診しているはず。。。

どうして「はず」なのかというと、母は「私に知られると、違う病院に無理矢理連れて行かれるから、私には絶対に知られたくない!」と言ったそうで、ケアマネージャーと相談しつつ、施設に病院の送迎をお願いしました。

もう戻っているはずだけど、どうだったんでしょうか。。。

 

毎日色々な事が起きて、心が折れそうになるけど、乗り切っていきましょうね。←と、自分に言ってみる^_^;

 

 

 

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厚生労働省監修 依存症啓発漫画【私の夫は「アル中」ですか?】

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母親のアルコール依存に気付いてから、思った以上に色々な事が起こり、たった数日で、私は根を上げました。

半年経った今でも、相変わらず、母親のことを考えると気が滅入ります。

 

先日、厚生労働省監修の依存症啓発漫画があることを知り、全10巻一気読みしました。

 

 

私の夫は「アル中」ですか?

この漫画は、大学時代から交際していた男性と結婚し、その夫のアルコール依存に気付いた女性の話しです。

漫画を描いた三森みきさん自身の依存症体験も番外編に描かれています。

読んでいると共感して辛くなることもありましたが、私は、「とにかく断酒会に行ってみよう」と思う事が出来ました。

www.jiji.com

 

断酒会

調べてみると、県内にもいくつかの断酒会があり、家の近くでも開催していることが分かりました。

参考までに全日本断酒連盟のリンクを張っておきます。

www.dansyu-renmei.or.jp

 

毎日色々な事が起きて、心が折れそうになるけど、乗り切っていきましょうね。←と、自分に言ってみる^_^;

 

 

 

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母親のアルコール依存に気付いてから入院するまで その1

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母親のアルコール依存に気付いてから、思った以上に色々な事が起こり、たった数日で、私は根を上げました。

半年経った今でも、相変わらず、母親のことを考えると気が滅入ります。

 

 

12月26日 診療所へ

 

アルコール依存に気付いた翌日(12/26)、母親に頼まれて家から車で10分程度のところにある内科の診療所へ行きました。

失禁時に着ていた物は着替えたはずだけど、お風呂に入ろうとしないので、まだかなりニオイのする、傍目には十分酔っ払いの母親を車に乗せて診療所に行きました。

診療所の名前が分からなかったので、診療時間を確認することが出来ず、駐車場で2時間ほど待つことになりました。

その間、母親は「ちょっと○○さんの家に行って来る」と言って車を下りようとしたけど、なんとか引き留めて診療開始を待ちました。

診察の時、私も一緒に入り、現在の状況を先生に話したところ、

「もう年末なので、年明けにアルコール依存の対応をしてくれる病院を紹介しましょう」と言ってくれました。

そして母親には、

「とりあえず、お酒やめないとね」と。

それに対して母親は、

「やだ、先生、ちょっと飲み過ぎただけですよ。やめる気ならいつでもやめられるから大丈夫です。」「なんで、先生、今夜はチューハイ1本だけ飲ませて下さいよ」だって(゚Д゚)

もうこういうこと自体おかしい。。。まぁ、先生は適当にあしらって、精神安定剤を処方していただき、この日の診療は終わりました。

 

彼氏に報告

診察を受けた診療所のすぐ近くに母親がお付き合いをしている○○さんの家があることを知り、今後の事もあるので話しをしに立ち寄りました。お会いするのはこの時が初めてです。

とても温厚な男性で、事情を話して、一緒に出掛けた際もお酒を飲ませないようにお願いしました。もともと、この男性は母親に「お酒は飲み過ぎちゃダメだよ」と言っていたらしいです。

まだ傍目に酔っ払いの母親は、クネクネしながら、「またどこか連れて行って下さいね」と言ったら、○○さんは「そうだね。今はお風呂が工事中だから、工事が終わったら行きましょう」と返事をしていました。

帰り道、「なんであんなことを○○さんに言うのよ!お酒は飲まないって約束してたのにさぁ!」と文句を言われました。が、そんなこと言われてもねぇ。。。大体、約束破ったのがいけないんじゃないの?って思いましたけどね。言ってもどうせ聞かないので、声にはしていません。

 

現金とカードを取り上げる

受診も済んだところで、母親のバッグから現金(小銭も全て)とキャッシュカード、Nanacoカード、そして免許証を取り上げました。

それ以降、散々大声で文句を言っていたけど、その夜は大人しく眠ったようです。

 

12月27日 外出

トイレに行く以外は部屋から出て来なかった母親が、午後4時半頃に出掛け、5時半ころに帰って来たら、缶チューハイを持っていました。すかさず取り上げ、玄関で騒ぐ母親を残して、キッチンシンクに流しました。

その後しばらく文句を言っていたものの、部屋に入り、6時頃になってまた出掛けて行ったので、今度は後を付いていきました。

家から一番近いローソンに行き、缶酎ハイを3本を手に持ち、レジに向かって行ったので、レジの担当者に、「この人はアルコール依存なので、今後は一切アルコール類を販売しないで下さい。」とお願いし、母が手に持っていた缶チューハイは冷蔵庫に戻しました。

ローソンを出たところで母親は「なんでそんなことをするんだよ!なんの権利があるんだよ!ふざけんじゃないよ!」と興奮して手に握っていた500円玉を道路にたたきつけて、さっさと歩き出しました。考えてみれば、この頃から言葉遣いがどんどん悪くなっていった気がします。

私はすかさず500円玉を拾い、母親の後を追いました。しばらくして母親が「お金拾ったの?」と聞くので「拾っていない」と答えました。

どうしてお金を持っているんだ?

母親のバッグから現金もキャッシュカードも取り上げたのに、どうしてお金をもっているんだろう?って考えたら、母親はだらしないから、部屋のあっちこっちに小銭が落ちている?置いてある?んだってことに気付きました。

再度ローソンへ

7時頃になったら「やっぱり500円玉がもったいないから、またローソンに行きたい」と言うので、再度ローソンへ。

リポビタンDが欲しいというので、母親が500円玉を探している間に購入。レジの担当者が「店長にも話しておきました」と言っていました。ありがとう!!!

結局500円玉はみつかるはずもなく(私が拾ったから)、家に戻りました。

 

民生委員さんに連絡

日中、段々手に負えなくなってきた母親をどうしたらいいのか?って考えていたら、以前声を掛けていただいた民生委員さんを思い出しました。

その頃、母親は元気に飛び回っていたので、ただご挨拶をした程度だったのだけど。。。ネットで検索をしたら、この地区には男性と女性の民生委員さんがいることが分かり、先にお会いした人かどうかは分からないけど、ひとまず女性の民生委員さんに電話をして、状況を話したところ、

「どこに相談したらいいのか調べるので、明日また電話を下さい」ということでした。

 

正直なところ、とにかく、何かアドバイスが欲しかったのだけど、

「あなたのしたことは間違っていないから」とだけ言われただけでした。

  

 次回は、12月28日からのことを書きます。

 

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母親のアルコール依存に気付くきっかけ

母親のことを考えると気が滅入ってしまうので、ずっと書かずにいたけど、私が思っていたよりもずっとずっと大変な事態であることが分かりました。

少しでも、悩んでいる方のお役に立てるのなら。。。と続きを書くことにしました。

アルコール依存に気付く前の母親についてはこちら。

maittaq.hatenablog.com

 

今回は母親がアルコール依存になったきっかけを書く予定でしたが特定出来ないので、私自身が母親がアルコール依存であることに気付いたきっかけについて書きたいと思います。

 

 

お酒が好き?

 

母親は以前水商売をしていたこともあり、お酒が大好きでした。前回も書いた通り、勤めていた頃は毎週末飲みに出掛けていました。

私が成人した後、一度だけ両親とお酒を飲みに行ったことがあります。まぁ、父親はそれほど飲むことはなく、私は運転手なので一滴も飲まない状態で、母親だけが、

  • 飲み始めたら一気に酔っ払う
  • ハシゴをしたがる
  • 暴言を吐く
  • 後部座席から運転している私の首を絞める

なんてことがあり、それ以降二度と一緒に飲みに行くことはありませんでした。

 

食道癌とお酒

5年前、母親が食道癌と診断される前から、飲酒量も飲みに行く機会も減っていました。

まだ癌であることを知らなかったので「やっぱりある程度歳をとると飲めなくなるんだなぁ」と思っていました。

しばらくして食道癌であることを母親から聞き、それでもステージ1で手術をすれば大丈夫だと。。。それでも母は「もしかしたら死ぬかもしれない」という不安はあったようで、入院前日まで大量に食べ続け、身長150cmもないのに、体重は73kgになっていたそうです。

手術は無事成功し、5年間の経過観察が終わる、その直前にアルコール依存が発覚しました。

アルコール依存発覚!

家から出ない日々

母は毎日のように自分で運転して出掛け、帰ってくるのは18時過ぎだったのが、昨年11月頃からずっと家にいることが多くなり、理由を聞いたら、

「いつも一緒に出掛けている人達と出掛けたバスツアーで迷惑を掛けてしまい、合わせる顔がない」

と言っていました。相手から電話が来ても出ないので、

「そんなことをしたら、すごく失礼だから、ちゃんと会って謝ればいいんじゃないの?」

と言ったら、しばらくして出掛けるようになりました。

考えてみれば、この頃にアルコールの摂取量が増えたのではないかと思っています。

車のバッテリーが上がった?

忘れもしない、12月25日クリスマスの夕方。

いつもは自分で鍵を開けて家に入ってくる母親がインターホンを鳴らすので出てみると、

「車のバッテリーが上がっちゃったの」と。

「今日はもう帰って来られたんだから、明日出掛ける時にエンジンがかからなかったら、ケーブルつないでエンジン掛けてあげるよ。鍵はどうしたの?」と聞くと、

「鍵が取れないのよ~」と言うので、車まで行ってみると、ギアがバックに入ったまま、サイドブレーキも引いてありませんでした。この状態を見て、さすがにもう運転は無理だろうと判断して、鍵は私が預かることにしました。

起きられないから起こして

車の鍵を取り上げたことで、母親はずっと文句を言っていましたが、しばらくして自分の部屋に入っていきました。

母親は1階の6帖と4.5帖の2部屋を使っていて、私は基本的に中に入ることはありません。以前、母親が入口の扉を開けっぱなしにしていた時に中が見え、床の上に色々な物が散乱し、歩くのにも困るような【汚部屋】状態だったけど「自分で片付けるから大丈夫だよ」と言うので、私は手も口も出しませんでした。

部屋に入ってしばらくしたら、

「起きられないから起こして」と母親の部屋の隣のリビングでテレビを見ていた私を大声で呼びました。「起きられないってなんだ?」と思いながら、母親の6帖の部屋に入って行くと、以前見たのと同じ、いや、それ以上に散らかっていて、4.5帖の部屋に入って愕然としました。

床を埋め尽くすほどの缶酎ハイの空き缶が転がっていたのです。その空き缶の隙間、床の上に母親が寝転がっていて「起こしてよ~」と言うのです。電気を付けてなかったので、よく見えない中を背中から抱きかかえて起こそうとしても、本人は立とうとするわけでもなく、ただ「起こして~」と言うだけです。

もう少し力を入れようとしたら、足が濡れたのに気付きましたが、そのままなんとか起こし、母は立とうとしないので、とりあえずベッドに寝かしました。

その時の私は「歳をとるとこんな風になっちゃうんだ」と、この状態をただ老人だから仕方ないんだろうと思っていました。

 

 

その後、また同じように「起こしてよ~」と呼ぶので、今度は電気を付けて部屋に入りました。

そして抱きかかえると、今度は手が濡れて、そこで気付きました、母親は失禁していたのです。はいていたジーパンを上まで上げることも出来ず、腿の途中に引っ掛かっている状態で床に転がっていたのです。

それでもなんとかまたベッドに寝かせ、部屋を見渡すと、床に転がった缶酎ハイの空き缶だけじゃなく、ダンボールにも山盛り空き缶が入っていて、中身の入った缶酎ハイもありました。

ここで初めて、この状態は酒のせいだ。。。と気付きました。

 

まずは酒をとりあげる

今の状態の元凶が酒だと気付いた私は、部屋にあった缶酎ハイは全て開けて流し、お金を持っていればお酒を買うだろうと、お金も取り上げました。

なのに、翌日(12月26日)リビングにいたら「あ~」といかにも美味しそうな声がするので、母親の部屋に入っていったら、なんと!どぶろくをラッパ飲みしていました。

あまりの状況に愕然としつつも、母親の手からどぶろくを取り上げて流してしまいました。

母親は起きている間中、大声で「金返せよ~」と叫び続けていたけど、午後からは部屋を出てトイレに行っていました。ということは、からだのどこかが悪い訳ではなく、昨夜帰宅してからホンの3~4時間で立ち上がれないほど酔っ払っていたということです。

 

アルコール依存について調べた

ネットで調べたら、ずっとお酒を飲み続ける状態を【連酒】というそうで、しらふに戻ることがないのだそうです。

まさか、母親はそんな状態で車を運転してたのか?と思うと、ものすごく怖くなりました。どうしてもっと早く気付かなかったのか?と自分を責めもしたし、事故を起こさず、なんとか人を巻き込まずに済んだことに心底ホッとしました。

 

まずは、よく観察して、ただお酒を楽しんでいるのか、依存傾向にあるのかを、身近な人が見分ける必要があると痛感しました。

 

 次回は、その後について書きます。

 

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アルコール依存に気付くまでの母親について

現在80歳台の母親がアルコール依存になって、今までの事を色々思い出しました。

 

私が子供頃、親は割烹旅館をやっていて、母親は女将、父親は板前でした。

板前さんが作り、仲居さんが用意してくれる料理を、いつも一人で食べて育ちました。

小学校低学年の頃、割烹旅館を閉め、両親は別に暮らすようになり、祖父母が私の世話をしてくれました。

 

別に暮らしている間、父親はタクシー運転手、母親はバーのホステスをしていました。

 

小学校高学年になる頃、私はまた両親と暮らし始め、母は専業主婦になり、父はタクシー運転手を続けていました。

父親はとても厳格な人でしたが、私が言うことを聞かないと、殴ることもありました。

 

中学の頃から、母親は食品会社に勤めるようになり、お酒を飲みに行くことが徐々に増えていきました。

高校の受験勉強をしている時に、酔っ払って「もう勉強なんかやめなさいよ」と何度も言われたことがあり、変な親だと思っていました。

希望校に無事合格したものの、母親が飲み行く回数はどんどん増え、気が付くと玄関で寝ていることが何度もありました。

母の酔っ払いっぷりを見て、私はどんどん酔っ払いがキライになっていきました。自分が飲みに行く時は、私に特上のお寿司の出前を頼んでくれていたので、お寿司が届くと、「今夜はまた酔っ払って帰ってくるのか」と気分が落ち込みました。

でも、酒を飲んでいない時は、普通の母親だったと思っています。

 

私は21歳で結婚し、22歳で出産、23歳で中古の二世帯住宅を購入し、夫は次男でしたし、私は一人っ子だったので、子育てのこともあって、当たり前のように私の両親と同居を始めました。

その後、31歳で離婚しました。夫が酒を飲んで暴れるようになったことも離婚の理由でしたが、結局は性格の不一致だったと思います。

 

しばらくして、母親が多額の借金をしていることが分かり、詳細は分かりませんが、結局自己破産しました。

 

その後、私は32歳で二世帯住宅を新築しました。当初、住宅ローンは親が半分払ってくれる約束でしたが、結局一度も払ってもらうことはなく、毎月25万円の住宅ローンを必死で支払い続けました。

15年前に肝臓癌で父が他界し、その直後から母親に毎月10万から15万のお金を要求されるようになりました。その理由は、父親が急に亡くなり、全然お金を残してくれなかったから、葬儀費用等の支払があると。。。

最初は頑張って毎月25万支払い、その上母親にお金を渡していたけれど、リーマンショックで仕事が激減し、どうにもならなくなって自宅を手放しました。

 

一年ほど母親とは別居していました。母親は年金暮らしでしたが、贅沢をしなければ十分な受給額だと思っていました。それでも毎月のようにお金を要求され続けました。私が渡さなければ、娘(母にとっては孫)に借りていたようです。

7年ほど前から今の家でまた同居を始め、5年ほど前には母親が食道癌になって手術をしました。

手術前は70kg以上あった体重が40kg程度に痩せはしたものの、体調に問題なく、高齢者が無料では入れるお風呂で知り合った人達と仲良くなり、朝から晩まで出掛ける日々が続きました。

この間も、毎月のように「お金貸してよ」と言われ続けましたが、2年くらい前からお金を渡すのをやめました。生活費は全て私が出しているのに、いくらなんでもおかしいと思ったのです。

しばらくして、お風呂で知り合った3歳ほど年上の男性とお付き合いするようになったようです。私には何も話さなかったけど、娘が教えてくれました。その男性から畑を借り、野菜作りを始めました。

その後も、野菜の苗を買ってお金が無くなったとか、色々言い訳してはお金をくれと言ってきたけど、もうお金は渡しませんでした。

昨年辺りからお金を貸してくれと言われることがなくなり、ようやくお金の管理が出来るようになったのか。。。と思っていましたが、つい最近になって知ったのだけど、その男性に小遣いをもらっていたようです。

認知症予防のために、この家に引っ越して来てから夕食づくりは母親に任せてきたのだけど、今年に入った頃から、夕飯の時間に間に合わないからとスーパーの惣菜を買ってくることが増え、たまに料理するととんでもない味のものが出てくるようになりました。一度はどう考えても尋常じゃない、まるでシンナーか除光液でも入れたようなサラダが出てきたこともありました。

それからしばらくして、「料理をすると気持ち悪くなるから、もう作りたくない」と言われ、私の夕飯は私が作る事になり、母は自分で作って食べることになりました。気持ち悪くなるから作りたくないって言うのにおかしいな。。。と思ったけど、もう母の料理は食べたくなかったので、逆に救われた気がしました。

ここまでが、アルコール依存になる前の母です。こうやって書くと、ひどい母親だけど、これまでは同居していることをなんとも思っていませんでした。私しか子供がいないわけだし、何かあれば施設に入るから。。。と言われていたので。

次回は、アルコール依存になるきっかけを書きます。

 

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