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日々のスピリチュアル日記です。

内観・謙遜を隠れ箕にした自分への欺き

ある動画の一言に引っ掛かり、癒しが必要な件が浮上した話。

カトリックで
「常に謙遜で在りなさい」
「受け取るより与える者になりなさい」
「神の前に我を捨てる事で、教えの深く迄知る事が出来る。」
これは、中世のカトリック修道者が学んだ事。

これに近い事を学んで従ったと思い込んでいた。
数人で何かを分ける時、残った物で良しとし、譲る事が常となっていた自分。
謙虚な教えに従ったつもりで、時には残り物が開けてみると身に余る物だった事もあった。
そして神の采配と喜んで、益々残り物を受け入れた。

しかし、これは「信仰の謙遜」を隠れ箕に、末娘の私の悪癖を隠し持ち続けてしまう事にもなっていたらしい。

たまたま見た動画から聞こえた話が起点となって、何かが自分の流れを悪くしていると祈り、ブロック解除の動画に行き着き、出た予想外の悪癖だった。

自分で言うのも何だが、私のヒ―リングやブロック解除中の反応は激しく、体がうねり呼吸が激しくなり、唸り声を挙げてしまう。
正直、人に見せられるものでは無い。
しかし深いところにある物程この反応で、悪質なものだった。

内容は末っ娘だった為、強い上の兄弟と支配的な母親の前で幼い時から意見や望を口にできず、飲み込んで来て抑えてきた自分の涙や怒りだった。
兄弟が親に交渉して与えられた物は自動的に与えられたが、嫌な物まで受け取らなければならず、訴えても却下されると理解し自己の選択意識を諦めてきた怒りだった。言葉も出たが
「自分の欲しい物を欲しいと言えなかった。押さえ込まれるのが嫌だった」
との内容で子供の頃の記憶が主だった。

大人になってカトリックで学び謙遜なふりをしていたが、その奥には悪癖となった受動的な性格をぐずぐずと隠し持ち、
信仰とは関係の無い場面でも自分を引いてまうブロックを宇宙から指摘されたのだと思う。

ブロック解除後に言動にどう影響が出るのか楽しみと言えば・・楽しみ。

忙しい子育てに難癖を付ける訳にはいかない。
親に完璧を求めるのも理不尽。
「何十年過ぎてもこんな事もありますよ。」に留め参考まで。
今の私に必要で浮上した事に過ぎない。

また、この手の事は内観で自己が癒すべき事であり、他責に走れば負の思考で終わってしまう。
「気付かされて良かった。感謝」
そんなところ。

今もロザリオに助けられている。
























日々のスピリチュアル日記です。

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