「覚えているか」と問い質されたのだと思う。私の外れた思考はバレバレなんだと。
《自分が戦うべき心》
・嫉妬
・疑念
・恐れ
・こう思われたいという邪念
・自分が他者よりも優れ、特別であると間違った自尊心と願望
・本来恐れではない事を、他者の意見で恐れる弱さ
・未来ばかりで今を見る事が出来ない恐れの抱き方
・己れを信じようとする事は、疑念「信じる信じない」は無い。己れは己れである。
《偽物の真理を打ち砕く事》
・自分が他者より優れていると言う間違い
・それぞれの特性を認め、他者の特性も認める
これは、社会という枠を外してそうある様に努めよという事なのだと思う。
私は、何割も出来ていない。
やはり、社会での人の在り方が主眼となっていて人を選り分けている。
忘れていたし、理解も出来ていないし、身についてもおらず、久々の痛い言葉だと思った。
昨年、お世話になっている須佐之男命様から頂いた言葉だった。
(記録にブレがあるかも知れないが、内容は大体伝わるかと思う。)
最後のそれぞれの特性は、発達障害に関しても言える事と思う。
はい、そう生きています・・などと言える日が私に来るのか自信はないが、忘れずに読み返し問いながら生きたいと思う。
出雲大社謝恩詞↓
祝詞は意味が十分解らずに奏上しがちだが、出雲大社の謝恩詞は解りやすく短いので神道を身近に感じられると思う。
説明文にもあるが《ことだま》であるとすれば、流し聞きは日々の生活に神々様を招く近道になるかも知れない。
参考迄に↓資料のコピー
祭神の変化
出雲国造新任時に朝廷で奏上する出雲国造神賀詞では「大穴持命(大国主大神)」「杵築宮(出雲大社)に静まり坐しき」と記載があるので、この儀式を行っていた平安時代前期までの祭神は大国主神であった[10]。
やがて、神仏習合の影響下で鎌倉時代から天台宗の鰐淵寺と関係が深まり、鰐淵寺は杵築大社(出雲大社)の神宮寺も兼ねた。鰐淵寺を中心とした縁起(中世出雲神話)では、出雲の国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていた[10][11](本来国引きは八束水臣津野命)ことから、中世のある時期から17世紀まで祭神が素戔嗚尊[注 2]であった。14世紀「当社大明神は天照大御神之弟、素戔嗚尊也。八又の大蛇を割き、凶徒を射ち国域の太平を築く。」と杵築大社(出雲大社)の由来が記され、1666年(寛文6年)毛利綱広が寄進した銅鳥居に刻まれた銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記された。