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出雲国風土記 出雲郡 『加毛利社(加毛利神社)』

2023年12月20日水曜日

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出雲国風土記 出雲郡 『加毛利社(加毛利神社)』

出雲市斐川町に鎮座する加毛利神社は、出雲国風土記に加毛利社と記載されてあり、 御祭神に、高津日高彦火火出見命、豊玉毘賣命、天津日高日子波瀲武鵜草葺不合命をお祀りする古社です。
豊玉毘売命が鵜草葺不合命を出産の時、周りに多くのカニが集まったため、側に使えていた神がカニを掃いて命をお守りしたことから、蟹守神社、神守神社、加毛利神社となったと言われています。

拝 殿

加毛利神社 拝殿

加毛利神社 扁額

本 殿

加毛利神社 本殿右

加毛利神社 本殿裏

加毛利神社 本殿左

御祭神
主 祭 神  天津日高彦火火出見命
配 祀 神  豊玉毘賣命 天津日高日子波瀲武鵜草葺不合命

御由緒

加毛利神社 御由緒

加毛利神社略記(大社造り) 
◎祭神 主祭神 天津日高彦火火出見命 
    配祀神 豊玉毘賣命 天津日高日子波瀲武鵜草葺不合命 
◎由緒
 カニモリ(蟹守)の子孫神が、天照大御神の御孫、ヒコホホデノミコト、 お后のトヨタマヒメノミコト、その御子ウガヤフキアエズノミコトの三柱神の御分霊を奉じ、日向の宮崎神宮から船で当地の船子山に着き、宮崎大明神としてお祭りしたのが始まりである。
 創立年代は不詳であるが、出雲国風土記(七三三年)記載の神祇官社 延喜式神名帳登載社であり、古くから地元の守り神として崇敬護持 されて来た由緒深い神社である。現存する最古の棟札は、寛文五年 (一六六五) 松平直政公の時代に行われた修繕の際のものである。

◎神社名および地名の由来
 豊玉毘賣命が鵜草葺不合命をご出産の時、周りに多くのカニが集まったため、側に仕えていた神がカニを掃いて命をお守りした。命は大層 お喜びになり、その神に「蟹守」の名を与えられた。後にカニモリ→カモン (掃部)→カモリ(加毛利)→神守、と変わり今日に至っている。 

※御崎さん(境内神域)
 祭神 玉依毘賣命(豊玉毘賣命の妹神) 
 御本殿の左側にあり、氏子有志によって勧請されている。

※鳥居のないお宮
 加毛利神社には鳥居がない。これは、御祭神が天つ神であり、国つ神の大国主命を祭る出雲大社より大きい鳥居でなくてはならないということから建てられていない。従って氏子の家も門を造らないという。 

※大歳神社 祭神 大歳神(素佐之男命の御子・国の神) 
 以前は、加毛利神社の境内にあったが、現在は「上(かみ)の宮」 として、川田の丘に移し祭られている。

祭日
加毛利神社 十月十九日
大歳神社  四月 九日
社頭

境内社  

御由緒にある御崎さんか...?しかし、御由緒には本殿の左側と書かれているが...こちらは拝殿の向かって右側にある、とすれば...!

加毛利神社 境内社

御崎さん

本殿の左側にある注連縄で囲まれたこっちが御崎さんかも...!

加毛利神社 御崎さん

御神木

加毛利神社 御神木

手水舎

加毛利神社 手水舎

加毛利神社 手水

注連柱

加毛利神社 拝殿と注連柱

加毛利神社 注連柱

参 道

加毛利神社 参道

加毛利神社 参道

社号標

加毛利神社 社号標

田園空間博物館標柱

加毛利神社 田園空間博物館標柱

加毛利神社  出雲国風土記に「加毛利社」と記されている
主祭神 天津日高彦火火出見命
由 緒 社伝によると、ご祭神の御子ウガヤヒキアエズノミコトがお生まれになったとき、産殿に沢山の蟹が寄って来たので、命の家来が毎日掃き除いた。これを蟹守りといわれるようになり、後世それが掃部という宮中の高い役名となった。
 その蟹守りの後裔が、主祭神と后神、御子神の三柱の神を船に乗せてはるばる出雲のこの地に来て住んだ。そしてここに三神を祀り加毛利社と称した、とある。

???

神社の前に面白い木があったので...!

加毛利神社 木

地 図

問い合わせ

所在地  島根県出雲市斐川町神氷1779
TEL  0853-72-2010
HP  --
Email  --
駐車場  JR直江駅から車で5分位です。
 「メゾンFine」の向かい側にある、オートバイ訓練施設の緑のフェンスの
 ところから入れば神社前まで行けます。
 参道の階段脇にスロープから境内に入れば車を停められる広い場所があります。
御朱印  有無は不明

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