西南アフリカ5ヶ国11日間⑩
<コットンツリー>
9日目11/15 フリータウンの街散策
タクシーはバイクやトゥクトゥクが主流
日本人旅行者が最も訪れる事の少ない国々
でした。私達の14名のメンバーはいい方
ばかりで面白い旅行でした。みんな100国以上
180国未満のベテランばかりで経験談を
聞けるので楽しかったです。
シエラレオネのコットンツリーの見学
コットンツリーはシエラレオネの首都
フリータウンの歴史的なシンボル
アメリカ人のグループがこの地に到着した際に
この木の下で自由の民として新たな生活
を始めることを祈ったとされており国を象徴
する木となりました。しかし2023年5月24日
暴風雨で倒壊・根は残りました。そして今
この木は1792年からフリータウンに根を
下ろしています。18世紀末にイギリスの
奴隷解放運動により,ジャマイカやアメリカ
などの英語圏の解放された奴隷たちが移住し
つくられたのがフリータウンの街で
それを見守ってきたのがこの木です。
1991年から10年も続いた内戦による影響は
大きく,貧しい国になってしまい,今では
平和な国に生まれ変わっている。
奴隷貿易で開放された奴隷の居住地となった
「フリータウン」のシンボルの高さ70mの
コットンツリーは見る方向によってはいい感じ
フリータウンの歴史は奴隷制度の廃止と深く
結びついていて1787年英国の博愛主義者達が
ロンドンや他の地域で解放された元奴隷達
の為に,アフリカに新たな定住地を設立する事
を決定した。この計画はシエラレオネ計画と
呼ばれフリータウンは中心地として選ばれて
いる。1792年にはノバスコシア(カナダ)
から400人以上の元奴隷たちが到着し,
フリータウンの基礎を築いた。その後,
ジャマイカやアメリカなど,他の英語圏からも
解放された奴隷たちが移住していてこの多様な
背景を持つ人々がフリータウンの独特の文化と
社会を形成していった。1808年フリータウンは
イギリス直轄植民地となり,西アフリカにおける
イギリスの拠点として発展している。この時期
フリータウンは奴隷貿易撲滅の為の重要な基地と
しても機能しイギリス海軍が解放した奴隷達の
多くがここに定住した。(記事抜粋)
1961年にシエラレオネが独立を果たすと
フリータウンは新生国家の首都として重要な
役割を担う事になっています。1991年から
2002年まで続いた内戦によりフリータウンは
大きな打撃を受けた。多くの建物が破壊され
インフラも深刻なダメージを受けています。
内戦終結後,フリータウンは復興の道を歩み
始めた。現在では西アフリカにおける重要な
港湾都市として,政治・経済の中心地として
機能している。フリータウンの歴史は奴隷制度
からの解放と自由の象徴としてフリータウン
(自由の街)と名付けられた。※記事抜粋
コットンツリーの前の政府の建物
全て観光が終わりバスで高台にある
ホテルに戻ります。17:51
バスからの車窓 学校の帰り
貧困層も高台に村を作って住んでる。
↓貧困層の住居
海が見えてきました。ホテルもすぐ
ホテル着・部屋からの大西洋の海
夕食はホテルで飲み物も置いてある
ものは飲み放題の最後の晩餐でした。
10日目11/16 3:00ホテル出発
船で45分で空港に着き8:35分の飛行機に
乗る為,朝ホテルは3時出発.朝は沢山入った
ボックス・ランチが出る。でも食べず
ドライバーにあげると喜んでくれた。
5:33空港に着きチェツクイン
エチオピア航空でワガドゥグ経由
アジスアベバへ 2時間15分
アジズアベバ着.航空機を乗り継ぎ
ソウル経由で成田へ 11時間10分
エチオピアのアジスアベバの空港
機内食チキンかビーフでチキン
機内食 チキンかフィッシュ
ソウル経由は一度ソウルで機内から
出て,空港ゲートで待ち・入り直す。
11日目11/17 成田着19:30
お疲れ様でした。
次の海外を探しているのですがなかなか
決まらず,今決まっているのはパキスタン
16日間だけ。2回目のピースボードの
世界一周も行く予定で全額払い込んで
いたのですが中国人が4割前後乗る様に
なったのでキャンセルしました。