皆さま

 

私たちの「意識」が肉体の死後も存続するのか?という命題は、古くから宗教や思想の中で取り上げられてきたテーマであり、物質主義科学の唱える「死は、人間の人格の究極的消滅である」とする見解とは真っ向から対立するものです。

 

 

とはいうものの、物理学や工学系の研究者の中には、死が存在の完全な終わりではなく、意識や情報が何らかの形で保存され続けるという仮説を提唱している人もいます。

 

今回は、「意識」が物質的基盤を越えて存続しうるという科学者の言説について検討を加えます。

 

 

 

 

このような言説について、深掘りをしてみました。

 

この記事では、物理学者が提唱する「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」について述べています。この仮説は、量子物理学の理論に基づき、宇宙に普遍的に存在する「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場が存在し、この場には宇宙の全ての出来事の情報が「波動情報」として記録されていると主張しています。

 

「量子真空(quantum vacuum)」とは、量子力学において真空状態を意味する用語ですが、古典的な「何もない空間」とは異なり、エネルギーが完全にゼロではない状態を指します。これを理解するには、量子力学の基礎的な概念に触れる必要があります。

量子真空には「ゼロポイントエネルギー」が存在します。これは、全てのエネルギーが取り去られても、なお微弱なエネルギーが残ることを意味します。この現象は、量子力学の不確定性原理に基づいています。不確定性原理により、物質やエネルギーは決して完全に静止することができず、わずかな揺らぎ(フラクチュエーション)が常に存在します。

量子真空では「仮想粒子」と呼ばれる粒子が、一瞬現れては消えるという現象が起きています。これも不確定性原理の影響で、真空といえども完全な空虚ではなく、エネルギーの揺らぎにより粒子が生成・消滅しているのです。この現象は、例えば「カシミール効果」として観測されています。

量子力学では、すべての物理現象は「場(フィールド)」によって説明されます。真空であっても、さまざまな場(例えば電磁場や重力場)が存在し、それらのエネルギーが量子真空を満たしています。


「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」は、量子真空の中に宇宙全体の情報が蓄積されているという考え方で、量子真空が単なるエネルギーの場ではなく、宇宙のすべての情報(過去、現在、未来)が波動として記録されているとされます。

この仮説によれば、死後の意識や記憶も物理的な肉体と共に消滅するのではなく、量子真空内のゼロポイントフィールドに「波動情報」として保存される可能性があると主張されています。この考えは、死後も何らかの形で存在が続くという観点を、科学的に説明しようとする試みです。


量子真空の概念は、現在の物理学においても基本的な理論であり、例えば量子電磁力学(QED)量子色力学(QCD)などで重要な役割を果たしています。特に、量子場理論においては、真空エネルギーの揺らぎが宇宙の進化や素粒子の相互作用に関与していると考えられています。

ただし、ゼロ・ポイント・フィールド仮説が示唆するような、宇宙全体の情報が量子真空に保存されるという考え方は、物理学的には非常に仮説的であり、実証するための実験的な手段はまだ確立されていません。

 

 

このような言説を唱えている科学者にアーヴィン・ラズロ(Ervin László)がいます。

 

ラズロは、ハンガリー出身の哲学者であり、科学者としても広く知られています。彼の主な研究分野はシステム理論や科学と哲学の融合で、特に「ゼロポイントフィールド仮説」や「量子真空」に基づく宇宙の統一理論を提唱しています。

 

ラズロは「アカシャ・フィールド理論」としても知られる仮説を発展させ、宇宙のすべての情報が記録される場として量子真空を重要視しています。

 

 

 

 

ラズロは、インド哲学における「アカシャ」の概念を取り入れて、宇宙全体の情報が一元的に記録されるフィールドとして「アカシャ・フィールド」を提唱しました。

 

「アカシャ」はサンスクリット語で「天空」や「宇宙空間」を意味し、宇宙のすべての出来事や記憶が蓄積される場所とされてきました。ラズロはこの古代の概念を量子物理学に結びつけ、量子真空がこの「アカシャ」の役割を果たしていると考えました。

ラズロの理論では、量子真空は単なる無の空間ではなく、宇宙のすべての物理的、精神的な情報が蓄積された「情報の場」として機能しています。

 

彼はこの場を「ゼロポイントフィールド」として定義し、宇宙のあらゆる出来事が波動情報としてこのフィールドに保存されていると主張しています。このフィールドは、宇宙の進化や人間の意識、生命の起源に関わる重要な要素として位置づけられています。

また、ラズロは、宇宙がホログラフィックな性質を持つと考えています。つまり、宇宙の各部分は全体を反映し、全体の情報が部分に含まれているという理論です。

 

このホログラフィックな特性により、ゼロポイントフィールドはあらゆる出来事の情報を波動として記録しており、その情報は未来の出来事や進化にも影響を与えるとされます。この点で、彼の理論は、すべての現象が相互に関連し、全体の調和の中で進化しているとする一種の統一的な宇宙論を提供しています。

ラズロは特に人間の意識や精神に関しても、ゼロポイントフィールドが重要な役割を果たすと考えています。彼は、意識も物理的なプロセスの産物ではなく、ゼロポイントフィールドに繋がっていると主張しています。

 

すなわち、個々の人間の経験や記憶、思考は、このフィールドに波動として記録され、他者や宇宙全体とつながっているという考え方です。このため、ラズロの理論は、個々の意識が全体の意識の一部であり、死後もその意識はフィールド内で存在し続けるという視点を提供しています。

 

 

 

 

アーヴィン・ラズロのゼロポイントフィールド仮説は、量子真空のエネルギーを単なる物理現象として捉えるのではなく、宇宙のすべての情報が記録される場として捉えています。この場は、過去、現在、未来の出来事を保存し、意識や生命の進化にも深く関わるものであるとされています。ラズロの理論は、科学とスピリチュアルな思想を統合し、宇宙の本質を新たな視点から探求するものであり、その意味で多くの人々にとって興味深いものとなっています。

 

阿頼耶識の概念とのリンク

物理学におけるゼロポイントフィールド仮説と仏教の阿頼耶識の概念は、どちらも意識や情報の持続性、そして存在そのものの本質に関わる深いテーマを扱っており、これらは死生観に対して独自の視点を提供します。

ゼロポイントフィールド仮説は、物理学の分野で「量子真空」における基底エネルギー場として提唱されており、これがすべての情報を保存しているとする考えです。この仮説を死生観に関連付けると、次のような特徴が見えてきます。

1.情報の不滅性……ゼロポイントフィールドには、宇宙のあらゆる出来事が波動情報として蓄積され、過去から現在、さらには未来に至るまで、すべてが存在しているとされます。これを意識に結びつけると、個々の人間の意識や経験もこの場に保存され、死後も情報やエネルギーとして存在し続ける可能性が示唆されます。

2.エネルギーと生命の循環……量子物理学的な視点からは、死は物質的な身体の消滅に過ぎず、エネルギーとしての存在は宇宙のゼロポイントフィールドに溶け込み、永続的に何らかの形で循環すると考えることができます。つまり、死後も個々の存在はエネルギーや情報として宇宙の一部となり、完全な「消失」ではないとする死生観です。

3.魂の永続性……この仮説が示唆するのは、生命の物質的な側面が終わった後も、意識や経験が消えるわけではなく、宇宙の基底的な場に「記録」され続けるという考えです。物理学的な観点から見ても、死は完全な無ではなく、新たな形で存在が保持されるとする見解が含まれています。

仏教、特に唯識論における阿頼耶識の概念は、死生観に深い影響を与えています。阿頼耶識は、心の深層における意識の貯蔵庫として、輪廻転生やカルマと密接に結びついています。

1.輪廻とカルマの連続性……仏教では、死後において個々の生命の意識が完全に消滅するわけではなく、阿頼耶識に蓄積された「カルマの種子」によって、新たな生命が生まれ変わるとされます。このカルマの種子は、過去の行為や思考の結果として蓄積され、次の生に影響を与えるため、死は単なる終わりではなく、新たな存在の始まりとして位置づけられます。

2.意識の持続と浄化……阿頼耶識は、個々の意識が死後も続く基盤を提供しますが、この意識は浄化を経て最終的には解脱(悟り)に至ることが目指されます。死後に意識が輪廻のサイクルを続ける間、阿頼耶識に蓄積された業が次の生に影響を与え、浄化が進むことで最終的に輪廻の苦しみから解放されると考えられます。

3.無我の死生観……仏教では、個人としての「我」は実体ではなく、五蘊(ごうん:色、受、想、行、識)の集まりに過ぎないとされています。阿頼耶識に蓄えられたカルマが新たな存在を生み出すとしても、個人としての「私」が再び生まれ変わるわけではないため、死後も個別の「私」が続くという感覚は錯覚だとされます。この意味で、仏教の死生観は、個の消滅とともに輪廻の中にあるすべての存在が無限に続くという広がりを持っています。


さらに、ゼロポイントフィールド仮説と仏教の阿頼耶識には、次のような共通点が見られ、それが死生観においても興味深い一致を示します。

1.情報・意識の持続……ゼロポイントフィールドは、宇宙全体の出来事や情報を波動として蓄積する場であり、阿頼耶識も同様に、個々の生命や意識の体験やカルマを種子として蓄える場とされています。どちらの概念も、死が存在の完全な終わりではなく、意識や情報が何らかの形で保存され続けるという見方を提供しています。

2.無常と変化の認識……仏教の阿頼耶識において、意識は輪廻を通じて変化し、浄化される過程を辿ります。これと同様に、ゼロポイントフィールド仮説でも、情報は波動として存在し、変化を続けるエネルギーの一部であると見なされます。両者ともに、存在や意識は不変ではなく、常に変化し続けるものだという無常観を共有しています。

3.個別意識の超越……仏教の無我の教えに基づくと、死後に個別の「私」という存在は再び現れるわけではなく、カルマや業が新たな生命に影響を与えるに過ぎません。これに対し、ゼロポイントフィールド仮説においても、死後に個別の意識がそのまま保たれるのではなく、宇宙のエネルギーや情報の一部として溶け込むと解釈することができます。どちらの視点でも、死後の世界では、個人としての存在は溶解し、より大きな全体の一部として存在し続けるという超個的な見方が含まれます。

 

現代では、阿頼耶識の概念が無意識や潜在意識の研究と結びつけられ、心理学や精神分析、さらには量子物理学などとの比較の対象となることが多くあります。特に、深層心理学では、阿頼耶識はフロイトの無意識、あるいはユングの集合的無意識と比較されることがあります。

 

以上のことから、ゼロポイントフィールド仮説と仏教の阿頼耶識の両者が示す死生観は、死が存在の絶対的な終わりではなく、新たな形で続くものであるという点で一致しています。

ゼロポイントフィールド仮説は、死後も情報や意識が宇宙の基底場に保存される可能性を示唆し、物理的な視点からも存在が消えるわけではないという希望を与えます。
 

仏教の阿頼耶識は、カルマの法則に基づいて輪廻転生が続き、悟りに至るまで意識が浄化され続けると説き、生命の循環と解放に向かうプロセスを示します。

これらの考え方は、死を恐れるのではなく、存在が変化し続ける一つの局面と捉え、個別の意識が宇宙や生命全体の流れに組み込まれていく過程として理解することを促しています。

 

 

 

このような言説は、当ブログでも再々取り上げ、巫師の立場からの視点も提供してきました。

 

 

 

 

 

当ブログでは、意識や情報が単に個別の存在に閉じ込められるのではなく、広大な「場」の一部として存在し続けるという視点を共有しています。

 

今回取り上げた理論は、意識や情報が個体を超えて、宇宙や無意識の深層において広がり、永続的に存在し続けるという死生観を支持していると言えます。

 

 

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