19世紀末に英国の行政官ウィリアム・ピッピがインド北部で釈尊の骨を発見し、その一部がタイから日本に贈られて、日泰寺の創建につながったという話を以前にしました。
この骨の真偽を探るナショナルグラフィックのドキュメンタリー番組を観たのですが、そこにシャカ族の子孫であるという僧侶が登場し、驚きました(タイトルは「Bones Of The Buddha」で、ユーチューブで観ることができます。僧侶が登場するのは番組開始から約30分後です)。
というのは、シャカ族は滅亡したものと思っていたからです。
釈尊ことゴータマ・シッダッタがシャカ族の王子だったことは有名ですが、釈尊の出家後、シャカ族が隣の大国コーサラ国に攻められて皆殺しにされた話は、あまり知られていないかもしれません。
それは、コーサラ国のヴィドゥーダバ王によるシャカ族への復讐でした。
話は少しさかのぼります。
コーサラ国のパセーナディ王はシャカ族から妃を迎えようとしますが、血統を尊ぶシャカ族はこれをいったん断り、やむなく大臣のマハーナーマンが下女に産ませた娘を、身分を偽って差し出します。
そうして生まれたのがヴィドゥーダバでした。
8歳になったヴィドゥーダは弓術を学ぶためにシャカ族の地を訪ね、自分が周りの人間から蔑みの目で見られていることに気付きます。
ある日、王族だけが座ることを許される椅子に腰かけたところ、「そこは下女の子どもが座る席ではない」といって捕らえられ、地面に叩きつけられます。
ヴィドゥーダバが自分の出自を知り、シャカ族への復讐を誓った瞬間でした。
王位に就いたヴィドゥーダは早速、軍を率いてシャカ族を攻めようとしますが、釈尊が枯れ木の下に座って道を塞ぎ、ヴィドゥーダは断念します。
ヴィドゥーダは二度、三度と釈尊に押しとどめられますが、ついに四度目、進軍の末にシャカ族を滅ぼします。
「仏の顔も三度まで」ということわざは、この出来事に由来しているといわれます。
釈尊には出家前に妻のヤショーダラーとの間にもうけたラーフラという息子がいますが、ラーフラは少年時代に出家しおり、そこで血縁は途絶えています(釈尊はシャカ族が将来、コーサラ国に滅ぼされることを知っており、息子の命を救うために出家させたという説もあります)。
さて、ドキュメンタリー番組に登場した僧侶は果たして本当にシャカ族の子孫なのでしょうか。
その容貌は良くも悪くも私が想像していた釈尊とは異なるものでした。