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The かぼちゃワイン:“元祖デカ女”エル誕生の裏側 作者・三浦みつるインタビュー

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 高身長女性を指す“デカ女”がSNSをにぎわせている。“元祖デカ女”と話題になっているのが、1981~84年に「週刊少年マガジン」(講談社)で連載された三浦みつるさんのマンガ「The かぼちゃワイン」のヒロインのエルこと朝丘夏美だ。再び大きな注目を集めている「The かぼちゃワイン」を含む三浦さんの初の画集「LOVELY GIRLS MIURA MITSURU ILLUSTRATIONS」(立東舎)が8月23日に発売される。令和の時代も愛され続けるエルはいかにして誕生したのか? 三浦さんに聞いた。

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 ◇男の子は女の子に母性を求める

 三浦さんは1954年、横浜市本牧生まれ。1972年、高校在学中に「週刊少年ジャンプ」(集英社)でヤングジャンプ賞応募作「世にも不幸な男の話」でデビューした。1976年から約2年間、手塚治虫のアシスタントを務め、1978年から「週刊少年マガジン」を中心に連載を開始。代表作「The かぼちゃワイン」が1982年にテレビアニメ化され、2001年には「コンビにまりあ」がテレビドラマ化された。ほかに「ココナッツAve.」「レンズマン」「愛しゃるリターン」など。

 「The かぼちゃワイン」は、サンシャイン学園を舞台に、硬派を自称する小柄な青葉春助、大柄な美少女・エルの“SLコンビ”の恋を描いたラブコメディー。ヒロイン・朝丘夏美は高身長、“Lサイズ”なことからエルと呼ばれている。可愛く、グラマラス、優しく、春助に対して一途なエルは少年たちの心を掴み、人気キャラクターとなった。連載当時、高身長のヒロインが人気だったわけではなく、三浦さんによると「『かぼちゃワイン』の前にも連載していましたが、高身長の女性を描いていたわけではありません」といい、新鮮に見えたのかもしれない。

 三浦さんは「“デカ女”という表現はあまりよくないかもしれませんね……」と前置きした上で、エルの誕生の裏側を語る。

 「当時、『マガジン』では『翔んだカップル』『胸さわぎの放課後』という恋愛マンガが連載していました。何とか差別化したかった。昔からノミの夫婦なんて言葉もありますし、男の子は女の子に母性を求めているんじゃないかと思ったんです。実は、そうやって順序立てて考えたキャラクターではなく、感覚的に作ったものなんですけど。当時は全く意識していなかったけど『三つ目がとおる』の写楽と和登サンもそうなんですよね。手塚先生のアシスタントをしていたので、お風呂場のシーンなんかを覚えていますし」

 エルのモデルは、宮崎美子さんと言われている。宮崎さんは、1980年に“女子大生モデル”として週刊誌の表紙を飾ったことが話題になり、同年に放送されたミノルタ(現コニカミノルタ)のカメラのCMも鮮烈な印象を残した。

 「イメージがないとできませんし、何かないか?となり、宮崎さんのあのCMが真っ先に思い浮かびました。木陰でキツそうにジーパンを脱ぎ、水着になるシーンが何となく頭の中にイメージとしてありました」

 80sリバイバル(1980年代のリバイバル)を経た、令和の時代でもエルは色あせない魅力がある。ファッションも連載当時の流行が反映されており、新鮮に見える。「週刊少年マガジン」での連載を終えた後も続編が制作され、2015年にはクラウドファンディングによって「バック・トゥ・The かぼちゃワイン」が出版されるなど愛され続けている。

 「当時は『anan』『CanCam』を見ながら描いていました。手塚先生は『想像で描かないでください』とおっしゃっていました。想像で描いたらバレるんです。手塚プロでアシスタントをやっていた頃から、持ち込みをずっと見てもらっていた編集者の栗原(良幸)さんに『キャラクターが全て』と言われたことがありました。最初は全然分からなくてね。マンガはやっぱり構成、あらすじ、シチュエーションでどんどん引っ張っていくと思っていましたから。ただ、今になってキャラクターの大切さを実感しています。エルのことを覚えてもらえているのは、やっぱりキャラクターが生きているってことなんです。ストーリーは覚えていないけど、キャラクターは覚えてもらっていますし」

 ◇手塚タッチからの脱却

 「The かぼちゃワイン」は三浦さんにとって代表作となった。その後もSF、時代劇などさまざまなマンガを描いてきた。

 「『かぼちゃワイン』を超える作品を描こうとしてきたけど、結果的に代表作になった。もっとヒットするものを描こうとしたんです。それがモチベーションになっていたところもあります。もちろんそれだけじゃないですけどね。その時に、自分が一番描きたいものを描くことが大前提としてありましたが。手塚先生の影響で、スポーツもの以外は描いているんです。マンガ家はいろいろなジャンルを描けなきゃいけないと思っていて、SF、時代劇、大人向けも含めて描きました。元々、飽きっぽいので、同じものをずっと描くのが苦痛だったこともあります。一応、プロなので、読者、出版社の需要にも応えなきゃいけない。大変だった作品もありますが、結果的にいろいろやってよかったと思っています」

 どの作品もいつの時代も三浦さんが描く女性キャラクターは魅力的だ。画集を見ていると、時代によって変化していることも分かる。女性キャラクターを描く中で「線」を大切にしているという。

 「描いている時は、一番可愛い女性を描いているのですが、画集になって客観的に見直すと、変化していますね。技術的なことで言うと、線、曲線ですね。元々、手塚先生の線は柔らかい。最初は、手塚タッチをまねしていました。ある時、読者の方から『いつまでまねしているんですか』とお手紙をいただきまして。このまま手塚タッチで描いているわけにはいかないと気付かされ、ターニングポイントになりました。どうやったら自分の線を出せるのか?と試行錯誤して、線を細くしたり、わざと硬めに描いたりしていたのですが、結果的にあんまり変わっていないかもしれません」

 ◇引退の理由

 三浦さんにとって師である手塚治虫は特別な存在だ。たくさんのことを学んだ。

 「死ぬまで離れないわけですよ。染み付いてしまっていますから。全然嫌なことではなくて。それがあるから描き続けることができた。原動力の一部になっています。今でも感謝していますし。アシスタントの時は毎日、すごさを感じていました。技術的なものを教えていただいたわけではなく、仕事ぶりを見ているだけだったけど、大切なことを学ばせていただきました。背中を見て、勉強させてもらったんです。一番影響を受けたのは、作品に向かう姿勢です。編集にまねしてはいけないと言われたのは、締め切りへの対応かな。僕は週刊、隔週、月刊と連載があった頃が一番ピークでしたが、それも手塚先生の影響です。プロはとにかくいっぱい仕事をこなさなきゃいけないという。結果的には無理でした。僕はあんなに早く描けないですから」

 三浦さんは2017年末をもってマンガ家、ストーリーマンガの執筆活動を引退した。現在は絵本、イラストなどを描いている。

 「雑誌に掲載するマンガは描いていませんが、イラストは描いています。40歳ちょっと前くらいから絵本をやりたかったんです。ただ、自分は不器用だから、マンガと並行して絵本は描けない。絵本作家になりたい思いがずっとあったけど、還暦になったら絵本にかじを切ろうと思っていました。連載を持ちながら、夜間の絵本の専門学校に通って、勉強しました。きっかけは、シルヴァスタインの『おおきな木』という絵本に出会ったことでした。それまで絵本は幼児向けと思っていたけど、大人も読めるし、可能性があると気付かされました。僕自身が受けた衝撃を誰かにも伝えたい、いつか描きたいという思いがありました。表現方法はマンガとは違いますが、思いを伝えるという意味では共通しているはずです。それに絵本はずっと残りますからね。僕らの世代の感覚だと、マンガは消費されていくものだったんです。今はそんなことないですけどね。死ぬまでに絵本を3冊描きたいという目標を立てています」

 三浦さんは、画業をまとめた画集を見ながら「当時の苦しみを思い出しますね。大体苦しいかな(笑い)。もちろん楽しいこともいっぱいありましたけど」と振り返る。三浦さんの創作活動はまだまだ続く。

 「LOVELY GIRLS MIURA MITSURU ILLUSTRATIONS」は、三浦さんの生誕70年を記念した画集で、250点にもおよぶ貴重な画稿、自作解説、作品リスト、初公開のアイデアノートなどが掲載される。価格は4070円。三浦さんは“手描き”にこだわるマンガ家集団・マンガ☆ハンズの運営にも参画。作品発表やイベント開催など、活発な活動を行っている。

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