韓国の三大新宗教と呼ばれるのは東学系の天道教、朝鮮古来の檀君思想から発生した大倧教、仏教思想を基盤とする円仏教であるが、その中から特に円仏教にスポットをあて、1910年代の発生から今までの軌跡を... more 韓国の三大新宗教と呼ばれるのは東学系の天道教、朝鮮古来の檀君思想から発生した大倧教、仏教思想を基盤とする円仏教であるが、その中から特に円仏教にスポットをあて、1910年代の発生から今までの軌跡をたどり、動乱の韓国社会の中での発達の要因を述べてみたものである。
本稿は先ず李朝仏教史を概観し、李朝末から1945年までの日本と朝鮮半島の仏教交流、総督府の宗教政策等を述べ、次に1970年に妻帯派の太古宗と独身主義の曹渓宗に二分され現在に至っている韓国の仏教事... more 本稿は先ず李朝仏教史を概観し、李朝末から1945年までの日本と朝鮮半島の仏教交流、総督府の宗教政策等を述べ、次に1970年に妻帯派の太古宗と独身主義の曹渓宗に二分され現在に至っている韓国の仏教事情を紹介したものである。
『釈論』の真偽問題及び成立地に関する論文を若干紹介してみた。勿論、これが全てではなく望月氏の論稿のようにタイトルは異なっているが『釈論』の真偽問題及び成立地に言及している論稿もある筈である。とも... more 『釈論』の真偽問題及び成立地に関する論文を若干紹介してみた。勿論、これが全てではなく望月氏の論稿のようにタイトルは異なっているが『釈論』の真偽問題及び成立地に言及している論稿もある筈である。ともかくもこれが全てではないと言うことを念頭に研究を進めて欲しい。またこの問題、『釈論』の真偽問題及び成立地の問題等は真言諸宗の内部で論じられるべき問題である。定説とか不定説とか言う問題ではない。 本雑文では註を省略してある。できれば検索して欲しい。時間的余裕のない人は連絡があれば註を差し上げることとする。
韓国の三大新宗教と呼ばれるのは東学系の天道教、朝鮮古来の檀君思想から発生した大倧教、仏教思想を基盤とする円仏教であるが、その中から特に円仏教にスポットをあて、1910年代の発生から今までの軌跡を... more 韓国の三大新宗教と呼ばれるのは東学系の天道教、朝鮮古来の檀君思想から発生した大倧教、仏教思想を基盤とする円仏教であるが、その中から特に円仏教にスポットをあて、1910年代の発生から今までの軌跡をたどり、動乱の韓国社会の中での発達の要因を述べてみたものである。
本稿は先ず李朝仏教史を概観し、李朝末から1945年までの日本と朝鮮半島の仏教交流、総督府の宗教政策等を述べ、次に1970年に妻帯派の太古宗と独身主義の曹渓宗に二分され現在に至っている韓国の仏教事... more 本稿は先ず李朝仏教史を概観し、李朝末から1945年までの日本と朝鮮半島の仏教交流、総督府の宗教政策等を述べ、次に1970年に妻帯派の太古宗と独身主義の曹渓宗に二分され現在に至っている韓国の仏教事情を紹介したものである。
『釈論』の真偽問題及び成立地に関する論文を若干紹介してみた。勿論、これが全てではなく望月氏の論稿のようにタイトルは異なっているが『釈論』の真偽問題及び成立地に言及している論稿もある筈である。とも... more 『釈論』の真偽問題及び成立地に関する論文を若干紹介してみた。勿論、これが全てではなく望月氏の論稿のようにタイトルは異なっているが『釈論』の真偽問題及び成立地に言及している論稿もある筈である。ともかくもこれが全てではないと言うことを念頭に研究を進めて欲しい。またこの問題、『釈論』の真偽問題及び成立地の問題等は真言諸宗の内部で論じられるべき問題である。定説とか不定説とか言う問題ではない。 本雑文では註を省略してある。できれば検索して欲しい。時間的余裕のない人は連絡があれば註を差し上げることとする。
元暁の現存著述から元暁の思想を整理する手法としては、現存著述の撰述順次を明確にすることが必須であり、撰述順次を明確にすることによって思想の流れを捉えることが出来うるのではないかとして、元暁の現像... more 元暁の現存著述から元暁の思想を整理する手法としては、現存著述の撰述順次を明確にすることが必須であり、撰述順次を明確にすることによって思想の流れを捉えることが出来うるのではないかとして、元暁の現像著述中の新訳と諸経論の引用註疏、そして元暁に関する僧伝類の記載を整理し、そこから現存著述の撰述年次とそれに伴う思想の流れを窺おうとしたもの。
日本仏教に於ける元暁教学の影響を各宗派諸師の元暁著述の引用頻度の整理から探ろうとし、結果、宗派によって時代によって元暁著述の重用度が異なることを指摘したものである。本稿は単なる史料整理であるが、... more 日本仏教に於ける元暁教学の影響を各宗派諸師の元暁著述の引用頻度の整理から探ろうとし、結果、宗派によって時代によって元暁著述の重用度が異なることを指摘したものである。本稿は単なる史料整理であるが、現在、個々の引用を整理しそれ等引用の持つ意味を考察中である。
1989年に発見された『花郎世紀』につづき、1995年に母本『花郎世紀』の存在が韓国で発表された。本稿は新出の史料が偽作または真作にしろ、必ずやその存在意義があるはずであるとし、上記二史料の存在... more 1989年に発見された『花郎世紀』につづき、1995年に母本『花郎世紀』の存在が韓国で発表された。本稿は新出の史料が偽作または真作にしろ、必ずやその存在意義があるはずであるとし、上記二史料の存在意義を問うために、先ずは二史料以外の史料によって円光の記録を整理して史料間の矛盾と限界を指摘し、次に二史料がそれ等の問題に如何なる解答を有しているか述べたものである。尚、1989年『花郎世紀』及び1995年『花郎世紀』の真偽問題に関しては韓国内で決着がついていない状態であるが、各地の研究会で輪読が行われ、また『花郎世紀』に関する研究、及び『花郎世紀』を用いた研究等が発表が多くなってきている。
本稿は「新羅王権と華厳思想」の手法を以て、新羅における華厳思想を含めた全ての仏教思想の受容を『三国史記』と『三国遺事』を中心に、新羅王の出家、新羅支配階級と仏教思想、一般民衆と仏教思想、出家者と... more 本稿は「新羅王権と華厳思想」の手法を以て、新羅における華厳思想を含めた全ての仏教思想の受容を『三国史記』と『三国遺事』を中心に、新羅王の出家、新羅支配階級と仏教思想、一般民衆と仏教思想、出家者と仏教思想と区分して論じ、「新羅王権と仏教思想」を論じる際には『三国史記』や『三国遺事』を始めとする諸史料の性格を把握しながら、支配階級、一般民衆、出家者という三視点からの考察が必須であると論じたものである。
「新羅王権と華厳思想」というテーマを論ずる際に、王権側からの視点だけではなく、出家者及び一般民衆からの視点での考察をも加えて考察する必要があるのではないか、そして今まで新羅仏教史を論ずる際に僧侶... more 「新羅王権と華厳思想」というテーマを論ずる際に、王権側からの視点だけではなく、出家者及び一般民衆からの視点での考察をも加えて考察する必要があるのではないか、そして今まで新羅仏教史を論ずる際に僧侶が撰した『三国遺事』を主として儒者が撰した『三国史記』を従として研究が行われてきたが、逆に『三国史記』を主として『三国遺事』を従とする視点が必要なのではないかという立場から、新羅支配階級の華厳思想の受容、一般民衆及び出家者達の華厳思想の受容を『三国史記』と『三国遺事』を用いて論じ、方法論の提示を試みたもの。
本書は今までの元曉に関する伝記・著述目録・思想研究の成果を綜合し、それら先行研究の限界を確認しながら、韓・中・日三國各時代に於ける諸師の元曉著述の引用の整理という手法を以て、元曉研究の大きな骨組... more 本書は今までの元曉に関する伝記・著述目録・思想研究の成果を綜合し、それら先行研究の限界を確認しながら、韓・中・日三國各時代に於ける諸師の元曉著述の引用の整理という手法を以て、元曉研究の大きな骨組みを作ろうとしたものである。結果として、第二章での伝記類の整理により、韓国では義天、中国では賛寧、そして日本では明恵が元曉認識で重要な役割を担ったことを指摘し、第三章では八世紀の元曉著述の筆写の頻度から、元暁の著述は他に依存することなく、ただそれだけで重んじられていたことを指摘し、次の第四章・五章・六章で八世紀の後半から九世紀以降、元暁の著述を引用している著述は多いものの、元暁の著述を重んじるものは一部の諸師に限定することが可能であり、その一部諸師の影響によって仏教界における元暁の位置が定まったということを指摘した。特に、三国の諸師を中国では澄観・宗密・子珮、韓國では表員・見登、日本では法相宗では善珠、華厳宗では壽霊・凝然・審乗・順高・湛睿・高辨(明恵)、三論宗では願暁、天台宗では最澄・安然、真言宗では頼瑜、浄土宗では法然・良忠というような一部の諸師の元暁観が他の諸師に影響を与え、それが現在まで伝承されてきたということが明らかとなったものである。
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