ものすごく若い会社の後輩、なんと40歳以上も若い後輩から、写真家の奥山由之が監督をした「アット・ザ・ベンチ」という五本からなるオムニバス映画のことを教えてもらったので、昨日から上映が始まった渋谷の宮下公園をのぞむビルの八階にある映画館まで観に行きました。ひとつの、取り壊し目前の、川を望む遊歩道沿いのベンチにやってくる人たちが繰り広げる会話劇で、くすっと笑える楽しい気分になれるのが良いですね。若い人の繰り広げる早口の会話に付いていけない感じになるところがあって、情けないな自分、と思うところもありましたが・・・二編目の冒頭とか。
映画が2時少し過ぎに終わったので、恵比寿の東京都写真美術館までコンパクトデジタルカメラでスナップをしながら歩いてみました。写真美術館では、第21日本の新進写真家展「現在地のまなざし」を見ました。個人の暮らしが社会の縮図となり、社会への興味がコンセプトとなり、いずれなんらかの問題、というか見るものに考えるきっかけを与える・・・「2020年代社会派」か。ソフトにカモフラージュされたようでいて、意外に鋭い彼らの見ている、考えている「今」を見てきました。そんななか太田黒衣美のsun bathは、チューインガムをカットした断片を並べたコラージュのような作品を、眠る猫の毛の上に並べて写真作品にしていたり、他の作家と一線を画して、きわめて小さな自分の世界のなかで楽しいことを探しているように見えて、気持ちよかったな。
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4822.html
昼間は風が強かったけれど、温度は高く、これから冬なのに、まるで冬が終わるころの暖かい日のように感じていました。上記のコンパクトカメラによるスナップの前に、フイルムカメラで写真を撮っていました。36枚撮り終わったところでデジカメに切り替えたのです。やはりコストのことが頭をよぎってしまいました。フイルムをどんどん使うのは金銭的にきついので今日は一本までにしたのです。今日使ったフイルムカメラはライカフレックスSLにレンズはズミクロンR50mmF2。デジカメだと同じ街角スナップでも、行きかう人々に目が行きますが、フイルムのマニュアルカメラだと、街のなかでも「静物」を、たとえばビルの谷間を抜けてきた日の光が照らしているビルのドア、そういうところにレンズを向けてゆっくりと撮りますね。カメラを変えたところで写真は写真を撮る人の癖により決まるから、実はカメラを変えても差がない、という話を聞けばたしかにそういうところはあるぞ、と思います。一方で、カメラを変えるととたんに写真が変わる、ということを読めば、そうだよな!と思いもします。きっとどうにも変えられない部分もあるし、おおいに変わるところもあり、どこを見ているかによるんだろうな。
写真美術館に向かうときに、上の写真の大きなガラス窓に映る西の空の雲をスマホで撮っている人を見かけました。そのときは、なーに撮ってるんだか、ふっ、なんてちょっと皮肉っぽいとでもいうのか、そんな気分で見ていました。だけど帰路に、同じ場所を通ったら、なるほどいいね、と思ってしまい、この写真を撮ったわけです。たまたま人が来たのでちょっとだけ面白くなりました。
夜、テレビで「みんなあなたが好きだった プレーバック 長嶋茂雄の世紀」という番組を観ました。実は私は長嶋の引退セレモニーをリアルタイムでテレビで観たことを覚えています。高校生でした。夕方家に帰ると、テレビでダブルヘッダーの第二試合が終わり、これから長嶋茂雄がピッチャーマウンド付近に立てられたマイクで話をするというところだった。わたしは当時(も今も)アンチジャイアンツで、当時はけっこう熱烈な広島カープファンだったので「我が栄光の巨人軍」などという言い方は、アンチらしく、けっ!などと思ったものですが、だけどその後いまに至るまで、あの日のテレビのことはずーっと覚えていて、やはり人としての長嶋選手には否応なくその魅力に気付いていたに違いないですね。結局は「わたしもあなたが好きだった」ってことになるのかな。これぞアンチの本質ってことか、もっと素直であればいいのにね。あの引退の日の翌日、高校の教室ではその話をする友だちもいたものです。素直に感動した!と言っていた連中には、くだらねえと思ったけれど、そう思うことがティーンエイジの頃の私が表現できる情けない突っ張りというものだったのでしょう。