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牡蠣のカレー報告書

 牡蠣のカレーを食べました。

 開店後40年くらいでしょうか?平塚市のレストランSには、毎年せいぜい二回、少ない年には一回かな、それでもずっと通っています。いつの頃からか、冬のあいだだけ出されるメニュー「牡蠣のカレー」を食べに行くのが自分だけの季節の風物詩のようになりました。1月5日の昼にひとりSを訪ねました。むかしからなにも変わらないのか、むかしよりさらに店内は素っ気なくなっているのか?ただ広いなにも張られていない壁に「季節のカレー 牡蠣のカレー」と書かれた紙が留められています。笑顔のマスターに小声であけましておめでとうございます、とだけ告げ、メニューブックをめくることもなく牡蠣のカレーを注文しました。

 写真を四枚、いちばん上、座った席は南の窓に面していました。窓に貼られたCURRYの切り抜き文字の影がテーブルに落ちていました。福神漬けとラッキョウが出されます。わたしはラッキョウは大好きなので、これほぼ全部食べてしまいます。スープはお店が開店してからずっと同じ味が続いていますね。

 二枚目、ターメリックライスと牡蠣のカレーが運ばれました。シンプルです。牡蠣はカレールウに沈んでいて見えませんね。でもこの置かれた瞬間に漂う牡蠣の香りが素晴らしい。香りはすぐに慣れてしまうので、この最初の香りがいちばんはっきり牡蠣を感じることができるのです。

 三枚目。そこで具の牡蠣が見えるように、スプーンを入れて見ました。なかにはけっこうたくさんの牡蠣がごろごろと入っていますよ。

 四枚目。最初のひとくちふたくちのために牡蠣をひとつかふたつとルウをライスにかけてみました。味覚もやはり最初のひとくちめが一番牡蠣を感じることができました。

 さて、このブログにはこの牡蠣のカレーを食べた日のことが、たぶん複数回、書いてきたと思います。今年もその習慣を守りました。マスターも少し年を取って小さくなった感じがしました。まだまだ続けて欲しいものです。

 なんだかジェイムス・テイラーでも聴きたいな。

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聴きたいな・・・

 

散歩 その他

 年末29日の夜から風邪を引いてずっと家から出ずにおりましたが、昨日の1月2日に、これは四日ぶりということですか、カメラを持って散歩をしてきました。いかにも病み上がりな感じでゆっくりと、自分の体調を推し量るようにして歩いたのですが、それでも、もう少し歩けそうだ・・・と先へ先へと辿るうちに、海まで行きつき、しばらく海沿いを東へ歩き、帰り道には年に数回顔を出すスペシャリティコーヒーのスタンドに寄り、小さな店内のベンチに座って、顔色が悪いと店主に指摘されながら、ゆっくりとコーヒーを飲み、帰ってきました。11時半に家を出て15時半に帰宅しました。歩数がわかるスマートウォッチを忘れていたので、はっきりした歩数はわかりませんが、経験的に11000歩くらいは歩いた、歩いてしまった、と思われます。ちょっと病み上がりには過酷だったでしょうか、帰宅して風呂に入ってから、しばらく昼寝をし、夜には再放送、というかダイジェスト編集してある箱根駅伝往路を見ました。風邪の症状がぶり返したりはしませんでしたが、なーんだかぱっとしない、ため息に覆われているような気分の夜でした。すなわち風邪のあとに体力が戻っていないってことなのでしょう。

 1月3日に、上に書いてきた1月2日に海辺で撮った写真をSDカードから取り込みました。実際の目の前の光景より、砂を明るく補正して、でも一緒に海も明るくなってしまうと、ただ全体が露出オーバーの写真になってしまうので、海だけは一緒に明るくせずに寧ろちょっと暗くしています。ま、そんな画像補正の内情はどうでもよくて、右下に写っている少年がイイ!と思いました。まぁ、いまの世の中ではとくに子供の写真を勝手に扱うのはだめなので、顔にマスクかけてぼかしていますが。この少年は、なんだかおじさんぽいんです。同年代の少年が画面外右側で砂浜に絵をかいたり、波に合わせて前に出たり下がったり遊んでいる子供たちがいましたが、一人ここにこうして立って、手を腰に当てて、じっと海の向こう、水平線の方角を見ているのです。おじさんぽいって書きましたが、それは「ぽい」と感じる典型的なおじさん「像」が頭の中にあるからであって、実際には多くのおじさんも、こんな風な恰好で海をしばらく眺めたりしていません。以前、とある場所で突堤の先で海を眺めてじっとしているおじさんぽいおじさんを見つけましたが、よく見ていたら、海に向かって立ち××んしていました。でも勝手なイメージでは、水平線を眺めながら、なにか哲学的なことや目下の悩みについてを考えているんじゃないか?と思うわけですが、そんなことはまずないですね。彼はいったいなにが気になっているんだろう?もっと具体的で目の前のことだと思いますが・・・。すなわち写真は、というか写真の見方とは、結局、なにかすでに頭のなかにある勝手に作られた自分だけの「辞書」と実景を照らし合わせて「見立てを探す」とか「うまく見立てることができなくて混乱する」などの波が起きるってことが楽しさの一面であって、撮るときからそれが見えているとは限りませんね。この写真に関しては撮るときからかっこいい少年がいるな、と思いましたが。

 1月3日はテレビで箱根駅伝復路をずーっと観てしまいましたね。なに?首位から20分以内にたすきが渡らなかったランナーは繰り上げで走り出してしまうってあれ、たとえば5秒のところまで前のランナーが来ていたらどうするのですかね?なんていう実際には起きなかったことが妙に気になりましたね。その場の担当者の情状酌量に委ねて広い心で寛容に対応して欲しいな、と、起きてないことを考えたりもしました。あ、もちろんレースの展開はちゃんと見ていましたよ。どのチームにも拍手を。

 1月3日、午後2時に近所の神社まで初詣に行きました。曇天。気温6℃。20分並んでお詣りを終え、おみくじを引いて帰ってきました。それからNHKテレビで「最後の授業/みうらじゅん」を見ていました。それで今。

 いかにも休日ですね。

新年、おめでとうございます(風邪ひいてます)

 あけましておめでとうございます。今年が良い一年になりますようお祈り申し上げます。人心にゆとりと思いやりと安心が生まれますように。敵対する心が必要以上に煽られたり、相手の主張に聞き耳を持たずに頑なになったりしませぬよう。SNSに扇動されていないか、自身の足元を見て冷静になりたい。ときに日光東照宮の見猿聞か猿言わ猿がいちばん賢いのではないか?とも思う日々です。この見猿聞か猿言わ猿の本来の意味を調べると「人の弱点を突く人や、うわさに踊らされたり、口の軽い人にはならないように」と言うことだそうで、すなわち、そう言うことです!AIの登場、生成系への発展を経て、人類はあと30年で滅亡するなどという記事の見出しだけ、年末に見掛けました。そんなことにならないためには、踊らされないことですね。AIが、三人いれば文殊の知恵が拡大した82億人いればスーパー文殊の知恵となるのか、噂と扇動と洗脳を加速させる狂気となるのか、そこを決めるのは結局いまの時代の我々なんだと思いますが、どうもなんだか心許ない気がします。

 私事状況ですが、年末ずっとなんとなく風邪気味でしたが29日に妹とお墓参りと遅めの昼食を取ったあとの夜から身体が重くなり、頭痛気味、微熱気味、節々が痛い気味、と言うような気味だらけの不調になりました。そして31日の夕方にはとうとう38℃の発熱。という訳で毎年恒例の元旦に茅ヶ崎海岸に日の出を見に行くことも今年は出来ないわけです。風邪薬を飲んでゴロゴロしています。眠くなれば寝てしまうので、今は元旦の朝の4時台ですが、これは大晦日の8時半に寝たから深夜3時前に起きた、そのまま起きているからです。

 そんなわけでぴかぴかのリアルタイムの正月の写真はないし、撮りにも行けないので、一番最近撮った12月28日の写真です。葉山の少し南、横須賀の秋谷にある立石海岸の駐車場は無料なので良く行ってはぼんやりしたり近場を散歩して写真を撮ることをします。この日は強い風で車にも波飛沫が飛んできました。なので帰り道にスタンドで洗車をしました。写真は波で濡れた窓越しに、やって来ては海を眺めて行く人を撮ったものです。

 昨夜はとうとう一秒たりとも紅白歌合戦を観なかった。

 皆様にとって良き一年になりますように!

 さて、薬を飲んでまた寝ます。

1960年のクリスマス

 1960年、もしかすると61年かもしれませんが、父が私を撮った写真で、うしろにクリスマスツリーがあり、私はなにやらキリンか鹿のように見えるぬいぐるみを持っていて、それがクリスマスプレゼントだったのかもしれない、そういうことから類推するとたぶん25日の朝に撮った写真なのだと思います。もう三才四才の頃の自分についてはなにも覚えていないのですが、それにしてもぬいぐるみが欲しかったのかなぁ?記憶にある範囲では、五才より上かな?ぬいぐるみが好きだったことはなかったと思います。記憶前史ですね。

 子供の頃に、クリスマスには何か買ってもらっていたはずで、たぶん七つか八つまではサンタクロースを信じていたかもしれません。だけどもらったものって大して覚えてないんですよね。もうサンタクロースなんかいないと知ったあとも、欲しいものを買ってもらっていた何年かがありましたが、何を買ってもらったんだろう?唯一覚えているのは、ある年に少年のあいだで流行した乾電池を入れて使うトランシーバーを買ってもらったことです。そのことをよく覚えているのは、近所にも同じクリスマスプレゼントをもらったともだちが、事前に示し合わせたわけではないのに三人か四人いて、25日の午前にはじめてトランシーバーを使ってみたら、混線してともだちの声が聞こえてきたという、ちょと楽しいことが起きたからです。記憶には映像が付きまとうもので、ただテキストが頭に浮かぶわけではないですね。あの混線の朝は晴れていて、私は木造二軒長屋だった家の南に面した庭に立って、トランシーバーを操作している。そういう映像が現れるます。あの木造平屋の二軒長屋には二歳に引っ越してきてそこに住み始めてから15歳まで、13年のあいだ住んでいました。

 上の写真もその家で撮ってあったものです。ネガにカビがはえてしまっい、スキャンしたらそのカビがそのまま白く映ってしまいます。テレビはモノクロテレビでSANYOのブランドだったと思います。当時のブラウン管テレビでは画面の四隅が丸く、アールでつながっています。テレビの下に並べてあるのは、たぶん母が毎月買っていた婦人画報かな?

 住んでいた家は八畳と六畳と四畳半の三つの畳の部屋に台所と風呂がある、今でいえば3Kの間取りでした。風呂は薪を燃やして沸かし、生ごみは庭に掘った穴に捨てて、並んだ六畳と八畳の南側に廊下があり、夜になると廊下の雨戸を閉めました。トイレは汲み取り式。冬の暖房はブルーフレームの石油ストーブで、それだけですべての部屋を暖かくできたとは思えないのですが、だけど一つしかなかったよなぁ・・・だからあとは炬燵頼りだったんだろうと思います。エアコンなんかまだまだどこにもなかった。それでも、冬に寒くて大変だったという記憶はまったくないのです。炬燵に入ったまま寝てしまうと風邪を引くよ!とよく言われました。

 クリスマスに「クリスマスおめでとう」とはあまり言わないですね。言うんですか?私は言わないなぁ。とにかく今日はクリスマスイブなので、こんな写真を選び、こんな話を書きました。

西の空

 ものすごく若い会社の後輩、なんと40歳以上も若い後輩から、写真家の奥山由之が監督をした「アット・ザ・ベンチ」という五本からなるオムニバス映画のことを教えてもらったので、昨日から上映が始まった渋谷の宮下公園をのぞむビルの八階にある映画館まで観に行きました。ひとつの、取り壊し目前の、川を望む遊歩道沿いのベンチにやってくる人たちが繰り広げる会話劇で、くすっと笑える楽しい気分になれるのが良いですね。若い人の繰り広げる早口の会話に付いていけない感じになるところがあって、情けないな自分、と思うところもありましたが・・・二編目の冒頭とか。

 映画が2時少し過ぎに終わったので、恵比寿の東京都写真美術館までコンパクトデジタルカメラでスナップをしながら歩いてみました。写真美術館では、第21日本の新進写真家展「現在地のまなざし」を見ました。個人の暮らしが社会の縮図となり、社会への興味がコンセプトとなり、いずれなんらかの問題、というか見るものに考えるきっかけを与える・・・「2020年代社会派」か。ソフトにカモフラージュされたようでいて、意外に鋭い彼らの見ている、考えている「今」を見てきました。そんななか太田黒衣美のsun bathは、チューインガムをカットした断片を並べたコラージュのような作品を、眠る猫の毛の上に並べて写真作品にしていたり、他の作家と一線を画して、きわめて小さな自分の世界のなかで楽しいことを探しているように見えて、気持ちよかったな。

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4822.html

 昼間は風が強かったけれど、温度は高く、これから冬なのに、まるで冬が終わるころの暖かい日のように感じていました。上記のコンパクトカメラによるスナップの前に、フイルムカメラで写真を撮っていました。36枚撮り終わったところでデジカメに切り替えたのです。やはりコストのことが頭をよぎってしまいました。フイルムをどんどん使うのは金銭的にきついので今日は一本までにしたのです。今日使ったフイルムカメラはライカフレックスSLにレンズはズミクロンR50mmF2。デジカメだと同じ街角スナップでも、行きかう人々に目が行きますが、フイルムのマニュアルカメラだと、街のなかでも「静物」を、たとえばビルの谷間を抜けてきた日の光が照らしているビルのドア、そういうところにレンズを向けてゆっくりと撮りますね。カメラを変えたところで写真は写真を撮る人の癖により決まるから、実はカメラを変えても差がない、という話を聞けばたしかにそういうところはあるぞ、と思います。一方で、カメラを変えるととたんに写真が変わる、ということを読めば、そうだよな!と思いもします。きっとどうにも変えられない部分もあるし、おおいに変わるところもあり、どこを見ているかによるんだろうな。

 写真美術館に向かうときに、上の写真の大きなガラス窓に映る西の空の雲をスマホで撮っている人を見かけました。そのときは、なーに撮ってるんだか、ふっ、なんてちょっと皮肉っぽいとでもいうのか、そんな気分で見ていました。だけど帰路に、同じ場所を通ったら、なるほどいいね、と思ってしまい、この写真を撮ったわけです。たまたま人が来たのでちょっとだけ面白くなりました。

 夜、テレビで「みんなあなたが好きだった プレーバック 長嶋茂雄の世紀」という番組を観ました。実は私は長嶋の引退セレモニーをリアルタイムでテレビで観たことを覚えています。高校生でした。夕方家に帰ると、テレビでダブルヘッダーの第二試合が終わり、これから長嶋茂雄がピッチャーマウンド付近に立てられたマイクで話をするというところだった。わたしは当時(も今も)アンチジャイアンツで、当時はけっこう熱烈な広島カープファンだったので「我が栄光の巨人軍」などという言い方は、アンチらしく、けっ!などと思ったものですが、だけどその後いまに至るまで、あの日のテレビのことはずーっと覚えていて、やはり人としての長嶋選手には否応なくその魅力に気付いていたに違いないですね。結局は「わたしもあなたが好きだった」ってことになるのかな。これぞアンチの本質ってことか、もっと素直であればいいのにね。あの引退の日の翌日、高校の教室ではその話をする友だちもいたものです。素直に感動した!と言っていた連中には、くだらねえと思ったけれど、そう思うことがティーンエイジの頃の私が表現できる情けない突っ張りというものだったのでしょう。

 

ダブルイメージ

 上田岳弘著の「旅のない」と言う短編集は今年の春頃かな、最初のひとつかふたつ目の途中まで読んだところで、積読の山に誤って迷い込んだ感じで、埋もれていってしまっていましたが、最近、積読の山が崩れたときに表に現れたので、最後の表題作を電車で移動するときに読んでみたら、とても面白い。二人の人物の関係が、ちょっと緊迫感があるようで、暴力の可能性すら感じつつ、実は同士のようでもあり。
 昨晩、爪を切らなければと伸びた爪を見て思いました。夜に爪を切るのはよくない、と言う言い伝え?なんか気にもせずに夜に爪を切りますが、昨晩はもう寝ようと布団に入って、部屋の蛍光灯を消そうとしたときに気が付いたので、明日の朝に切ればいいや、と思いました。
 脱線しますが、部屋の天井の蛍光灯はぶら下がっているタイプでもなく、共通の規格に沿った取り付け金具でもないようで、電気店に行き工事込みで買わないとLED照明器具に変えられない感じ。蛍光灯互換のLEDライトを調べると、照明器具ごと変えないとだめですよ、と言う記事をたくさん見掛けます。確かにもう部屋の蛍光灯照明器具は、三十年以上使ってるからなぁ……
 脱線から復帰して、爪切りの話。今朝になると、昨晩寝る前に爪を切ろうと思ったことなど思い出せずに、会社に行くべく家を出て、バスに乗り電車に乗り継ぎました。電車に乗ってポケットからスマホを出しました。あ、爪が伸びてるんだった、と爪を見て思いました。会社に小さな爪切りがあります。なにかの景品だったのか?蛍光灯と同じくずーっと前から会社の引き出しに存在していて、2年に一度くらい、やはり爪を切り忘れていて、とくにシャーペンを握ったりキーボードを打つときなど、爪が伸びてるのが気になったとき、使います。今日もそうしようかな、と窓の外、快晴の南関東、さすがにもう銀杏の葉も落ちました、そんな景色に目を向けながら思います。だけど、会社の爪切りは爪が割れるときに刃の材質なのか、爪と刃の摩擦の関係なのか、けっこうパチパチ音がする。さてそれでも切るべきか?朝の電車で考えてることといったら、こんなもんでした。
 最近は左腕の肘を中心に上腕も下腕、と言う単語はあるのかな?両方とも凝っている、と言う言い方?テニス肘的な。これは私のスマホが重くて持ってるだけでそうなる、そして同じ左手はカメラを構える時にもシャッターを押す右手と比較すると重いカメラを支えている。このふたつが理由です。数年前までは、その左手負荷の要因は同じだったのにここまで痛くはならなかったんじゃないだろうか?と思いながらではもうスマホを持つ回数は減らしてしまうと一度スマホをしまいますが、すぐに何か調べたいことが浮かぶもので、また手にしてしまう。やれやれ。
 昨晩、次の写真同人ニセアカシア発行所の活動のために、パソコンで写真を作り込んでいました。上の写真はダブルイメージ。たまたまパソコンの操作を誤って重なってしまった二枚の写真です。その偶然が目の前に現れて、おっ、なんかかっこいいじゃん!と思いました。そこでこのブログに載せておきます。


 

グループ展終了

 12月の10日から15日まで、最寄駅は西武線中村橋駅練馬区美術館の先にあるリミエ写真機修理店の店内ギャラリースペースで、ニセアカシア発行所写真展「草迷宮」が開催されました。わたしも同人なので参加しました。
 草迷宮明治41年泉鏡花が発表した幻想小説です。横須賀市の秋谷付近を舞台に、亡き母の歌った子守唄を探し歩く青年と、旅の僧が、夜になると子守唄が聴こえる屋敷に泊まり、怪奇現象と出会う話……と書くとあまりに適当過ぎるあらすじかな?
 その小説にインスパイアされて、それぞれが撮った写真(多くは秋谷に出向いて撮った写真)で、この春に「ニセアカシア9草迷宮」を発行しました。写真展はその本に載せた写真から、ひとり2枚を展示しました。
 良い写真展になりました。会場のリミエ写真機修理店には修理工房がオープンスペースで見て取れ、修理待ちのフィルムカメラが奥の棚にずらりと並び、販売している修理チェック済カメラもあり、まずカメラや写真好きにはたまらない空間でした。カメラもライカなどの高級嗜好のものではなく、60年代70年代の国内メーカーのものが多く、レンズ交換可能な一眼レフだけでなくいわゆるレンズシャッター機も多く、すなわち「敷居が高くない」店です。
 そんなわけで、話が弾みますね。一人のお客様の滞在時間が長くなる、楽しい写真展でした。来てくださったみなさま、ありがとうございました。
 住んでいる茅ヶ崎から西武線の中村橋までは、意外と遠くって、ドアトゥドアで2時間半近く、それを六日の会期のうち、四日通ったので、少々疲れました。
 写真はそんな行き来の車窓から撮った渋谷あたりの銀杏です。珍しく、派手に、コントラストや彩度やボケ感付与や、加工しました。
 写真展おわり、あっという間に師走ですね。毎年いつでも同じ、自室を整理したいのですが……もう積読タワーやら何やら収拾つかないな。いろいろいじってもなかなか治らないレコードプレイヤーを破棄するしかないか、それに伴ってLPレコードも売ろうかな。はてさてどうしたものか。そんなことを考えていると、あっという間に夕方になる季節です。