BRAHMANのニューアルバム「viraha」が2月26日にリリースされた。アルバムタイトルの「viraha」とはヒンディー語で「離れたことで初めて気付く相手の大切さ」を意味する。結成30周年を飾る本作で、彼らのハードコアパンクは新たなフェーズに到達した。そのサウンドはこれまでにない抜けのよさに加え、頼もしさすら備えている。
音楽ナタリーでは、本作の発売に合わせてTOSHI-LOW(Vo)にインタビュー。去年11月4日、横浜BUNTAIで開催された全75曲4時間のライブ「六梵全書 Six full albums of all songs」を入り口に、本作の前日譚から作品に込めた思い、収録曲「charon」の起点となった盟友・チバユウスケとの思い出など、さまざまな話題について聞いた。
長尺ながらも、30周年を迎えたBRAHMANとTOSHI-LOWの現在地点を指し示すテキストにもなっているので、アルバムを聴きながらじっくり読んでいただけたらと願う。
取材・文 / 内田正樹撮影 / 山崎玲士
「俺たち、これでよかったんだよ」と肯定できた「六梵全書」
──去年、11月4日に横浜BUNTAIで開催された「六梵全書 Six full albums of all songs」を現地で観ましたが、ものすごかったです(参照:BRAHMAN結成30周年に向け戦い抜いた全75曲の熱演、4時間ライブを完走し「生きてるか?」)。
どうものすごかった? できるだけ言葉で聞きたいな。
──6枚のフルアルバムの収録曲72曲、プラス急遽追加された3曲を合わせた全75曲を4時間ぶっ通しでやるというコンセプトからものすごかったけど、30周年突入の前に、ある意味、こんな死闘みたいに大変なライブを“わざわざ”やるのは、BRAHMANがBRAHMANであるからこその“業(ごう)”を感じました。その業の深さや面倒さも込みで、ものすごかったです。
そっか。
──そもそも「六梵全書」をやろうと思った動機は?
動機なんてないよ。アホなスタッフからの「やる?」っていう売り言葉みたいな提案を、よせばいいのに「やってやるよ!?」って買っちゃっただけで。
──そんな成り行きであんなハードなライブをやったんですか?
でもね、さっき“業”って言ってくれたけど、本当、そうなのかも。やるべきタイミングでやらなきゃいけないものって必ずあるじゃない? 30周年とか新しいアルバムを作るにあたって、どこかで1回禊がなきゃいけないっちゅう気持ちもあったし。別に過去の曲が悪かったとかみじんも思っていないわけだし、自分らで自分らの過去を「俺たち、これでよかったんだよ」と肯定できるのもすごく幸せなことだし。もう全曲やれる状態にして、次に行く。得たものが多かったし、自信にもなったね。
──全曲やれるというのは、毎作“捨て曲”ナシで作ってきたという矜持の証でもあるのでしょうし。“捨て曲”という言い方は本当に嫌いな言葉なんだけど。
そうだね。いや、でもいるよ? そういうことするやつ。人のを聴いてて「これ、捨て曲だろ?」ってわかるやつ、いるもん。
──ちょっと? TOSHI-LOWさん?(笑)
だって実際にいるもん(笑)。聴き心地のためだけの彩りの曲でそこを埋める、みたいなことするやつ。弁当でもあるじゃん。「これ、味じゃなくて絶対彩りだけで入れただろ?」みたいな豆って(笑)。
──まあ、確かに。
もちろん俺らにだって、聴き心地のいい曲、人気のある曲とそうじゃない曲はあるよ? 彩りではなく、「速い曲がないなら入れようか」と作った曲もある。自分たちにむっちゃ馴染んでいる感じがする曲も、時代ごとでちょっとずつ違うし、新しく実験的に入れた曲が異物感を放つこともあった。
──そうですね。
でも、そういう曲って絶対に必要だからさ。俺らは同じような曲を作るタイプのバンドでもないし、ましてや「この曲さえやってれば納得してもらえる」というバンドでもないじゃない? そういう一発屋の発想になれるほどのヒット曲も、すがるような過去もなかったからこそ、この姿でここまでやれてこれたんだろうし。この間も、ちょうどそんな話を怒髪天の増子(直純)兄ィとしたんだよ。もしかすると、どこかで「あれが好きだったのになんでやらねえんだよ?」と言う人を置き去りにしてきたかもしれないけど、同じことだけをずっとやっていたら、自分たちが飽きちゃったと思うんだよ。
──BRAHMANというか、特にTOSHI-LOWさんの場合はそうかもしれない。
「昔から好きです」みたく声をかけられたとき、すっごいレア曲を挙げて「あの曲のおかげで助かったんです」と言ってくれる人がけっこういてね。「そんな激シブなポイントに気付いてくれてたんだ!?」ってうれしかったことも、この30年でいっぱいあった。「六梵全書」はそういうのを1つずつ噛み締めて、回収する場になったね。面白かったのが、曲によってアリーナで盛り上がるエリアが違ってさ(笑)。さっきはそっちで「ウオー!!」とか盛り上がってたのに、今度はこっちで「ウオー!!」、みたいな。
──そうそう。会場のスタンド後方から観ていて「みんな案外ツボが異なるんだなあ」と感じました。
そうなの! 人気のある曲もレア曲も同じように輝いてくれていてね。それって俺たちみたいな、スタイルがあるようでないような雑食バンドとしてはうれしくてね。本当、励みになるんだよ。
バンドは流れさえ止めなければ絶対大丈夫
──「六梵全書」を終えて、メンバー間ではどんな会話を?
楽屋に戻ってからお互い、「大丈夫だった?」っていう肉体的な話から始まって。弦楽器組は「途中で手がイカれて。握力なくなった」と。そもそも今回はドラムのRONZIが、スタッフに「やれる?」と振られて「やれる」と返した言い出しっぺだったんだけど、こっちも疲れてるからなんか腹が立って(笑)、「お前、何で『やる』って言ったんだよ!?」って聞いたのね。そしたらあいつ「だってバンドやってたら、そういうこと一度はやってみたいじゃん?」とか言ってきて。そう言われた瞬間「確かに」って、すげえ腑に落ちたの。この先、いろんなコンディションにおいて“演らない”のと“演れない”のとではまったく意味が違ってくるし、自分たちがいい状態でできるんだったら、今がやれるギリギリのタイミングだったのかもしれないなって。そもそも、これ以上曲が増えたらもうあんなことはできないだろうし。
──まあ正直「十梵全書」となると、ちょっと現実的じゃないかも……。
病院送りだよね(笑)。あと、それはまたオールナイトライブとか違った耐久レースになっちゃうじゃない? 「六梵全書」は、あくまでもいつもやっているライブのマックスの緊張感を保てる限界だった。これをやれるバンドが世界に何組いるかっつったら、たぶんいないと思う。それをできたのはすごく面白いことだったんだなって、RONZIの言葉で改めて思えたんだよね。
──「六梵全書」のほかにも、今回のアルバムまでのおよそ7年の間には、ライブハウスサーキット、コロナ禍での「CLUSTER BLASTER」リリース時の配信ライブ、「Slow Dance」のような“静”のスタイルのホールツアーがありましたね。
要はコロナ禍、ちゃんと自分と向き合う時間を作れたんだよ。単に「仕事なくなっちゃった~。どうしましょう」じゃなくてさ。楽器を練習する、とかね。そこから、結局やりたいのはズバンとしたパンクだって改めてわかっていったし……あのね、俺は自分の人生で起こることのすべてを「面白かった」と思っているの。どんな嫌なことでもね。だって一度起きちゃったら、もう変えることはできないわけだから。それを自分がどう受け止めて、どう乗り越えたり処理したりするのか。仮に乗り越えられなかったとしたら悔やむ、でもいいけど要は変えられないものを変えようとは思っていなくて。でも唯一、俺たちのやり方だけは変えられる。たとえコロナ禍が来ても「Slow Dance」みたいに、自分たちが柔らかく、水のように変わりさえすればいい。バンドは流れさえ止めなければ絶対大丈夫だと思うし。すべての出来事はつながっていて、必ずどこかに行き着くと俺は思っているから。
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必要なものしか残ってないのがハードコアパンク