056 華乃のウソ泣き
昼の1時をちょっと過ぎたところで5階に到着。
眩い照明に照らされた入り口広場は茣蓙が所狭しと敷かれており、冒険者達が一斉に昼食を取っていた。ここ5階は入り組んだ地形が多いため見渡しが悪く、安全地帯も少ないので、モンスターがポップしない入り口広場まで戻ってきて昼食を取るのが慣例のようだ。
売り子はこの機会を逃すまいと弁当や飲み物を売り歩き、屋台の店主が客を捕まえようと大声で売り物をアピールする。冒険者のほうも美味しそうな臭いに釣られて屋台の前へ出向き、あれやこれやと雑談しながら食い歩きしている。
俺達もそろそろ飯にしたいところではあるが、橋落としポイントに着けばいくらでも休憩できるので、そこで外で買った弁当をゆっくり食べるつもりだ。
とはいうものの、先ほどまで気丈に振舞っていた女子二人の顔には疲労が色濃く見えている。
「サツキ大丈夫?」
「うん、なんとか。でもこの先は付いていくだけで精一杯かも……」
「もう少しだから頑張ろう~」
二人のレベルはまだ5以下。肉体強化の恩恵を受けてはいても、ここに来るまで人ごみの中を朝から5時間ぶっ続けで歩いてきたわけで疲れるのは仕方がないともいえる。
一方の俺はといえば、どうやらレベル19ともなるとこれくらいではほとんど疲れがでない体になっている模様。この異常なスタミナがどの程度まで持続できるのか、まだ測りかねている。
「でももうお昼をとっくに過ぎてるし、5階は帰りの時間を考えると学校がある日は通える距離じゃないねっ」
「私達のようにゲートが使えなければね~」
「……うん」
ダンジョン入場手段が入り口からしかないクラスメイト達は、狩場に到達するまで時間がかかりすぎてしまう問題がある。特にDクラス以上の生徒は学業がある中の日帰りダンジョンダイブを行うのはまず不可能だろう。朝に見た第一剣術部と魔術部も狩場に到達するだけで数日掛かりになるはずだ。
ならば学業がある日はどうしているかというと、部活で鍛錬して経験値を稼ぐ方針を取っている。ダンエクだったときもマジックフィールド内で同格の相手と剣戟鍛錬を行えば、微々たる量ではあるが経験値を稼ぐことができたし、おそらくこの世界もその手段は有効なのだろう。だからこそ上位クラスの生徒は部活に入って練習を頑張るし、逆に部活に入れないEクラスは死活問題になってしまうわけだ。
「サークル作るにも、まずは私達が強くならないとねっ」
「そうそう。私達が強くなければクラスメイトも付いてこないしね~。それじゃ休憩もしたし、向かいましょうか~」
伸ばしていた足のストレッチを終えてこちらに向き直る。
「ここからは俺が案内するからしっかり付いてきてくれ」
「うん、ありがと……あの、荷物まで持ってもらって助かるよっ」
「ふふっ。頼もしいよね~」
この程度お安い御用だ。出発する前に気休めだが《小回復》をかけてあげよう。
*・・*・・*・・*・・*・・*
道中にいるオークに警戒しながらいくつか坂を上り下りし、深い谷に架けられた大きな橋を渡るとオークロードがポップする部屋が見えてくる。
「もうここって……ギルドで注意喚起されているエリアだよね」
緊張のためか両手で胸を押さえ若干縮こまりながら話すサツキ。レベル4でオークロードと出会ってしまったら死を覚悟しなければならないほどの強敵なのだから、大丈夫といわれても安心できないのだろう。
俺も初めて見たときは冷や汗が出てちびりそうだったのを覚えている。今見ても何とも思わないことを考えれば《オーラ》で威圧されていたのかもしれない。
一応、いるかどうか部屋の中をこっそり確認してみると……すでに釣って倒した後なのか、モンスターは1匹もおらず蛻の殻だった。
「やっぱり中にいなかったよ。橋落としは今、妹がやってるはずだからね」
「へぇ……妹ちゃんって凄いんだ」
釣り自体はある程度の走力があれば難しいことはない。道さえ覚えればトラップに引っかからないように気を付けながら走るだけだ。ただ走力がギリギリなら俺が初めてやったときのように死ぬ思いをすることになるけども。
「ここまで来たら目的地までもうすぐだね~」
「あぁ。だけど今は橋が落とされているだろうし、向こう岸に行くなら迂回しないと」
橋が落とされていないならこのまま真っ直ぐ進んで目的地まで最短距離でいけるが、現在その橋は落とされているはずなので通れず、少し迂回したルートで行く必要がある。それでも目的地まで間近なことに変わりはく、リサが「頑張るぞ~」と空元気を出してサツキを励ましている。
そこから更に1kmほど歩き、ようやく目的の谷が見えてきた。どこに陣取ろうかと辺りを見ていると、少し下がった場所に茣蓙を敷いて呑気にお菓子を食べているお袋と妹がいた。
「あっ、おにぃ~! ……と、お姉さん達も?」
「あらあら、こっち空いてるから座って座って」
茣蓙の空いている場所に座るよう手招きしながら茶を勧めるお袋。元気そうで何よりだ。聞けばお袋のレベルも順調に上がっているようで、身軽になったのを見てくれと借りてきた剣をぶんぶん振り回している。親父と出会うまでは冒険者をやっていて4階まで潜った経験はあると言っていたので、剣の扱いはそれなりに様になっていた。
橋落としの合間に妹は携帯ゲーム機、お袋は小説を持ち込みながら狩りしていたという。非常にマイペース……だが、リポップするまではやることないし、そんなものか。
そしてリサとサツキはここまでほとんど休憩せず空腹のまま移動し続け、さらにはオークロード部屋からここまではかなりの高低差がある道を通ってきたため、すでに取り繕う余裕も無いほどクタクタ。のっそりとした動きで「ありがとうございます」と遠慮なく座り込み、背中を丸めてお茶を啜っている。
「次はいつ?」
「ん~と、あと20分後くらい? 私とママはこれ食べたら帰るところだったんだけど」
今日はお袋がレベル7になるまでパワーレベリングをするのが目標で、すでにレベル7まで到達済み。今は持って来たお菓子を食べながらのティータイムらしく、もう帰るところだったらしい。
「それじゃ俺達が飯食ったら引き継ごうかね」
「えぇ~。おにぃがやるなら私ももう少しここでやろっかなっ」
「お前はお袋を家まで無事に届けろ。ここはレベル7でも安全圏ではないからな」
レベル7にもなればそこらを徘徊しているゴブリンソルジャーやオークアサルトに負けるとは思えないが、他の冒険者のトレインなどがきっかけで集団に出くわすこともある。道も良く分かっていないお袋を一人で帰すのも心配だ。
そう説得すると何をトチ狂ったのか「おにぃが仲間外れにしようとする」とサツキとリサの足元に泣きつき転げまわりはじめた。我が家の恥さらしになるからやめなさいと引きはがそうとするものの、しがみついたまま離れようとしない。
「妹ちゃんが一緒にやってくれるなら、私も嬉しいかなっ」
「ソウタったら意地悪なんだから~」
ウソ泣きが功を奏したのか一瞬にして二人を味方に付けた妹。その結果、何故か俺が悪者となってしまった。……まぁいても困ることはないし、二人も妹を歓迎しているならいいか。妥協して「お袋を無事に送ったらまた来い」と条件を変えることにした。
「じゃぁママを送ったらすぐ来るね~」
「頑張るのよ、颯太」
元気に手を振る妹と、サツキとリサの方を見ながら意味深なことを言うお袋がそそくさと去っていく。それを見届けて、茣蓙に座りながら弁当をもそもそと食べている二人にオークロードと橋落としのやり方を一通り説明する。
今回のパワーレベリングは二人なので二人とも経験値を貰うためには呼吸を合わせて同時に吊り橋を落とさなくてはならない。
「モンスターレベル10を相手にするって、やっぱりちょっと怖いね」
「どれくらい経験値が入るのかしら」
ついに来たかと若干顔を青ざめさせ弱気になるサツキに対し、リサはゲームでもお馴染みの橋落としをリアルで体験できるとあってワクワクしているようにみえる。実際やる事はゲームと全く同じだし、違うと言えば落ちるときのオークの叫びくらいか。
「失敗してもいざとなったら俺が倒すから安心してくれ」
「ソウタの強さが今ひとつ分からないから不安なのもあるんだけど……」
本当は路上にいるオークを倒して強さを見せるつもりだったのだけど、全く戦闘せずにたどり着いてしまった。暇つぶしに妹がこの辺りを走り回って倒していたらしいがそのせいだろうか。
「ワイヤーを切るタイミングは俺が言うから、渡り切る前に焦って切らないように」
「ここを切るだけでいいんだよねっ」
「懐かしいな~」
さっきまでへたって元気のなかったサツキもこれからやることを説明すると緊張感が出てきたのかやる気を出してくれたようだ。まぁワイヤーを切り落とすだけの簡単な作業なので特に体力を使うわけではない。多少疲れていてもできるだろう。
そんな話をしていると突如時間が巻き戻されたかのように切り落とされていた橋が浮き上がり大きな音を立てて修復されていく。背後では何事かと驚いたように小さな悲鳴が上がる。
ダンジョンには強烈な修復・復元作用があり、建造物や壁などに穴をあけたり破壊しても一定時間経つと元通りになる性質がある。ゲームの時はそういうものだと気にも留めていなかったが、目の前で物理現象を無視したような光景を初めて見たときは俺も驚いたものだ。
そしてこの橋が修復されたということはオークロードもリポップしたサインでもある。
「それじゃ釣ってくるけど、沢山くるから驚かないようにね」
「うん。その……気を付けてね?」
「頑張ってね~」
小さく手を振り笑顔で見送ってくれる二人を見たらやる気も漲ってきた。それではいっちょやりますか。