097 大粒の涙
『ああぁっ、もうっ! 解除するの遅いよー!!』
「晶ちゃん、どこいくのー? ボクも――」
『ついてこないでっ!』
魔人が《氷結牢獄》を解除すると、覆われていた氷がみるみるうちに小さくなり、内股になった天摩さんが転がり出てきた……と思ったら急いでどこかへ走り去ってしまった。魔人がついていこうとするもののピシャリと拒絶され、しょんぼり顔になっている。
「どういうことなの、成海颯太……私が気絶していた間に何が起きていたのか説明して」
「どうもこうも、全部コイツのせいだ」
「引っかかるお前がバカなんだよーだ。バーカバーカ」
現状を把握できない久我さんが、何が起こっていたかを聞いてくる。目が覚めたら聖堂広間がズタボロだったのだからそりゃ気になるだろうけど、全ての元凶はこのキャッキャと飛び跳ねながらバカと連呼する魔人のせいなのだ。
しかし、こんなのでも“プレイヤー”なので、情報や意見の摺り合わせはしなくてはならない……が、この態度を見ていると激しくやる気が失せてしまう。なにより腹が減ってオラはもうフラフラだ。
先の戦闘で異常なほど体力を使ったせいか体が萎んでしまい、全身の筋肉が軋んで痙攣も起きている。エネルギーが枯渇状態になっているので、今すぐにでもカロリーを取り入れたい衝動に駆られるが、それは後回しだ。
「ということで琴音ちゃん。ボク、アーサーって言うんだけど、お友達に――」
「ちょっと先にコイツと話をさせてくれ」
「ブタオなんかと話すことはないと思うんだけど」
「……」
もじもじと近寄って久我さんと友達になりたいとか抜かす不審者モードの魔人。さっきまで極めて険悪な状況だったのに、そんな態度をしたところで引かれるだけだ。
そして、アーサーというのはダンエク時のプレイヤー名であって、この魔人の名前ではない。まだダンエクプレイヤーの気分でいるようだが……
「お前に取っても大事なことなんだから、とりあえずこっちに来い」
不貞腐れている魔人を広間の隅まで呼び出し、言い聞かせるように言う。最初にこの場で会ったときは話の通じない輩かと思ったが、ダンエクでのコイツを知る限りではそれなりに聞く耳を持つ奴だった。それを信じて説得を試みることにする。
「あのな。俺達がいるこの世界はダンエクそのものだが、もうゲームじゃないんだ。血なまぐさい危険な世界に俺達はいるんだぞ」
「え。ゲームじゃない? まぁそりゃ別物というくらいリアリティは上がってるし、モンスターを倒す感覚も生々しいものはあったさ。けど、どうみてもダンエクそのものじゃないか」
辺りを見渡し、この広間もスキルも、そして出てくるモンスターも全てがダンエクそのものだと言うアーサー。システムや設定はダンエクそのものであるけど、それでもやっぱり現実なのだ。
「天摩さんや久我さん、そしてこれからいろんな人達と話していけば彼女らが決してNPCではないことくらいはお前も分かる。この世界の人々は、元の世界と同じように地に足を付けて必死に生きているんだ」
仮に「この世界がゲームであり、人は皆NPC」という考えを変えようとしないなら、今後において手を取り合うことは不可能。正体がバレている以上、再度殺し合うことも視野に入れなければならない。これは俺にとって譲れないラインなのだから。
「ふーん。でも確かに、晶ちゃんや琴音ちゃんを見た限りではNPCには見えなかったなぁ。本当に生きているって感じはした」
「そうだ。そこを絶対に履き違えるな。それを前提に今から言うことを良く考えろ」
俺がこれまでに知り得た情報を端的に説明していく。
この世界はダンエクと同じようではあるが、現実世界であること。ここの住人の一般的なダンジョン知識は、ダンエクのサービス開始当初のまま。アップデートされた内容は世間ではほぼ知られていないこと。そのせいでゲートも使えず一流冒険者ですらレベル30そこそこで止まっていること。肉体強化により世界情勢が混沌とし、アンバランスになっていること。プレイヤーが俺とお前以外にも何人か来ていること。などなど、さらっと説明していく。
「ゲートも知らないの? ジョブもサービス開始と同じまま?」
「そうだ。プレイヤー知識がどれほどの価値になっているのか想像できるか」
「こっちに来て以来、ずっとダンジョンの中にいたから分からなかったよ。38階にあるボクの“城”で、ずーっと待ってたのに誰も冒険者が訪れなかったのはそのせいなのか」
ダンジョンから出るために冒険者の力を借りようと自分の城で待っていたものの、誰一人として訪れる者はいなかった。それがどうしてなのか今分かったと肩を落としながら、しょんぼりする魔人。
「それとプレイヤーって、災悪……お前だけじゃないのか」
「俺以外にもプレイヤーはいるが今は言えない。全体として何人来てるのかはまだ把握できていないな」
「一応これだけは教えてくれ。晶ちゃんはプレイヤーじゃないよな?」
「……多分な」
そういうと顎に手を当てて考えをめぐらすアーサー。コイツはこう見えてもゲーム時代に“AKK”という、ダンエクでも1位2位を争う大規模攻略クランを率いて暴れまくっていた経歴がある。ダンエク界隈ではかなりの有名プレイヤーで、“閃光”という二つ名で呼ばれていたほどだ。
俺もダンエクのときに何度か戦ったことがあるので分かるが、個としての実力も、クランを率いて成してきた功績をみても、一流プレイヤーだと認めざるを得ない。だが、このAKKというクランは別の顔もある。
「……晶ちゃんはプレイヤーでもNPCでもない。それってお前、もしかして、つまりあれか?」
と言いながら興奮を抑えきれず突然グルグルと回り出すアーサー。
ちなみにAKKというのは、“Akiraちゃん・Kudos・Knights”の頭文字を取ったもの。“天摩晶を称賛し愛でるための騎士団”という意味だったか。要するに天摩さんのファンが集まって作ったクランなのだ。
天摩さん関連のイベントがあるときは、攻略クランとしての活動も運営公式イベントも全て放り出し、クランメンバー全員が特殊なユニフォームを着て狂ったように突撃していたことを思い出す。そして、アーサーにいたっては天摩さん親衛隊長という役職も持っており、熱狂的を通り越して狂信的とも言えるそのファン活動を見て、ダンエクプレイヤー達は恐れおののいたものだ。
「うっひょーー! 本物の晶ちゃんが本当に生きているだなんて! これはチャンスじゃないのかっ!? ボクが絶対に守ってあげるからねーっ!」
「落ち着け。天摩さんはまだ“解呪”してないから、あまり距離を縮めると心象を悪くするだけだぞ」
「ええっ、まだ解呪してないの? ボクが何とかして……あげたいけど、ここに来られたのだけでも奇跡だったからなぁ」
今の天摩さんは呪いのせいで姿を変えられ、全身鎧で隠している状況。不用意に近づくのは避けたほうがいいだろう。それに俺だって天摩さんの解呪を手伝ってあげたいのは山々だがまだレベルが足りないし、本来なら天摩さんを救うのは赤城君なのだからその兼ね合いも考えなくてはならない。
「赤城ぃ? あのいけ好かないイケメン主人公か。でも別に遠慮することはないんじゃないの」
「どちらにしてもすぐにできることではない。だから後で話し合うとして……それよりもだ。久我さんや天摩さん、その他の人達に「他の世界から来た」とか「未来に起こる出来事が分かる」とか余計なことを言うと、彼女らが危険にさらされかねない。これは分かるな?」
「ダンジョン情報を狙ってる奴がわんさかいるってわけか。なるほどねぇ。外はそんなにヤバそうな感じなんだ」
顎に手を当て「晶ちゃんはボクが必ず助けるからまぁいいとして……」といって考え込む。頭の回転はそれほど悪いヤツじゃないので、ある程度の情報さえ渡せば後はそれなりに動いてくれる、と信じたい。そしてこれも大事な事なので聞いておきたい。
「アーサー。お前は変なスキルを持っていなかったか? デバフ効果が付いていて消せないスキルだ」
「……あるよ。全然発動しなかったから忘れてたけど、でも最初に晶ちゃんと一緒にいるお前を見たときに初めて発動したよ。とっても《ジェラシー》してブチ切れそうになった。あのときの沸き上がった感情にはボクも驚いたよ」
やはり最初に現れたときの狂気に満ちた目は、デバフスキルによるものだったか。このデバフ効果を自分の精神力でコントロールすることが難しい。それは俺も身をもって体験しているので仕方がないとは言えるが……
仮にアーサーが外に出たとして、天摩さんと誰かがいるところを目撃するたびに殺意を振りまいてたらトラブルになるのは目に見えている。さっさと対処法を教えておいたほうがいいかもしれないな。
「これ、《フレキシブルオーラ》なんかで抑え込めるの?」
「やり方は後で説明する。次に会うまでにそのスキルを覚えておけ。でなければ危なくて外になんて出せないからな」
「次って……ちょっと待ってよ。ボクをダンジョンに置いてけぼりにする気!?」
涙目になりながら、ゆらゆらとした高密度の《オーラ》を垂れ流そうとする。だが俺にも準備をしなければいけないし、調べたいことや都合もある。気の毒だが少しの間だけ我慢してもらいたいのだ。
「通信手段としてこれを渡しておく。ここ20階にも魔力登録しておくから会おうと思えばいつでも会えるはずだ」
「何これ。腕時計?」
「まぁスマホみたいなもんだ。ここを押せばアプリが立ち上がって俺と繋がるようになる。こちらからも連絡はするから肌身離さず付けておいてくれ。オババにもちゃんと出られる方法を聞いておくから」
「待ってよ。せめて晶ちゃんと話を――」
そんな話をしていると天摩さんがメイド服姿の執事長・黒崎さんを連れて戻ってきた。執事長は入ってくるなりズタボロになった聖堂広間を見て目を丸くし驚いている。
「なっ、どうしてこんなことになっているのですっ! 何があったのですかっ」
『色々あってねー。でもそれは成海クンと相談してからじゃないと言えないかなー。あっ、あの子なんだけど』
天摩さんがアーサーを指差し、執事長に紹介する。何をするのかと見ていたら、ボディーガードとして天摩家で雇いたいとのことだ。いつの間にかそんな話をしていたのだ。
『この子はとっても強いし、それに優しい子だと思うから。どうかなー』
「何か事情があるようですが……おい、そこの小僧。後でキッチリと話は聞かせてもらうからな」
俺をキッと睨みながらもアーサーの方に振り返り、急に優しげな表情をする執事長。
「私も路頭に迷っているときに、お嬢様に拾われ救われた身だ。お前ももし行く当てがないのなら、いつでも歓迎しよう」
『だからまずは、ちゃんと成海クンと仲直りしてねー』
「あ……あぁっ」
大粒の涙を流し、何度も「ありがとう」と連呼するアーサーの頭を、優しく撫でる天摩さん。こちらの世界に来て以来、ずっとダンジョンの中に閉じ込められていたのだ。わけも分からず不安定な精神状態のまま誰にも出会えなかったのは辛かっただろう。今すぐ助けてやれるならそうしたいが俺にも準備が必要だし、相談したい相手もいる。だからもう少しの間だけ辛抱してもらいたい。
「ありがとう、晶ちゃん。でもボク、今はまだダンジョンから出られないからついて行くことはできないみたい。いつか出られたら……そのときまたお願いしてもいいかな」
『もちろんっ。脱出方法を見つけたときはウチも一緒に迎えに行くからねー』
「お嬢様に相応しき執事になれるよう、我らブラックバトラーの流儀を一から叩き込んでやる」
アーサーは気丈にも天摩さんと執事長の前で笑顔を見せて強がっているけど、また一人になってしまえば寂しくなるだろう。そのときは話相手になってやるから俺に電話でもしろとでも言っておく。
さてと――
(それじゃ帰るとしようか)
これで俺のクラス対抗戦は一段落がついた。予想外の出来事が連続で起こったせいで身体の各部位が悲鳴を上げている。一刻も早く休息を取りたいが、調べることや考えることは山積みである。これだけの労力を支払わされるのだからアーサーには利子を付けて返してもらいたい。
隣では目の据わった久我さんに無言でゆさゆさと服を引っ張られ、後ろからはメイド服の執事長にギロギロ睨まれながら、長き戦いが続いた大広間をようやく後にするのであった。